中国法会|私が人を救うことと迫害は無関係
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 文/中国の大法弟子 秦真

 【明慧日本2023年11月24日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修のみなさん、こんにちは!

 私は1997年に法輪大法に出会い、修煉する機会を得た大法弟子です。修煉を始めた後、特に1999年「7.20」以降、弟子の踏み出す一歩一歩は、師尊の慈悲とご加持なしではやっていけませんでした。人を救うために成し遂げてきた一つ一つは、師尊が私のために用意しサポートしてくださったものでした。このことを思い出すたびに、私は思わず涙があふれてきます。

 私は、法を学び人を救う過程で、法に対する自分の少しばかりの認識を書き出し、師父にご報告申し上げ、同修と交流いたします。

 一、法をしっかり学ぶことが、あらゆることの基礎である

 法を得てから、真に大法を修煉したいと思ったので、私は特に学法に力を入れるようになりました。私の家は、煉功であり、学法場所でもありました。当時、同修たちは私を輔導員としてみなしていました。私は、本当に法をしっかり学んで理解しなければ、同修を導くことができないと思い、たくさん学びました。修煉を始めたばかりの頃は、頭の中が落ち着かなかったので、法を暗唱して、雑念が浮かぶのを防ぎました。1997年、私は『道法』を暗記しました。高い次元の法理は理解できませんでしたが、たくさん学ぶ必要があることに気づきました。私は『佛性』と『誰のために存在するのか』を暗記した後、私は「本当の私」とは何なのかを理解することができ、1999年の「7.20」以降の法輪功の迫害に立ち向かい、人を救うための堅固な基礎を築くことができました。

 2008年、私は路頭に迷い、郊外に賃貸住宅を借りて真相資料の拠点を設立しました。毎日、朝に煉功を終えたら、まず法を学び、その後に食事をし、真相資料を作りました。法がよく学べなかった日は、資料作成がうまくいかず、機器も言うことを聞きませんでした。

 2013年、同修がショッピングモールの警備員として私を会社に紹介してくれました。私は夜勤だけの勤務で、夜の6時に出勤し朝の9時に退勤しました。仕事時間は長かったのですが、睡眠に問題はありませんでした。夜勤中も学法することができたので、昼間は家での資料作成に遅れを取りませんでした。夜勤をしていた2年間、私は毎日『轉法輪』を学び、その後、師父の各地での説法を拝読しました。師父の新経文を受け取ると、少なくとも50回読み、さらに『二〇一三年米国西部国際法会での説法』を暗記しました。

 2016年から現在まで、私はずっと、建築資材を販売する店主の下で働いています。午前7時半に出勤し、午後5時半に退勤し、昼休みは1時間です。同修たちは、私が法をしっかり勉強できず、人を救う事がうまくできないのではないかと心配しました。私は毎日煉功し、食事を終えた後、たとえ10分しか時間がなくても、学法に利用しています。仕事が終わり食事を終え、午後8時に正念を発した後、私はまず学法し、その後、真相資料の作成に取り掛かります。

 私は、この何年かずっと続けているもう一つの習慣があります。それは、車に乗ったらすぐに法を暗唱することです。また、職場の作業の中でも、圧力部品(訳注:圧力に耐えられるように設計された部品。例えば、水道管のバルブなど)の組み立ては簡単だったので、私は作業しながら法を暗唱します。というのも、私は作業に慣れていて、ミスをしなかったからです。私は、自分自身を真に法に溶け込ませました。職場では、仕事がますます順調になり、人を救うこともより自然にできるようになりました。

 二、大法に同化し異なる次元の法に基づいて修煉する

 師父は『轉法輪』の中で弟子に「高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修めず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です」と説かれました。

 修煉を始めて間もなく、師父は私の天目を開いてくださいました。法輪功を修煉して1年後、大法書籍を読んでいると、最初は手のひらに赤い光が出ました。次に、橙、黄、緑、青、藍、紫の光が出ました。2回目は、薄い赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の光が出ました。最後には、無色で透き通った光になりました。

 『轉法輪(巻二)』「修煉過程の中の次元」を学んだ時、私は自分がすでに世間法から出たことを悟ったのですが、どうしても信じられませんでした。2009年、私は師父の広州での説法の録音テープを拝聴し、広州での説法の中で世間法から出ることに関する法も説かれていたので、初めて少し信じるようになりました。ですから、私がすでに世間法から出たのであれば、高次元の法理によって自分を律するべきであり、三界内の低次元の法理に制約されないようにするべきです。

 師父は「私は1999年7月20日に、既に7月20日以前の学習者を全て所定の位置に押し上げ、皆さんの最高位置まで押し上げました」『北米での巡回説法』と説かれました。

 当時は、師父が説かれたこの法が理解できず、自分が高次元にいるとはとても信じられませんでした。その後、師父の各地での説法を深く学ぶことで、徐々に理解できるようになってきました。何か困難に遭遇するたびに、私は自分が本来あるべき高さに身を置き、真の神として振る舞うと、邪悪要素は私をどうすることもできなくなりました。ある同修は「私が法を実証しようとすると、邪悪が妨害します」と言います。これは、まだ高次元の法と同化しておらず、相生相克の理に制約されています。

 師父は「非常に次元の高い、非常にミクロ的な宇宙空間に、二種類の異なった物質が存在しています。これも真・善・忍という最高の宇宙特性が、宇宙の一定の空間と次元に体現する二種類の物質の存在形式なのです。上から下へ、ミクロからマクロに至る、一定の空間まで貫いています。下へ行けば行くほど、異なる次元の法の現れの状態によって、この二種類の性質の物質はその現れがますます異なり、差異もますます大きくなります。それによって、道家の説いた陰陽と太極の理が生じました。さらに下へ行くと、この二種類の性質の異なる物質はますます対立して、それにより相生相克の理が形成されたのです」『精進要旨』「佛性と魔性」と説かれています。

 私は「この相生相克の理もあまり高くない。もし大法弟子がとても高次元にまで修煉し、この次元の法理を超越した時には、この理の制約を受けず、何でも思うままにできる」ことを悟りました。実際のところ、私たちが経験する多くの苦は、法に対する理解が不明瞭であるために生じるのです。

 三、人を救うことと迫害はまったく関係がない

 1. 私たちが使っている機器や作成した真相資料を、邪悪な迫害の根拠と見なしてはならない

 一部の同修が自宅に真相資料の拠点を作りたがらず、自宅に真相資料を保管したがらないのは、法理が不明瞭であるためです。迫害は、家にある機器の数や作成した資料の総数によって判決での懲役の長さが決まると考え、人を救えば迫害に遭うと考えるのは誤りであり、この概念は間違っています。

 師父は『険悪を遠ざけよう』の中で「あなたが生生世世に作った借りの持ち主、場合によって巨大な業と借りの被害者があなたに返済を迫り一歩も譲らないとき、どのように対処するのですか? 宇宙の法理もすべての人を量っているため、修煉のとき魔難に遭い、迫害を受けることがあるのです」と説かれました。

 師父の法の中で悟ったのですが、人を救うことと迫害は関係がなく、根本的には自分が背負っている業によって引き起こされるのです。

 2008年から2012年までの間、私はある同修とよく一緒に学法し交流をしました。その同修はよく「パソコン、プリンター、真相資料は人を救う法器であり、邪悪な迫害を受ける根拠にはなりません」と言いました。彼女も私と同じように人を救っていました。2007年以降、私はその同修から資料を入手しました。その同修が資料作りをいつから始めたのか、私は一度も聞いていませんが、その同修は今でもずっと続けています。

 その同修を見て、私も2008年に資料作りを始めました。最初は2台のカラーインクジェットプリンターを使い始めました。2010年には「共産党についての九つの論評」を作り始め、レーザープリンターを買い足し、消耗品もたくさん使いました。紙を買うときはいつも、私は荷物運搬用三輪車で10箱ほど運び、毎週3箱になる真相資料を制作しました。

 私が借りている部屋にはエアコンがありません。夏は暑すぎて、機械が耐えられないので印刷する資料を減らし、冬になると「共産党についての九つの論評」をたくさん印刷しました。毎年の春には、同修たちが、夏や秋の初めごろまで人を救うために配布できるだけの十分な量の真相資料(書籍)を用意しました。

 2. 自分をしっかり修め、純粋な心で人を救う

 自分をしっかり修めたいと思うなら、法を深く学び、師父が説かれた法に同化しなければなりません。師父は『精進要旨』「佛性に漏れなし」の中で、「実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」と説かれました。

 師父の法を学んだことで、私は、新宇宙の生命になりたいなら、無私無我の正覚に修煉によって達しなければならないと分かりました。そうでなければ、新宇宙に入ることはできません。したがって、私たちが人を救う場合、どのようなプロジェクトであっても、個人的な目的を抱いてはいけません。慈悲の心をもって人を救い、どれだけ多くやるか少なくやるかにかかわらず、ただ慈悲の心だけを持って行うのです。

 数年前まで、私は個人的に持っているものが比較的多かったのですが、今はますます少なくなっています。資料を作る時は、基本的に心を清浄に保つと、機器も聞き分けがよく、作る資料の質も良くなります。本を作る時は、機器が使いにくいと、その場を離れることができません。通常、印刷する項目と枚数を設定し、プリンターを自動で動作させてから、他の作業をします。資料を作る時だけでなく、普段は家庭や社会、職場でも、基本的に清浄で無為の状態を保っています。

 3. 師尊のご加護により、私は一つの関一つの難を乗り越えた

 2008年から現在まで、私はいくつかの大きな関を経験しました。2011年の第6回全国人口調査(国勢調査)の時に、世の中では、主に賃貸住宅の居住者が対象になるという噂が流れました。当時、私はまだ恐れる心が強かったのですが、心を落ち着かせ、正念を発し「人口調査は師父の按排ではない」と否定しました。この念が浮かんだ瞬間、第6回全国人口調査は本当に私とは全く関係がなくなりました。

 2013年の夏、私の妻は私服警官に真相資料を渡しました。5、6人の若い私服警官が妻を車に乗せ、警察署に連行し、その後拘置所に送りました。妻は正念を堅持し、名前を名乗らず、毎日「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。1週間後、警官たちは妻を大通りの路上に連れ出し、釈放しました。

 しかし、私は妻が釈放されるまでの過程は、一日の暮らしが一年に感じるほどでした。なぜなら、妻の消息を聞くことができず、生きているかどうかさえ分からなかったからです。同修が留置場に行って調べたところ、法輪功を修煉している人は誰もいないとのことでした。私は心が落ち着かず、一日に一食しか食べないこともありました。妻が釈放されるまでの間、同修たちは私に引っ越すことを勧めたり、一時的に他の場所に避難することを勧めたりしました。その時、私は「師父、どんなに困難でも、真相資料を作って人を救わなければなりません。もし私が真相資料を作るのをやめたら、私と連絡を取っている同修に何を送ればいいのでしょうか? これでは、人を救う機会を失うことになります」と考えました。こうして、師父のご加持によって、私はここまで乗り越えて来ました。私は引っ越しをすることをせず、資料の作成も止めませんでした。

 2015年、私と一緒に人を救う活動で協力していた同修が、江沢民を告訴したことで迫害を受けました。その同修の住む地域では、5人の同修が中国共産党(以下、中共)によって連行されました。国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)は、数十人の同修の写真を、連行された同修たちに見せ、誰か見覚えはないかと尋ねました。警官が私の写真を見せた時、その同修たちはみな「知らない」と言いました。

 その当時、私は大きな圧力を感じていましたが、迫害は私とは関係がないことを理解していました。私は師父に「どんなに難しくても、この資料拠点は守らなければなりません。なぜなら、衆生を救うことは、大法弟子の使命と責任だからです」と申し上げました。師父の慈悲とご加持の下、私は乗り越えることができました。

 私が法輪功を修煉し始めて、特に2008年に資料拠点を設立してから、もう15年が経ちました。師父の慈悲とご加持の下、私は平穏に歩んできました。師父が私のために払ってくださった苦難はあまりにも大きすぎます。もしこの文章を書かなければ、師父に顔向けできないと感じています。

 至らないところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 (責任編集者:伊文)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/13/467915.html)
 
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