中国法会|迫害初期の明慧記者としての経験(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年12月3日】(前文に続く)

 ある時、私に渡された紙を開くと、鉛筆で書かれていました。読み終えてから、それが小学生が書いたものだとわかりました。その小学生は、彼の母親が法輪功を修煉してから、元々あった病気が治ったと書いていました。しかし、中国共産党(以下、中共)が法輪功を迫害した後、その小学生の母親の職場と警察署は、彼の母親に法輪功の修煉をやめさせ、法輪功を修煉しないという保証書を書かせようとしました。そうでなければ、母親を逮捕すると脅しました。周囲の隣人たちは、その小学生の母親に「嘘を書いて提出し、本当のことを心の中に留めておけばいい」と言いました。しかし、その小学生の母親は保証書を書きませんでした。その小学生は毎日学校に行きましたが、一番心配なのは放課後に家に帰っても母親に会えないのではないかということでした。ですから放課後に帰宅すると家に入ると、すぐに下の階で大声で「お母さん!」と呼びました。ある日、学校が終わると、家に走って帰り、階下で大声で「お母さん」と呼びましたが、母親の返事は聞こえませんでした。その小学生は急いで2階に駆け上がり、ドアを開けて見ると、家は空っぽで、母親は連れ去られていました。

 これ(訳注:その小学生の悲しみと不安)を見た時、私は心が痛みました。この子はこんなに小さいのに、年齢に相応しくない魔難を強いられていることに胸が痛みました。この子が耐えられるかどうか心配でした。私に紙を渡した同修は、私の心を見抜いていました。その同修は私を励まして「恐れることはありません。私たちには師父がいらっしゃいます!」と言いました。そうです、私たちには師父がいらっしゃいます。そして、大法がありました。私は心を落ち着かせ、同修と一緒に、子どもの母親が連れ去られたという情報をパソコンで打ち込み、明慧ネットに送りました。明慧ネットが中共の迫害を暴露した後、子どもの母親を連れ去った悪人たちは、恐れおののきました。その後、母親は家に帰ってきて、その小学生と再会しました。母親が逮捕されていた期間中、子供の生活は親類や友人、そして親切な大法弟子の助けを受けて影響を受けませんでした。

 簡単な情報だったので、時間はかかりませんでした。しかし、もし同修たちが遭遇した迫害の経験を報道するのであれば、どこかの場所で、同修たちと面と向かって交流し、一問一答の対話をする必要がありました。まるでインタビューのようにです。インタビューが終わったら、私は記録した内容を文字にまとめて、修正してから明慧ネットに送りました。今では、当時誰に会ったのか思い出せませんが、唯一の印象は、会った同修たちは皆とても純朴で、質問にとても真摯に答えてくれたことでした。同修たちが、自分たちがどのように法輪功の修煉を始めたのかを語ると、一人ひとりの経験はどれも神秘的で、法輪功の修煉を始めてから、真・善・忍に基づいて良い人として生きるようになったと語りました。そして、身体は健康になり、家庭は円満になり、仕事は勤勉になり、周囲のすべての人から肯定と称賛を受けました。同修たちの話は、法輪大法の偉大さに何度も私を驚嘆させました。

 迫害が始まってから、同修たちが連行、不当な拘禁、脅迫、不当な監視、さらには暴行や虐待などを経験した時、中共の迫害に憤りつつも、彼らの不屈の精神と穏やかで優しい心に私は感動しました。あの頃は、自分が誰かも忘れていました。まるで、同修たちの物語の中に入り込んでいるかのようでした。明慧ネットで私がかつて一度は(訳注:以前、ある時点では)避けて見ようとしなかった迫害報道の主人公たちが、今では一人ずつ、本当に私の目の前に立っていました。いつからか、私は迫害報道の記事を恐れるどころか、むしろ、同修たちが遭った迫害の詳細を冷静に記録できるようになりました。

 私は今でも、当時60歳くらいの同修のことを思い出すことができます。その同修は労働者で、あまり文化的な素養(訳注:教養)はありませんでした。その同修の家には何人か家族がいて、彼の毎月の退職金数百元だけで生活していました。その同修は、大法を修煉する前は「半分しか生きていない(訳注:健康状態が非常に悪く死にかけている)」と人に言われ、全身が病気だらけだったと話しました。しかし、大法の修煉を始めてから、病気はすべて治り、何年も薬を飲んでいませんでした。1999年7月、中共が法輪功を迫害し始めた後、その同修の職場と地元の警察署は、煉功しないことを表明するように彼に何度も要求しました。その同修は、これらの人々(訳注:職場と地元の警官たち)に、大法を修煉し始めてから全身の病気が治り、真・善・忍の教えに従って良い人になることは間違っていない、ということを話しました。職場はその同修を脅迫し、法輪功を続けるなら、退職金を支払わないと言いました。その同修は依然として動揺しませんでした。職場は諦めきれず、その同修を公安局に連行し、罪名をでっち上げて、留置場に不当に拘禁しました。理不尽と不公正に直面して、その同修は、5日間絶食して迫害に抵抗しました。その後、留置場は人命に関わる事件に発展することを恐れ、その同修を釈放しました。その後、その同修は今度は不当に労働教養を科され、労働教養所で多くの苦しみを味わいました。

 その同修がこの過程について語った時は、いつもとても穏やかで、あまり気にかけていませんでした(訳注:その同修は迫害を、自分の信念を貫くための試練として受け入れ、乗り越えてきたために、迫害そのものを気にかけていなかった)。その同修は戻ってきた後、警察署に戸籍を登録しに行きました。しかし、警察署は彼に「今後、法輪功を修煉しない」という保証書を書かなければ、戸籍を登録させないと言いました。その同修は堅く決意した様子で「戸籍は失われても構わないが、法輪功は修煉しなくてはならない!」と言いました。同修の前向きさと確固とした様子を見て、私は心から「偉大な師父と偉大な大法だけが、このような素晴らしい生命を作り出すことができる」と感銘を受けました。その同修は、中共が同修自身に対して行った迫害を次々と暴露しただけでなく、その後、他の同修の助けを借りて、法に基づいて堂々と迫害に立ち向かい、かつて自分を迫害した人々を震え上がらせました。その後、その同修の戸籍の問題も解決されました。

 同修たちの体験に、私は何度も感動させられました。また私は、同修たちの小さな物語と体験を記録する機会に恵まれたことに、この上ない光栄を感じました。これは、法輪大法と師父の偉大さを証明するものでした。

 師父のご加持の下で、私の文章力は急速に向上しました。多くの場合、自分が書いた文章を読み返すと「これは私が書いたのか?」と自分でも驚きました。また、私のタイピング速度も神速に近いものでした。そこで、ある同修が「あなたは本当にタイピングの神様ですね!」と言いました。これはすべて、師父と大法のおかげであることを、私は分かっていました。私はただ、法輪功修煉者たちの体験を文字に残したいという小さな願いがあるだけでした。すると、師父は私に尽きることのない知恵とひらめきを与えてくださり、多くの知らない同修を私の元に導いてくださいました。私は、最初は、私が同修のために記事を書いているのだと思っていました。しかし、次第に、それは師父が私に与えてくださった機会であり、同修が私を信頼し、同修たちの経験を共有させてくださっていることに感謝すべきなのだということに気づきました。そして、私は、その経験を文章にして、より多くの人々に伝えていきたいと思うようになりました。

 あの頃、最も困難で、また多くの同修が懸念していたのは、中共による迫害の圧力に直面して、明慧ネットや全世界に向けて、中共の迫害を暴露する勇気があるかどうかということでした。同修たちは、中共を暴露した後に報復を受け、迫害がさらに激化するのではないかと懸念していました。そのため、当時は、師父の説法を繰り返し学び、同修たちと交流することで、同修たちの不安や懸念を取り除く必要がありました。私の身近に、いつも同修たちを助け、同修たちの不安を取り除くために努力している同修がいました。その同修は、みんなに師と法を信じさせ、正念で物事を見るように教えました。そのおかげで、多くの同修が不安を克服し、中共の迫害を暴露するために立ち上がりました。

 その後、いくつかの理由で、私は場所を変え、パソコンもそこに移しました。おそらく、私たちの地域は小さく、当時、パソコンを持っていて明慧ネットにアクセスできる人はほとんどいなかったため、明慧ネットに私たち地域に関する多くの記事が掲載されたことで、中共の勢力が恐慌をきたしたのかもしれませんでした。中共の勢力は、地元でインターネットに接続できる大法弟子を探し始め、私にも接触してきました。その時、師父が私を守ってくださり、私は無事でした。中共と遭遇することもなく、パソコンも師父に守られて無事でした。

 しかし、その出来事(訳注:中共がインターネットに接続できる大法弟子を探し始めたこと)が起こった後、私は恐怖に襲われました。毎日、自分が中共の勢力に監視されているような気がして、インターネットに接続するだけで中共の勢力に捕らえられてしまうのではないかという恐怖に駆られ、長い間、自分で明慧ネットにアクセスする勇気がありませんでした。それでも、師父のご加持の下、私たちは迫害の暴露を続けました。とても秘密にされている資料拠点のある同修が、なんと中共による迫害が始まる前に私が知り合った人だったのでした。当時はとても意外に思い、すぐに連絡を取りました。このようにして、私が同修を手伝ってタイプするか、あるいは書いた文章は、その同修のところに持っていって明慧ネットに送信しました。更に重要なことは、当時、別の同修が重要な局面で私に代わって、迫害を暴露したい他の同修のために記事を書き、同時に私を絶えず励まし、多くのサポートを私に与え、私がその困難な時期を乗り越える手助けをしてくれたことでした。

 当時、私が直面した最大の問題は、中共が私に対して行った嫌がらせや迫害を暴露すべきかどうかということでした。私に対しての迫害を暴露した後、中共から報復され、再び迫害されるのではないかと私は恐れ、夜もろくに眠れず、また、自分が中共を暴露するのは、自分の罪を自白するようなものであり、自分がパソコンを持っていることや、インターネットにアクセスできることを中共に知らせることになるのではないか、と考えました。師父の説法を絶えず学び続けた結果、私は勇気を振り絞って、その情報(訳注:私に対しての迫害)を報道することができました。

 その経験(訳注:法輪功への迫害を暴露したこと)を通して、師父が法を正すための一翼を担う道において、中国という人間の大舞台の中心にいる者として、私は文字を使ってこの歴史を記録することを選びましたが、単なる記録者として、ただ舞台の下で他人の体験を記録する者としてではなく、いつの間にか舞台に押し出され、私が文章を書いた人々がかつて直面し経験した出来事に自分も直面することになるだろうと悟りました。私はどう対処すべきでしょうか? どう選択したらいいのでしょうか? 自分の身の安全が脅かされ、自分が行っていることが挫折し、自分が師に手伝い法を正すためにすべきことだと思っていたことが、現実では自分が「迫害」されているかのように見える時、私は師父と大法を堅く信じ、中共の計画を否定し、いつものように続けることができるでしょうか? 最終的に、私は「私は大法弟子であり、修煉者だ。私は、精進し着実に修煉するという前提の上で、初めて、中国の明慧ネットの記者として良い仕事をすることができる。また、私は正念をもって、私が歩むこの道で現れた、または、これから現れるであろう、すべてに立ち向かうことができる」という一つのことを確固としました。

 中共を暴露した後、私の環境は徐々に緩和され、私はまた、明慧ネットに交流文章を投稿し始め、さらには明慧ネットの毎年の中国法会に参加するようになりました。迫害初期に明慧ネットの記者として活動していた頃のことを思い出すと、また多くの光景が脳裏に浮かびました。あの頃は大変でしたが、心の中にはいつも、あきらめない気持ちがありました。師父の細心な按排の下で、不可能に思えた多くのことが、奇跡のように成し遂げられました。

 しかし、20年以上経った今、私はかつての状態に戻すのはとても難しいのです。最近、私は一種の消沈状態に陥ってしまい、法会の投稿にもやる気が出ませんでした。夢の中で、慈悲深い師父が再び私に教えてくださいました。教室の中で、師父は講壇の上に立っておられ、私たちはみな下で座っていました。師父は、一人ひとりに発言するように言われました。私は心の中で「私は本当に何を言うべきかわからない。他の人の意見を聞いてみよう」と考えました。思いもよらなかったことに、師父が私の名前をお呼びになり、私に発言をさせてくださいました。私は恥ずかしさを覚えながら立ち上がりました……。

 私は、今回の法会での交流の機会を借りて、あの時の経験を思い出しています。そしてまた、修煉を始めた頃の状態を取り戻したいとも願っています。師父が弟子のためにしてくださったことに対して、私はどれほどの言葉で感謝すればよいのかわかりません。弟子には、ただしっかり行い、最後までやり遂げ、精進する以外に、師恩に報いる方法はありません。

 慈悲で偉大なる師父、ありがとうございます!

 これまでの道のりで、身近にいてくれたすべての同修に感謝します!

 (責任編集者:伊文)

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/6/467815.html)
 
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