中国法会|年金を取り戻す過程で人を救う(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年12月4日】私は教師で、法輪大法の修煉を続けているため、中国共産党から1年間の懲役刑を不当に言い渡されました。出所後、私の年金は2年以上不当に停止されました。 私は、年金を取り戻すことをきっかけに、当局や責任者に大法の真相を伝えるべきだと思いました。以下、この経験を師父に報告し、同修たちとシェアしたいと思います。

 一、計画、準備、そして真相資料の段階的提供

 私はまず、政府部門の人々に大法の真相を伝えるために、浅いところから深いところへ、段階的な長期計画を立てました。 私は、会社の役員や部長に伝えようと決意し、「手紙」を書くことにしました。しかし、手紙を書く作業は難しく、書き方がわからず、朝方まで書いてしまうこともしばしばでした。師父に執筆の知恵を授けてもらうように願いながら、浅いところから深いところまで少しずつ書いていきました。手紙を書く過程では完全に他人のためであり、衆生の立場に立って、相手が受け入れられるかどうか、内容は難し過ぎないか、ネガティブに捉えられないか、 相手を傷つけ、受け入れられなくする一文がないかを試行錯誤しました。

 通常、最初の手紙は、私の現状や年金に関する法律の一部を紹介するような浅い内容を述べます。しばらくしてから、法輪大法の基本的な紹介や、善悪が報われる事例などを書きます。書き上げたら、手紙を勤め先に持って行き本人に手渡します。それから、時間を置いて彼らの感想を聞きます。状況に応じて、大法弟子が年金を取り戻した成功例や、善行には善い報いがあるなどの資料を送ったりもしました。私は少しずつ資料を渡し、どの人に何を渡したかは、重複しないようにメモに書き留め、次回はもっと深い内容を与えるようにしました。また、私とは関係のない勤め先の責任者たちにも資料を渡しました。表向きは彼らに助けを求めていますが、実は彼らを救っているのです。

 大法の真相資料は非常に重要な役割を果たし、私が大法の真相を伝えるために、各政府部門の扉を開く第一歩となりました。資料を手にして怯える人もいれば、封筒を開けもせず、遠回しに私に返してくる人もいました。「あなたが上司たちに送った手紙は、すぐに読まれたよ」と教えてくれた人もいました。また、笑い話を聞いているかのように、アハハッと笑い出す人もいました。私にとってはすべてが良いことです。なぜなら、彼らのために書いた手紙なので、彼ら全員が読めばそれでいいのです。

 ある若くして亡くなった人事部の女性は生前、大法弟子を迫害し、給料を差し押さえたということがあります。この事例を読んだ1人の課長は人事部に電話をかけ、人事部の職員に読み聞かせながら「この人は誰ですか」と尋ね、冗談めかして「まさかあなたじゃないあるまいね。同じ苗字だし。いや、この人は死んでいるから、君であるはずがない」と言いました。オフィスの他の人たちもそれを聞いていたそうです。私はこれがなかなかいい効果だと思っています。

 私は手紙を書き、資料を送り続けることによって、書けば書くほど知恵が開き、地方の視察団に送る資料が2つの大きな封筒いっぱいになりました。私は「師父が弟子たちを守ってくださっているから、私はあえて危険を顧みず、このことがやり遂げられたのだ」としみじみと思います。

 ニ、人力資源と社会保障局の公務員に真相を伝える

 何事も最初は難しいです。始めの頃、様々な政府部門に出向くたびに、胸が苦しくなり、人心が浮かんできてしまいました。それだけでなく、体が痛くて食事もろくにできませんでした。これは、旧勢力が私が真実を語り、人々を救うことを阻んでいるのだと気づきました。同時に、私は内面にも目を向け、恐れる心、他人の顔色をうかがいたくない心、安逸心が見つかりました。しかし、私は大法への迫害に反対しなければならず、私には使命があります。各部門に行く前に、必ず発正念に力を入れ、雑念や悪い考え、懸念する心、恐れる心などを一掃しています。

 この機会を利用して、関係者に大法の真相を知ってもらいたいと思います。私は結果を気にせず、プロセスだけを重視し、関係者が救われることに基盤を置きました。また、同修にも発正念に協力してもらい、自らも常に正念を保ち続けています。私は自分が神であり、大法弟子であると思っています。私はよく法を暗唱します。特に辛くて、恐怖心がある時は、何度も何度も法を暗唱し、そうすれば心が穏やかになります。

 人力資源と社会保障局の3人の局長に資料と手紙を届けるために、初めて局を訪ねた時のことです。 階段を上ったところで背中に激痛が走り、動けなくなってしまいました。私は、それが邪悪な旧勢力の妨害であることに気づき、すぐにそれを否定し、それを解体し発正念しました。師父のご加持をお願いし、しばらくして私は立ち直りました。私が2階に上がると、そこにいた数人の若者たちが私を見て「どちらをお探しですか。どの幹部をお訪ねですか。ご要件は?」と聞いてきました。私は「局長に会いに来ました」と答えました。局長に会ってから、私は来た理由を説明し、資料を渡しましたが、受け取ってもらえず、あしらわれてしまいました。私は発正念しながら、誰もいないときに資料を机の書類の下に挟み、またドアの上に貼りつけました。

 口頭で伝えることができなければ、手紙を書いて局長の家に届けることにしました。ある時、局の幹部の家を訪ねたときのことです。雪が降っていて、彼の家の門は電気門だったので、中に入ることができませんでした。ちょうどその時、1人の女性が咳き込みながら出てきたので、薬を買いに行くのだとわかりました。 彼女は私がどのコミュニティを訪ねるのかと聞いてきたので、私が答えると、彼女は私を中に入れてくれました。コミュニティの前に着いて、私は1階から6階まで呼び鈴を鳴らしましたが、誰も扉を開けてくれませんでした。私は師父に扉を開けてくれるようお願いしました。すると、自分の家の鍵で扉を開けることができました。心から師父に感謝し、幹部の家のドアに大法関連資料をスムーズに貼ることができました。

 ある日、私は再び人力資源と社会保障局に行きました。以前行ったとき、職員が私を見張り、手紙を置かせてくれませんでした。このようなことが二度と起こらないように、私は方法を変えました。階上へ行き、師父に知恵と、誰にも見つからない透明人間になる能力を与えてくださるようお願いしました。それから廊下を渡り、(オフィスの)ドアは開いていて、中の職員たちがおしゃべりをしていました。私は彼らが勤務を終えるまで待って、ドアの下の隙間から材料を滑り込ませようと考えました。私は彼らに見つからないように最上階で夕方6時過ぎまで待っていました。全員が帰ってから、私はスムーズにすべての関連部門に資料を配りました。

 しかし、資料配りを一度や二度で終わらせるわけにはいかず、何回も届ける必要があります。関連部門は出勤前と退勤後の時間帯には警備員がいるので、入ることができません。あるとき、局にわざと衣服を少し置いて帰りました。退勤時に警備員に「衣服を取りに来た」と言い、新しい資料を関連部門や幹部のオフィスに入れることに成功しました。

 その足で局に何度も足を運び、局長、副局長、課長などに私が書いた修煉体験と大法の資料を届けました。幹部と話す際、私は大法弟子の風格を保ち、謙虚で礼儀正しく、他人を思いやる立場に立って善悪には報いがあることを話しました。幹部たちの受け入れ度合いに応じ、適切な大法の資料を送り続けました。幹部たちが多忙であるため、あまり邪魔をせず、丁寧に資料を届けてその場を去り、数日後にまた訪れるようにしました。

 こうして、徐々に人々は受け入れてくれ、無関心から共感へと変わっていきました。私は1年をかけて環境を変えました。またある時、私が局を訪ねたとき、職員の一人が私に「うちの局長はあなたたちにかなり同情的で、みんないい人たちだと言っていたよ」と教えてくれました。初めて行った時私をじろじろと見張っていた若者たちも、もう私のことなど気にも留めなくなり、「(資料を)配りたいならどうぞ」と言ってくれました。またある若者は「おばちゃん、今度はどの局長に資料を届けるんだい?  私たちは顔をそむけるよ」と言いました。 しばらくすると、「もう終わりましたか」 と聞かれました。私は、彼らにも真相を話す時が来たのだと思いました。局長を訪ねついでに、彼らにも大法の真相を話し、三退を勧めました。彼らの何人かは本当のことがわかり、三退しました。

  (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/14/467918.html)
 
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