【明慧日本2023年12月10日】(前文に続く)
20、撫順の杜景琴さんは刑務所で繰り返し拷問を受けた
杜景琴さん |
杜さんは以前、撫順県年代記局に勤めていた。法輪功を学んでいるとして、杜さんは4回連行され、1年間労働教養処分を科され、4年の不当判決を言い渡された。2008年5月、杜さんは二度目に撫順留置場に連行され、5カ月後に懲役4年の不当判決を下された。
杜さんは遼寧省女子刑務所に送られてすぐ、刑務官は杜さんを「転向」させようとして拷問を加えた。杜さんは十分な食事も与えられず、睡眠を剝奪され、防寒用の靴を履くことも許されず、髪を掴かまれて壁に頭をぶつけられ、冷凍倉庫に入れられ低温状態にされ、殴られたり蹴られたりされ、長時間立つことを強制され、13日間独房に閉じこめられ、囚人の名札を強制的につけさせられるなどの拷問を受け、体はあさだらけになった。刑務所で1年6カ月間拘禁されたとき、杜さんは脳血栓の症状が現れた。記憶力が著しく低下し、言語障害を起こした。
しかし、刑務所側は杜さんの釈放を拒否した。杜さんが釈放されたのは、4年の拘禁期間が終了した2012年5月12日のことだった。帰宅した杜さんはほとんど身の回りのことができず、高血圧症をともなっていた。2014年10月13日、突然脳出血を起こした杜さんは10日間入院したが、医療保険が解除されたため、費用はすべて自分で負担しなければならなかった。長年にわたって心身にダメージを受けた杜さんは、2017年2月24日、67歳で亡くなった。
21、刑務所で重労働を科され 周改清さんは死亡
周改清さん |
遼寧省鞍山市の学習者・周改清さんは、2014年7月に連行され、濡れ衣を着せられた。そして懲役3年6カ月の不当な判決を受けた。遼寧省女子刑務所2監区(高齢者、障害者の監区)で奴隷労働を強いられ、肉体的にダメージを受けた。2022年12月16日、周さんは80歳でこの世を去った。
22、大連産婦人科の元看護師・劉新穎さんは刑務所から解放された後に死亡
劉新穎さん |
遼寧省大連市の学習者・劉新穎さんは、大連市産婦人科病院の看護師だった。劉さんは5回連行されて拘束され、不当に懲役5年6カ月の実刑判決を言い渡された。警官らにより尾行、脅迫などの迫害を受けた末、2023年4月22日に亡くなった。54歳の若さだった。
劉さんはかつて、夫と娘に囲まれた幸せな家庭を築いていた。この幸せな家庭は、やがて中共による迫害で破壊された。2000年1月、劉さんと夫・曲輝さんは、法輪功は無実であると北京に陳情に行ったが、ともに警官に連行されて殴打され、9700元の罰金と労働教養処分を科せられた。当時、娘はまだ1歳だった。夫・曲さんは、大連労働教養所で警官から残酷な暴行を受け、頸椎を骨折して半身不随になり、13年間の寝たきり生活を経て、2014年2月19日に亡くなった。45歳だった。その後も、劉さんは2回連行され、5年6カ月の不当な判決を言い渡された。2015年3月24日に遼寧省女子刑務所に送られた。
入所前の健康診断で、劉さんの血圧が240㎜Hgに上がり、健康状態が基準に達していなかったため、直接刑務所の病院に入れられた。2020年3月末、劉さんは刑務所から解放された後亡くなった。
23、遼寧省丹東市の郭慶さん 繰り返し迫害され死亡
遼寧省丹東市の学習者・郭慶さんは、当局から迫害を繰り返された末、2023年8月8日に死亡した。享年69歳。郭さんは生前、連行、労働教養処分、不当判決などの迫害を受けた。郭さんが亡くなる前の7月末から8月の初めまで、丹東市八道派出所の警官と、天後宮コミュニティの職員に電話で嫌がらせをされた。
2002年、郭さんは48歳のとき、首に札をかけられて街中で引き回され屈辱を受けた。その後、2年の労働教養処分を科された。
2013年11月9日、59歳の郭さんは丹東市元宝区裁判所で裁判を受けた後、懲役3年の不当判決を言い渡され、遼寧省女子刑務所に拘禁された。刑務所で郭さんは強制的に「転向」させられ、拷問を受けた。狭い独房に閉じ込められ、手足をベッドに固定され、睡眠の剝奪、強制的に立たされる、暴言、殴打などの迫害を受けた。
24、瀋陽市70代の王希斌さんは迫害され他界
遼寧省瀋陽市鉄西区の学習者・王希斌さんは、労働教養処分を科され、不当判決を2回言い渡された。合計8年間拘禁された。遼寧省女子刑務所第7監区に拘禁されていたとき、刑務所で健康診断のために裸にされ、侮辱され、殴られ、体を引き伸ばされるという拷問を受けた。2015年6月、王さんは法輪功迫害を引き起こした江沢民を告訴した。王さんは、長期にわたる迫害により2022年10月28日、74歳でこの世をさった。
25、遼寧省丹東市の王香菊さんは17年間の迫害を受けた末に死亡
王香菊さん |
、遼寧省丹東市の学習者・王香菊さんは2002年に不当に懲役5年の実刑判決を受けたが、2009年7月、再度懲役4年の判決を受け、遼寧省女子刑務所第7監区と第11監区(高齢者と障害者の監区)に収容された。
刑務所で王さんは20日間、体罰と虐待を受けた。立つ姿勢としゃがんむ姿勢を強要され、殴られ、蹴られ、罵られ、顔につばを吐きかけられ、休みを与えられず、毎日午前6時から午後10時まで迫害を繰り返された。迫害により王さんは腰椎の粉砕骨折になった。2013年に帰宅した直後、突然の脳出血のため、4カ月で全身麻酔による開頭手術と頭蓋骨修復手術、骨を繋ぐ手術という3つの大手術を受けた。地元の社会保障局は王さんの年金の配給を停止し、8万元以上を支払った。しかし、2021年8月5日、王さんは70歳でこの世を去った。
26、王恵敏さんは刑務所の迫害で乳がんになって死亡
遼寧省営口市の学習者・王さんは法輪功を学んでいるため、2004年に連行され、自白を強要され、懲役6年の不当判決を受けた、遼寧省女子刑務所第8監区でさまざまな拷問を受けた。王さんは内容不明の薬物を強制的に注射された後、吐き気を起こし、嘔吐した。拘禁期間終了後の2011年10月8日に帰宅した。長期にわたる迫害の結果、王さんは心身に大きなダメージを受けた。帰宅後に乳がんを発症し、2014年7月に死亡した。 享年69歳。
27、熊岳高校の英語教師・李鳳美さん 迫害され死亡
李鳳美さん |
遼寧省営口市熊岳鎮高校の英語教師の学習者・李鳳美さんは、法輪功を学ぶことを理由に公職を違法に解任された。李さんはパ魚圏留置場でさまざまな拷問を受け、危険な状態にさらされた。留置場の医師・高日正は、中枢神経を破壊する薬を2回にわたり李さんの食事に混ぜたため、李さんは記憶を失い、髪が大量に抜け落ち、呼吸が困難になり、歩けなくなった。さらに、暑さ寒さ、空腹か満腹かがわからなくなり、失禁するなどの症状が出た。李さんがすべての記憶を失っていないのを見て、高日正は、李さんが遼寧省女子刑務所に送られることになる前夜、内容不明の薬を無理やり注射した。
李さんは2回遼寧省女子刑務所に送られたが、健康診断の結果が、基準に達していないので入所しなかった。しかし、李さんは結局、3度目に遼寧省女子刑務所に送り込まれ、4年間迫害を受けた。2019年12月11日、李さんは迫害を受けた末、53歳でこの世を去った。
28、13年間刑務所で迫害され、姜艶玲さんは逝去
遼寧省錦州市義県城関郷の学習者・姜艶玲さんは2019年12月22日、5年5カ月間放浪していた。2010年5月、姜さんは義県公安局の国保の警官に連行され、2010年5月、義県裁判所から秘密裏に不当に懲役13年の判決を言い渡され、密かに遼寧省女子刑務所に送り込まれた。刑務所で残酷な迫害を受け、姜さんは子宮筋腫、心臓病、血管腫、吐血、高熱などの深刻な症状が現れ、危篤状態になり、刑務所の病院に送られた。刑務所側は責任を取ることを恐れ、姜さんの家族に通知した。2011年4月30日、姜さんは自宅に戻った。同年11月3日、体が少し回復したところで、姜さんの健康状態をチェックするという口実で、警官に再び遼寧省女子刑務所に送り込まれた。
2013年7月10日、姜さんは迫害で体が極度に弱っていたため、再び「仮釈放」された。 帰宅した姜さんに、義県公安局城関郷派出所の警官は自宅にきて、嫌がらせをした。それで、姜さんは余儀なく放浪生活を強いられ養生ができなかった為2021年2月12日、63歳の姜さんはこの世を去った。
29、聴力を失った大連の楊淑文さんが亡くなった
寧省大連市金州区に住む学習者・楊淑文さんは両耳が聞こえない一人暮らしの女性で、2014年10月15日、楊さんは警官に自宅付近で連行され、不当に4年6カ月の実刑を言い渡された。遼寧省女子刑務所で、楊さんは迫害により大腸癌になり、目も見えなくなり、お腹が腫れ上がった。その後、仮釈放されたが、楊さんは2018年1月1日未明に65歳で亡くなった。
(完)