古代の医師、孫思邈「健康と幸福は徳に由来」
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2024年1月2日】中国史上で最も偉大な医学者・薬物学者で、薬王とも称される孫思邈(そんしばく)は、現在の陝西省銅川市耀州区の出身で、141年の生涯を終えました。

 彼は、三つの王朝を生きました。しかし名声や物質的な富には、ほとんど関心がありませんでした。北周の宣帝と景帝は彼を官吏に招き、隋の文帝は彼に国子戊子(皇帝の博士号)を与えようとしましたが、彼は辞退しました。そして「50年後、偉大な賢人が現れる。私はその賢人が人々を救うのを手伝う」と親しい人たちによく話していました。

 唐の太宗が即位すると、彼を宮廷に招きました。その洗練された物腰と若々しい容姿に感銘を受けた太宗は「あなたを見ていると、道というものは本当に立派で、羨門(せんもん)や広成子(こうせいし)といった仙人が確かに存在すると分かります」と言いました。太宗は官職を与えようとしましたが、彼は道を究めて人を救いたいと言って辞退しました。

 彼は生涯を通じて徳を重んじ、医術で人々を救いました。人の命を大切にし、その著書のタイトルを『千金要方』としました。『千金要方』にはこう記されています。「徳を積んで善行に励まなければ、いくら最高の薬やサプリメントを飲んでも、長寿には至らない。徳を積めば、祈らずして福を得、追わずして長寿を得ることができる」

 盗賊との出会い

 隋の末期に戦争が起こり、社会は混乱していました。孫氏は旅を続け、患者を治療していました。

 ある時、九江(現在の江西省)に着いた孫氏は、盗賊たちと出会いました。孫氏のことをスパイだと思った彼らは、孫氏を縛り上げて盗賊の頭のところへ連れて行きました。

 「私はスパイではありません。70代の医者です」と孫氏。皆が驚きました。盗賊は「30〜40歳にしか見えない。本当に医者か? もしかしたら・・・仙人ですか?」と問いました。すると孫氏は盗賊の頭に「あなたには持病があるでしょう」と聞きました。盗賊の頭は「自分の体は強いし、とても元気だ」と答え、孫氏の言ったことを気にしませんでした。

 しかし孫氏は続けました。「本当に元気であれば、どうしていろんな病状があるのでしょう? 胸やお腹が腫れている感覚があるでしょう? 便が乾いていて、頻繁に尿意を催しているでしょう? 不眠、朝の口の中の苦味、歯茎の出血などはありませんか?」 

 自分の症状を正確に説明されてショックを受けた盗賊の頭は、孫氏が普通の医者ではないと理解しました。

 盗賊の頭の兄弟が重病にかかりました。治療に必要なのは高麗人参でしたが、この山では採れません。どこか別の場所で手に入れなければなりませんでした。

 孫氏がそのことを説明すると、盗賊の頭は「盗んでこよう」と言い出しました。孫氏は「それはいけません。人の命を救うために、悪いことをしてはいけません」と説明しました。しかし高麗人参のような高価なものを買う資金がなかったので、孫氏は山を出て手に入れる方法を探すと言いました。

 孫氏が帰ってこないのではないかと心配した盗賊の頭は、6日後に戻ってくるようにと人を付き添わせました。人の命を救うためなので、孫氏は、期限には戻ると約束しました。

 山のふもとには、高麗人参を売る漢方薬局がありました。孫氏は、高麗人参と引き換えに、3日間、店で患者を診させてほしいと頼みました。店主は店員を呼んで孫氏の腕を試しました。孫氏は、店員の胃は3年前から冷えて満腹感があると診断し、店員はその通りだと認めました。孫氏の腕前に感心した店主は、孫氏が8日間患者を診ないと高麗人参を渡せないと言いました。孫氏は6日という期限を踏まえ、6日間残業して8日分の仕事をこなすことにしました。店主も納得してくれました。

 孫氏が治療を始めると、様々な体調不良を訴える人が増えてきました。3日後には、この半年間を上回る売り上げがありました。患者が増えてくると、店の閉店時間はとても遅くなりました。孫氏はとても疲れていましたが、それでも続けました。店主は大金を稼ぎ、大きな袋に入れて保管しなければならなくなりました。

 6日後、孫氏は高麗人参を持って山に戻ってきました。それを聞いた盗賊の頭は、報酬を出しました。患者は薬を飲むとすぐに良くなりました。孫氏は盗賊頭に感謝しましたが、報酬は断りました。ただ、山を出て県長を訪ねたいと言いました。孫氏の倫理観に感動した盗賊の頭は、それを承諾しました。

 混乱した時代でも孫氏がいつも通りに患者を治療していたのは、立派なことでした。さらに孫氏は、その行動を通して、盗人には盗みをしないという善良さを、地元の人々には漢方薬の奇跡的な効果を教えたのです。人の命の尊さを説く孫氏の言葉は、彼の行動に反映されていました。泥棒の頭、泥棒たちとその家族、店の主人、村人など、関わった人々に影響を与えました。このような優しさと犠牲は、ほとんど前例がありません。

 名医はひたむきで真摯

 孫氏は、焦作地区(現在の河南省)で20年以上も診療を続けていました。村の質素な家に住み、玄関に机を置きました。そして患者を机の反対側に座らせていました。診察料は、薬代程度の少額です。貧しい人には、何も取らずに無料で治療しました。

 孫氏が言うには「患者の前では、大声で笑ったり話したりしません。一人が苦しめば、家族全員が不幸になりますが、患者は常に痛みを抱えているかもしれないのです。医者が不用意に楽しんだり、うぬぼれたりすると、人も神も許せなくなります」

 孫氏の名声が高まるにつれ、多くの人々が孫氏の治療を求めてやってきました。遠くから訪れる患者のために、孫氏は、ある場所にしばらく滞在すると、また別の場所に移動することが多かったそうです。そうすれば、より多くの人が治療を受けやすくなるからです。

 孫氏は「大医精誠」(名医とは、ひたむきで誠実である)という文章でこう書いています。「名医が病気を治すときは、冷静に判断し、何の欲望も要求もなく、社会的地位や富、年齢、職業、確執、交友関係、倫理観、知性などに関係なく、すべての人を大いなる思いやりをもって救うことを誓います。誰もが身近な家族と同様に扱われるべきなのです」

 また、「人の命は尊く、千金の価値があります」とも書いています。「処方箋で一人の命を救うことができれば、その功徳は計り知れません」

 彼の著書のタイトルにはすべて「千金」と付けられています。そして自分の住居の近くにある石碑に、一般的な病気の処方を記しました。人々が無料で参照できるようにしたのです。

 中国の伝統的な文化では、道徳的価値や神への敬意が重視されています。孫氏の「健康と幸福は徳に由来する」という考えは、それをさらに推し進め、後世に長く伝えられました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/10/421922.html)