大法を修煉して新生し、親族らは恩を感じる
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文/中国の大法弟子 回帰

 【明慧日本2024年1月4日】私が7歳で小学校に入学した頃、中国共産党による「文化大革命」が始まりました。私の両親は知識のある幹部でしたが、交互に批判闘争されて拘束され、我が家は恐怖に包まれていました。その時、学校ではまったく授業が行われず、今日はこの人を打倒し、明日はあの人を打倒していました。ある日、赤い腕章をつけた頭目が私が手にした毛沢東の「小紅書」の白いページに適当に描いた絵を見て、一気に顔に階級の恨みが広がりました。担任の先生が仲裁してくれなかったら、私は危うく小さな「反革命分子」になるところでした。

 その時期、私はびくびくしていました。赤い恐怖、党文化の雰囲気の中で生きていたため、小さな心が歪められ、無自覚に冷淡で利己的な人に変わり、他人のために考えず、気に入らないことがあればすぐに怒るようになり、結婚後も家庭に多くの不愉快をもたらしました。人生には個人の幸福を追求し、絶え間なく手に入れていくことだと考え、道徳的に腐敗した流れの中でますます遠く離れて行ってしまいました。時折、良知は私にこうして生きてはいけないと感じさせました。では、一体どのように生きるべきなのでしょうか。私は苦しみながら模索していました。

 姑の佛教の書籍も含め、私は様々な本を読むことが好きで、人生の意味について考えていました。1995年、私は幸運にも貴重な書籍『轉法輪』を手に入れました。ほぼ一日時間をかけて、私はその書籍を読み通し、解決できなかった多くの疑問が解明され私は驚きました。これこそが私が求めていたものなのです! それ以来、私は修煉を始め、すぐに心身ともに大きな変化が現れました。

 大法は私に人に親切に接するよう教えた

 私は善い人になることから始めました。私は姑と一緒に住んでいました。以前姑が息子(私の夫)を偏愛して、いつも口実を見つけて夫が家事をするのを妨げていたので、私は非常に不快でした。最も我慢できなかったのは姑の「麻雀癖」でした。姑は麻雀が大好きで、祝日や金曜日になると他の子女たちに電話をかけ、休日に家に来て彼女と麻雀で遊ぶよう誘いました。時折、連続して深夜まで遊ぶこともあり、一度は私が朝に仕事に行く時間まで遊んでしまったこともありました。さらに新年の時になると5、6日も麻雀卓から離れることなく遊んでいました。私は休むことができず、彼らに食事を提供しなければならず、家族全員、少なくても6〜7人、多くて10人以上の食事をほぼ私が一人で作っていました。口では何も言わなかったのですが、心の中ではいつも不平に思い、その不満の表情がよく顔に現れていました。また、大人はまだいいのですが、連れて来た子供たちが時折私を困らせ、私を怒らせました。私は怒りだすと、部屋いっぱいに散らかっているおもちゃをまるごとごみ捨て場に投げ込みました。そのため、子供たちは常に私に気をつけながら遊ばなければならなかったのです。ほぼ毎年、年越しの時には不愉快な出来事が起こりました。みんなが家に帰ると、姑は病気になり、横になって「遊び疲れた、次回はこんなふうには遊ばない」と自分で呟きます。しかし、次回も同じように繰り返します。

 法輪大法の貴重な書籍『轉法輪』を真面目に学び始めた時、私はまだ自分を修めることができず、ただ「善」になるべきで、他人に親切に接するべきであることを知っていました。姑は70歳を超えており、孤独を怖れており、姑に親切に接するべきでした。姑は子女たちと一緒にいる時間が必要であり、姑を理解し寛容でいる必要がありました。ただそうしようと思っただけで、私は本当に怒らなくなりました。このすべてに対して、淡々と対応できるようになりました。私は姑と争うことなく、不平なく仕え、全ての家事を自ら進んで引き受けました。次第に親戚との関係も非常に睦まじくなり、家族が集まる時になるとみんなが家事を手伝ってくれるようになりました。その年の年越しの後、夫の一番上の兄夫婦はよそにある自宅に帰る前に「これらの年越しのなか、今年は家の雰囲気が最高だったよ。これまでにないほど楽しかったよ。法輪功は本当に素晴らしい!」と心から言ってくれました。

 いつの間にか、姑は不平を言い始めました。子女らが自分のことを気にかけていないと言い始めました。それで私はやっと、その間、夫の兄弟らが麻雀を打ちにこなくなったことに気づきました。姑は何度も電話で誰かに遊びに来てもらおうとしましたが、誰も来ませんでした。誰も時間がないと言っていました。姑は私に「何でそんなに忙しいの! ただ来たくないだけよ!」と言いました。時間が経つにつれ、姑も麻雀に対する興味をなくし、私も法を学ぶ時間が増えました。姑は佛教を信仰しています。私は姑に師父の法を読んであげました。姑は大法が素晴らしいと認めています。自分が信仰している宗教を手放すことはできませんが、私の修煉を非常に支持してくれています。発正念の時間になると、姑は私に時間だと教えてくれます。また、よく隣人の前で「大法に対する感謝の気持ちでいっぱいです!」と隣人の前で私を褒めました。

 大法の恩に対する親族からの感謝

 私の夫は私の心身の変化を見て、私の修煉を強く支持しています。しかし夫は現代の教育を受けており、神を信じていません。一度はなんと師父の写真に冗談を言ったことがありました。そして、家を出たら、スズメバチに刺され、唇に大きな腫れができました。夫は急いで家に帰ってきて師父に謝罪し、その後は師父に対して不敬な言葉を口にしなくなりました。当時、私たちの煉功点は、大きな会議室を借りて法を学んでいました。時には法を学び終わった際に、雨が降ることがありましたが、その時になると夫は傘を差して私を迎えに来ることがありました。夫は人々の前で大声で「李先生に傘を送るように頼まれた!」と私に伝えました。同修たちはみんな心ゆくまで笑っていました。迫害が始まったとき、「610弁公室」と夫の職場からは私に修煉を放棄させるよう夫に圧力がかかって来ました。しかし、夫は「俺にはどうしようもない。妻は良い人になろうとしている。俺も学びたいが、俺は学べない。俺は飲み食い・女遊び・賭博などすべてが好きだ。俺はいい人じゃないから学べないんだ」と答えて拒否しました。夫に対するプレッシャーをかけようとした人たちはみんな窮地に追い込まれました。

 後に私は不当に労働教育を強いられました。夫は(強制)労働教養所が私たち大法弟子に対して行っている迫害を知り、労働教養所の入り口に駆けつけ、所長と隊長の名前を呼び、怒りを露わにし、「皆、出てきてよく聞け! 私の嫁に手を出すものがいたら、お前たちの家族全員を見逃さないぞ!」と叫びました。その結果、庭にいた警官たちは一斉にビルに逃げ込み、窓に頭を並べて夫の様子を見ていました。その後、夫に「怖くなかったの?」と尋ねると、「師父が私を保護してくださるから、まったく怖くなかった」と答えてくれました。それから数日も経たないうちに、労働教養所は夫を地元の派出所(警察署)に誣告しました。しかし、師父の保護のもと、夫は無事に帰宅しました。その後、夫は自分の従事している専門分野で成果を上げました。夫は「法輪大法大法から恩恵を受けた!」と公に言いました。

 私が不当に拘束されていた間のことです。姑は年を取り、夫は家事ができないし、子供は中学校に入りました。夫の一番上の姉が我が家のすべてを引き受け、姑と子供の面倒をしっかりみてくれました。また黙々と私のために、一部の法輪大法の書籍を守ってくれました。彼女(夫の一番上の姉)は法輪大法の素晴らしさを自分の友達に伝え、大法が迫害されていることも告げました。後に彼女(夫の一番上の姉)は福報があったとよく私に話してくれました。一度、夫の一番上の兄夫婦がよそから我が家にやってきました。ちょうど私が真相資料を配りにでかける準備をしていたところでした。夫の一番上の兄の妻は自ら私のために資料をバッグに詰めてくれ、少し徳を積むと言いました。夫の弟の妻はいつも笑顔で「私は知っています、法輪大法大法は絶対に素晴らしいです!」と言いました。夫の妹も私を支持してくれています。

 私が不当に拘束されている間、面会が許されなかったのですが、親族がみんなで私に会いに行く方法を考えました。私に大法の修煉を放棄するよう説得しようとする人は一人もいませんでした。同時に、彼らは経済的にも私を助けてくれました。私が受けとらないと、彼らはお金を置いて去りました。これは親族らが大法から恩恵を受けたため、その恩に感謝していることであることを知っています。

 二十数年にわたる弾圧にもかかわらず、大法弟子は倒れませんでした! 慈悲深くて偉大な師父は、衆生を壊滅の淵から引き上げ、きれいに洗い、衆生の造り出したすべての罪業を引き受け、私たちを無限の明るい大道へと導いてくださいました!  師父のご恩に感謝致します!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/1/469395.html)
 
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