法を書き写す中で向上する
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文/中国遼寧省の大法弟子 蘭真

 【明慧日本2024年1月5日】修煉を始めてから、私は真に修める合格した大法弟子になりたいと心から思っていました。しかし、どうしても自分を法に溶け込ませることができないと感じ、悩んでいました。明慧ネットの交流文章を読むと、同修たちは法を暗唱したり、法を書き写すことが修煉の向上に非常に助けになると言っていました。そこで私も、『轉法輪』を書き写し始めることにしました。その過程で、法を書き写すことが、私の修煉において非常に大きな効果をもたらしていることを強く感じています。以下、私が法を書き写すことを通じて得たいくつかの体験をシェアしたいと思います。

 法を書き写すことによって、私は師と大法に対してさらに信じるようになる

 法を書き写すことを始める前の私は、自分の修煉に対して自信がありませんでした。自分はこれもできないし、あれもできないと自分を卑下していました。しかし、『轉法輪』を書き写すなか、「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です」という部分を書き写す時、私は悟りました。なるほど自分の「これもできないし、あれもなし遂げられない」という考えは、師と法を信じていない表れだったのです。私は大法弟子であり、自分にできないことも努力すれば師父が助けてくださる。私はただ師父と大法を信じるだけでよい。できないというあの考えは本当の私ではなく、後天的な観念であり、それは必要ないものです。見えなくても、私は師父がいつも側にいてくださると感じることができます。

 今年の春、私がプリンターを購入するのを同修が手伝ってくれたので、我が家でも資料作成ができるようになりました。一度真相資料を印刷しているとき、私の操作ミスでプリンターが動かなくなり、紙が詰まってしまいました。当時は技術担当の同修も見つからない状況でした。切羽詰まったなか、私は師父に助けを求めました。すると、その詰まった紙が一瞬で出てきました。しかし、プリンターはまだ動きませんでした。その時、私はプリンターに向かって言いました。「ごめんなさい、私が焦って操作ミスをしたからです。私は間違えました。これ以上このようなミスはしないとお約束します。どうか正常に戻ってください」その後、師父の説法録音をプリンターと一緒に聞きました。一講を聞いた後、プリンターを再起動すると、すべてが正常に戻りました。その時、私は感動して涙が流れました。師父は、弟子が師と法を信じるその心を見ておられるのです。

 法を書き写すことによって、非常に深く隠れた嫉妬心を見つける

 法を書き写すことを始める前、私は問題に直面すると常に「誰が間違っているのか」を争うことが好きで、他人と話す際も相手が言い終わる前に口を挟むことがよくありました。同修と交流する際も、自分の認識を現すことを好んでおり、自分もこのような振舞いが良くないことはわかっていました。何回も内に向けて探してみましたが、顕示心、闘争心、さまざまな人心を見つけても、それを完全に修めることができませんでした。

 しかし、『轉法輪』を書き写していく中で、「気功師が講習会を開いても、そこに坐って聞いている人の中には、『なにが気功師だ。言っているのは俺が聞きたくもないことばかりだ』と認めようとしない人もいます」という部分まで進んだ時、私は悟りました。なるほど、私が完全に修めることができなかったこれらの短所、その根本は嫉妬心だったのです。他人が私の言うようにうまく言えない、正しく言えないと感じるからこそ、私は他人の話を奪い取ってしまうのです。これは他人を尊重せず、他人を見下す行動です。これらを認識したとき、私の心はまるで窓が開いたかのように一気に明るくなり、その心情は言葉では表現できないものでした。私は、師父が私の傲慢で自己陶酔的で、自分が優れていると思っていた嫉妬心を取り除いてくださったと知りました。以後、問題にぶつかるたびに、自分の心がどのように動いているかを見つめ、大法の基準に合致しているかどうかを確認し、人の言葉を奪い取って自分の考えを表現することを避けるようになりました。

 法を書き写すことによって、法に溶け込む

 法を書き写すことを始める前、私は他人に助けを求めたときに「ありがとう」と言いませんでした。他人の欠点ばかりを見て指摘する癖があり、自分は他人のためにやっていると思っていました。また性格が特にせっかちで、軽率で、不真面目なのです。これは学びが足りず、礼儀を知らない、修煉が足りないからだとずっと思っていました。

 法を書き写す際、自分に厳しく要求し、両足を組んで、師と法を敬うよう心がけ、急がずに一句を覚えてからそれを書き写しました。徐々に法を持って自分の言動で照らし、法に基づいて修煉するとは何かを理解でき、大法を持って自分の考えを正すことを学びました。

 家事をしながら、「党文化を解体する」などの録音を聞き、自分の言動に照らし合わせ、どれが党文化なのかを見分けました。「ありがとう」と言わないし、他人の欠点ばかり見るのは、善の心がなく感謝の心がないからであり、人を懲らしめるという党文化の影響を受けていることを認識できました。そして徐々に、周りの人たちは皆素晴らしいし、それぞれが輝きを持っており、誰が良くて誰が悪いかの問題は存在しないことに気づきました。同修の交流文章に書かれていた、「信仰の世界のなかで、あなたの周りにいる人は全員恩を感じるべき人であり、全員あなたを成就させている」という言葉の意味を感じ取れるようになりました。私は穏やかで平和になり、行動も落ち着きました。周りの同修たちはこの2年間、私の変化があまりにも大きいと言っています。私は自分の変化は大法から来ており、宇宙大法が私を熔煉してくださっていることを知っています。

 結び

 法を書き写すことを通じて、私は修煉に対して非常に確固たる信念を持つようになりました。自分が法の要求からまだ遠く離れていることを自覚しています。しかし、私は確信しています。私が着実に修煉し続けることができれば、必ず人間のこの殻を抜け出し、師父と共に家に帰ることができるということを。

 師父の恩に感謝いたします!

 同修のみなさんに感謝いたします!

 合掌

 以上、現段階での僅かな体験について、同修のみなさんと交流しました。不適切な点があれば、どうぞご指摘ください。

 (編集担当者:文謙)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/12/30/469205.html)
 
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