大法を修煉して どら息子が改心する
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 文/中国遼寧省の大法弟子 

 【明慧日本2024年1月5日】私は1995年末に幸運にも法輪大法の修煉を始めた田舎の人間です。長い間、私は師父の慈悲なるご加護と自身の悟りの下、様々な困難を乗り越えて今日まで歩んできました。自分の長年にわたる一部の修煉体験と心の歩みを、師父に報告し、同修のみなさんと共有したいと思います。

 1、 辛い過去を振り返る

 中国共産党(以下、中共)による伝統的な道徳や文化の破壊、及び人々に注いだ変異した「偽、悪、争」という党文化により、数世代の中国人が害されました。私もその中の1人です。修煉を始める前、私は威勢を張ってすぐ殴りかかる者が偉く、横暴である人が英雄で、弱い者が卑しい存在であると信じていました。人に虐げられないことを人生の目標と考え、生まれつきの善良な天性を失い、是非を見出す能力を失い、多くの誤った行動をしてしまいました。

 私の父は「第四類要素(地主・富農・反革命・悪質分子)」として分類されたため、中共の鎮圧と闘争の対象となっていました。幼い頃、父がよく批判闘争され、家族全体が邪悪な恐怖に覆われていたことを覚えています。このような家庭だったため、地位が低く、頻繁に人に虐げられていました。このような家庭に生まれたため、私は非常に不幸だと感じ、心が大きく傷つけられました。

 私は次第に成長し、運命に対抗し、現状を変えることを決意しました。小学校と中学校の時、私をいじめる同級生がいたら、私は彼らと喧嘩をしました。私は勉強が得意でした。中学生のとき、四つのクラスがあり、各クラスから10人ずつ数学の得意な学生を選んで、その40人で数学競技を行いましたが、私は1位を取りました。次の学年になると、私は中途で学校を辞めることになりました。理由は同級生との喧嘩で、私と喧嘩をした人が社会人を使って私を威嚇したため、私は怖くなって学校に行くことができなくなったからです。

 学校を辞めた後、私は社会に足を踏み入れました。私の兄をいじめた人々に遭遇した時、私は彼らと大喧嘩をしました。私は気性が荒く、短気で、占い師によれば私の命には三層の火があり、怒りっぽい性格で、火をつけると爆発するということでした。私が喧嘩をすると、親も手に負えませんでした。私の手口はあくどく、容赦なく手を下し、喧嘩をすると後のことを考えずに、命をかけて殴り、多くの有名なならず者も服従させました。それ以来、私は地元で悪名高く、誰もが私に手を出すことを恐れるようになりました。

 その後、私はまともでない友人を作り、多くの悪い習慣に染まりました。喫煙、飲酒、ギャンブル、一日中何もせずに遊んでいて、まともな仕事に従事しませんでした。時流に乗り、アフロパーマをかけ、ベルボトムをはいて、ラジカセを持ち歩き、暇なときはディスコダンスを踊り、一日中遊んで暮らしていました。

 一日にタバコを2箱吸い、白酒を1キロ以上飲んで、けんかは日常茶飯事で、賭博に熱中してしまい、抜け出せませんでした。ポーカーで7000元(現在の十数万元に相当)負け、家の蓄えを使い果たし、多額の借金を抱えました。ギャンブルが原因で妻とよく口論しました。母は私に悩まされ、私は家族の心を大きく傷つけました。

 2、幸運にも法を得る

 1995年、法輪大法が私たちの村にやってきました。機縁が熟しました。当時、私は他人の家でギャンブルをしていました。ポーカーで脛押しをやっていました。誰かが「法輪功はかなり不思議だ。病人に本を読んであげると、病状が良くなることがあった」と言っているのが聞こえました。私は興味津々で、見に行くことにしました。私は以前に気功を練習したことがあり、気功の超常現象には大変興味がありました。

 行ってみると、法輪功を広めていた人はもういなかったのです。そこで病気の子供が良くなったと聞きました。私は心の中で「この功法は本当に不思議だ」と思い、教えに来たのは誰かと聞きました。なるほど、その人は市内に住んでいる私の叔父の娘で、叔父の家に帰ったみたいでした。以前私たちは一緒にほかの気功をやったことがありました。私は叔父の家に行きました。入口のドアを押してみたら、ドアが閉まっていました。私は塀を乗り越えて中に入りました。中に入ると、テレビでビデオを再生していました。叔父の娘(姉)は私が来たのを見て、特に喜んで、「あなたが来てくれて本当に良かった、あなたは本当に縁があるんだね! 他の功法をやめなさいよ。この功法は他のどの功法よりも優れている。高いところからスタートし、功が速く現れる。あなたも法輪功をやってね!」と言いました。そして、私は席を探して座って、師父の説法ビデオを観始めました。

 私は聞けば聞くほど聞きたくなりました。師父の語る博大で奥深い法理に打ち負かされました。多くの人生の疑問が回答され、人生の真の意味は返本帰真であることを知り、これこそが私が長年探し求めていたものだと知りました。このような優れた功法に巡り会えて、私は本当に幸運だと思いました。私はついに真の師父を見つけることができました。その時私は言葉では言い表せないほど感動していました。私は心に決めました。必ず師父について最後まで修煉することを決意しました。自分の過去の行いが大法の法理に背き、無知な状態で業を作り、人を傷つけ、自分を傷つけたことを考えると、私はこれからは悪を捨てて善を取り、悔い改め、宇宙の特性である真・善・忍の基準に従って行動し、良い人になり、合格した修煉者になり、大法に泥を塗ることがないよう心がけることを決意しました。

 法を学び、煉功することを通じて、私の心身は大きく変化しました。身体は健康になり、心は浄化され、心性もどんどん向上して行きました。喫煙や飲酒といった悪い癖もやめました。友人らが会うたびにタバコをくれても、吸わずに我慢しました。お酒を勧められても我慢しました。以前はギャンブルのために妻とよく喧嘩していましたが、今はギャンブルをやめ、夫婦仲も睦まじくなり、喧嘩もしません。

 私は以前、言葉が荒っぽく、目ををつり上げしかめっ面をしていました。今では人と話す時は、にこにこして愛想良く、他人に親切に接するようになりました。かつては農業をしないでギャンブルを職業としていましたが、今は畑を耕し、真面目に働いています。村の人たちは私について、「まるで別人になったみたいだ、法輪功を学んで良くなった」と言っています。

 以前は名利をとても重視していましたが、大法を修煉した後はそれを淡々と見るようになりました。一度、私は車で二つ上の兄の家に藁ごもを運んで行きました。途中で3000元以上の現金を拾いました。当時、私はそのお金を拾って嬉しくなりました。しかし後になって、自分は修煉者である、師父は私たちに良い人であるようにと教えてくださった、私は不義のお金を自分のものにしてはならないと思いました。そして、拾った場所で落とし主が戻ってくるのを待ちました。しばらくすると、落とし主があわてて戻ってきて、私が持っているお金を見ると「これは私が落としたお金です。お米を売ったお金が5000元以上もありました。自転車で帰宅中、後ろのポケットから落ちてしまったので、急いで探しに戻ってきました」と言いました。私はお金をその人に返しました。落とし主は感動して「ありがとう! ありがとう!」と言いました。私は「私に感謝する必要はありません、感謝するなら、大法の師父に感謝してください。師父が私にこうするように教えてくださいました。私が法輪功を修煉していなかったら、このようにしないで、お金を持ってカルタ遊びに行ったはずです」と伝えました。

 また一度、私は農機商店で反射鏡を買いました。反射鏡は1つ12元でした。私は店員に20元を渡しました。しかし、店員は私に88元のおつりを渡してくれました。私は「おつりが多い」と言いました。店員は「ああ! あなたは50元を支払ってくれましたね」と言いました。私は「私は20元を支払ったので、おつりは8元です」と言いました。その店員は感動して言いました。「今の社会ではあなたのような良い人は少ないですね」私は「私は法輪功を修煉しています」と答えました。このようにお釣りを多くもらったことは何回もありました。私はいずれも心性を守り、淡々と相手に返しました。

 ある日、道路を曲がる所に大きな石があり、通行する車にとって非常に大きな危険でしたが、誰も気にかけていませんでした。私は車を停めて、とても苦労をしてやっとその石を動かして行き、危険を取り除きました。時には車を運転している途中、手を振って便乗を求める人がいますが、老若男女を問わず、私は彼らを乗せてあげています。お金をくれる人もいますが、私はそれを受け取りません。「ついでに乗せてあげるだけで、私は何も損をしていないので、お金はいりません。出会いは縁だから」と言います。「あなたは本当に優しい人ですね」と言う人もいます。私は「私は法輪大法を修煉しています」と答え、相手に法輪大法の素晴らしさを伝え、中共のテレビメディアの嘘に騙されないように真相を伝え、三退(中国共産党、共青団、少先隊からの脱退)を勧めています。彼らはみんな喜んで三退しますし、効果もとてもよかったです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/1/469617.html)
 
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