【明慧日本2024年1月7日】四川省泸州市の納溪区在住の法輪功学習者・巫德蓉さん(73)は、昨年3月下旬に警察に連行され、不当に留置場に収容されていた。そして最近、巫さんが納溪区裁判所によって不当に4年の刑を宣告されたと分かった。巫さんの家族が留置場を訪れたところ、巫さんは刑務所に連行されていたという。巫さんの冤罪についての詳細は調査中。巫さんが不当に実刑判決を言い渡されたのは、今回で三度目である。
巫さんは、法輪功を修煉する前、鼻炎、鼻がん、腎炎、頭痛、皮膚病などの様々な病気に苦しんでいた。しかし1999年6月に法輪功の修煉を始め、わずか1カ月で全身の病状が消え、病院で検査したところ、すべての症状がなくなっていた。
中国共産党(以下、中共)が1999年に法輪功を迫害し始めて以来、巫さんは何度も中共のメンバーによって連行され、家宅捜索を受け、拘束された。そして洗脳クラスに2年8カ月間、強制労働に1年3カ月間、違法な判決2回で計6年半、合計で不当に拘禁された期間は10年8カ月に及んだ。
中共による迫害の経緯
2000年12月30日、巫德容さんは泸州で働いていた。しかし納溪の新樂郷派出所の警官に連行され、納溪区の穀物駅で違法に拘禁された。警察側によると拘禁の名目は、巫さんが北京に陳情するのを防ぐためだという。2001年1月3日の朝、納溪の新樂派出所の警官2人が巫さんの家に不当に押し入り、寝室のドアをこじ開け、法輪功の書籍やMP3、スピーカーを盗み、さらに1,500元も盗んだ。そして警官は、巫さんの夫の勤務先に電話をかけ、巫さんの夫を解雇するよう強要した。その結果、巫さん一家の生活は困難な状況に直面した。
2001年1月、巫さんは納溪の610弁公室のメンバーによって納溪区の穀物駅で連行され、洗脳クラスで迫害を受けた。洗脳クラスで違法に2年8カ月間拘禁されたが、6回の移動があり、家族との連絡が取れなくなった。その迫害は、2003年8月に洗脳クラスが解体されるまで続いていた。
2004年3月7日、巫さんは再び地元の警察に連行され、資中楠木寺女子労働教養所に収監された。検査で高血圧が判明したために労働教養所は受け入れを拒否したが、警察は巫さんを置いて去った。巫さんは違法に1年3カ月間の強制労働を受け、長時間の「軍隊の態勢での起立」、睡眠の剥奪、走り続けさせる罰、過重な労働など、残酷な拷問にさらされた。巫さんは何度も衰弱して倒れたが、強制的に引き起こされ、立たせられ続けた。
2008年9月10日、巫さんは他の6人の法輪功学習者とともに合江県で法輪功迫害の実態が書かれた資料を配布中に、地元の警察に連行され、留置場に不当に拘束された。その間、巫さんは厳重に監視された独房に収監され、四肢は「死人ベッド」と呼ばれる拘束を受けた。室内に陽光がなく、床には血の跡がいっぱいで、禁錮と拷問を48日間受け続けた。
拷問のイメージ図:死人ベッド(身体を大の字に束縛) |
2009年3月25日、巫さんを含む6人の法輪功学習者が合江県検察院によって不当に起訴された。そして2009年6月15日、合江県裁判所によって不当に有罪判決を受けた。巫さんは3年6カ月の刑を宣告され、女子刑務所に収監されて迫害を受けた。
2015年12月16日の午後、巫さんは納溪区新樂郷の政府関係者からの電話を受け、廃品を受け取りに行くようにと指示された。廃品を受け取ると、10人以上の官吏によって安富派出所に連行された。午後5時、巫さんの家は違法に捜査され、巫さんは安富派出所の警官によって不当に拘束され、夜8時頃にようやく家に帰ることができた。
2017年9月18日の夜、巫さんは自宅から警官に連行され、家宅捜索を受け、不当に留置場に収監された。納溪区の610弁公室のメンバーである陳文剛は、巫さんが毎朝5時頃にゴミを拾いに行く時に、法輪功迫害の実態が書かれた貼り紙を巫さんが貼ったと主張し、これを理由に司法的な迫害を行った。2018年12月4日、巫さんは納溪区裁判所によって違法に3年の刑を宣告され、罰金5000元を科された。そして2019年初に成都龍泉女子刑務所に拘禁された(刑期は2021年9月17日まで)。
巫さんは、刑務所から出所してから1年半で再び警察に連行された。2023年3月27日から3月30日までの間に巫さんは突然連行され、留置場に違法に収監された。その後の情報はなかったが、最近になって巫さんが既に納溪区裁判所によって違法に刑を下されていると判明した(経緯、詳細は不明。情報をお持ちの方々は、迫害に加担した当局の関係者を明らかにしてください)。