85歳の学習者・于恵莉さん、不当に留置場に拘禁
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 【明慧日本2024年1月7日】2023年7月28日、85歳の青島市南区の法輪功学習者・于恵莉さん(85歳)は2023年7月28日、青島市拘置所に不当に拘留た。1カ月後、干さんは済南刑務所に移送された。

 理由は13年前、于恵莉さんが法輪功迫害の実態を伝える3通の手紙を送った時、警官に尾行されて、連行され、その後罪に陥れられ起訴された。10年後、裁判所の開廷もなく、弁護士も依頼できず、不当に懲役3年の実刑判決を言い渡され、さらに3年経った今、連行され刑務所に拘禁された。

 于恵莉さんは1938年2月10日生まれ、実家は青島市南区にある。法輪大法を修煉する前、于恵莉さんは多くの病気を患っていたため、医者もどうしようもなかった。1996年、彼女は法輪大法を修煉し始めた、『轉法輪』は于さんの人生に対する疑惑を解決することができた。干さんは持病が消えただけでなく、性格も朗らかになった。日常生活において真・善・忍を基準に自らを要求し、できる限り他人や社会のために良いことをし、得ることや失うことを気にしていないため、友達や同僚の信用を得た。

 善を持って真相を伝える

 2010年4月30日の午前中、于恵莉さんは青島市南京路の郵便局で真相を説明する手紙を出していたところ、尾行していた警官に、金湖路派出所まで連行された。警官は彼女に「何をしているの?」と聞き、于恵莉さんは「人を救っているのです」と答えた。警官は「当局の組織はあなたのことを何年も追跡していた」と言いながら、体をボディーチェックし、写真を撮ったり、さらに彼女の自宅の鍵を強制的に奪ったりした。

 その後、警官は于恵莉さんに対して不当に家宅捜索を行い、3500元の現金を強請し、法輪功の書籍や、私物のDVDディスクを押収した。マンションの管理者によると、警官が押収した私物は大きなレジャーバッグ5個分あったと言った。警官は干さんを強制的に健康診断を受けさせて、脅迫したり、騙したり、色々な方法を用いて于恵莉さんに危害を加えようとした。夜まで続き、于恵莉さんは意識を失って倒れ、救急車で401病院まで運ばれた。その後警官は彼女を家に帰らせた。

 帰った後、于恵莉さんは監視された。警官は于恵莉さんの娘に3000元の保釈料金を払わせて、娘に再び圧力を与えた。于恵莉さんの娘は何年間の間に渡って圧力を受けたため、やむなく于恵莉さんを家から追い出した。于恵莉さんは長期的に家に戻れなくなった。

 その後、青島市南区の検察庁は2011年10月19日と2012年12月18日、2回「法律を破壊する実施罪」と言う理由で于恵莉さんを起訴しようとしたが、于恵莉さんは自ら罪がないため、出廷を断り、さらに加害者は法律に違反していると言うことを指摘した。結局起訴はやめた。その後、警官は娘の会社に嫌がらせをした。

 弁護士がいなく、開廷もせず、3年間の実刑判決を言い渡された

 于恵莉さんは連行された10年後、2020年の夏のある日、金湖路派出所の警官から、于恵莉さんに来るように要求した。結局、警官は82歳の于恵莉さんを青島市南区裁判所に移送し、3年間の実刑判決を言い渡した。

 于恵莉さんは片方の耳が聞こえなくなり、判決ははっきり聞こえておらず、いつ宣告したのかも知らなかった。家族もおらず、弁護士にも知らせず、于恵莉さんだけに知らせただけである。結果を知った于恵莉さんは、真相を暴露する手紙を書いて、南区裁判所と金湖路派出所の関係者に送った。

 3年後、85歳の于恵莉さんは済南留置場に移送された

 3年後、2023年7月17日、金湖派出所の警官は于恵莉さんに健康診断を受けさせた。血圧は200mmHgであるにもかかわらず、警官は合格と言って、7月28日、85歳の于恵莉さんは青島市留置場に拘禁され、1カ月後、済南留置場まで移送された。

 法輪大法は于恵莉さんの生命を救えたけれど、迫害は受け続いている

 于恵莉さんは幼少期からさまざまな病気に悩まされていた。胃腸炎、頭痛、神経痛、肝機能の不調などがその一例である。大学に進学する際には、腎炎や婦人科疾患も診断された。卒業後、軍隊に入隊し、肝炎、気管支炎、皮膚病も患った。1969年に復員した後は、心臓病、風邪性関節炎、動脈硬化といった病気に苦しむことになり、要するに全身が病気に見舞われていた。

 于恵莉さんは家庭の事情が原因で、病痛に苦しんでいた。息切れ、頭痛、全身の浮腫、疲労感、動悸、不眠症、痛みが彼女を悩ませ、貧困で住む場所もなく、一般の人が想像することは難しいほどの悲惨で苦しい状況だった。医師たちは彼女の病気に手をこまねいていた。

 1996年2月、于恵莉さんは『轉法輪』を手に入れた。彼女が読むと、一生の疑問が解決され、宇宙の基準である「真、善、忍」が明らかにされた。于恵莉さんは感激の涙を流し、ついに生きていく方向を見つけ、修煉の道を歩き始めた。この時、彼女は山ほどの薬を他の人に寄付した。

 その後、于恵莉さんは一切の医療費をかけずに、体だけでなく精神も根本的に変化し、楽観的で明るい性格になった。真、善、忍の基準に従い、道徳を向上させ、他者や社会に有益なことをするように心がけ、得失を計らず良い人になった。友人や同僚から信頼と賞賛を受けた。

 したがって、隣近所や家族内で問題が発生すると、誰もが于恵莉さんに相談し、彼女は誠心誠意助言をした。人間関係の問題を法に基づき伝え、矛盾を解決し、怨みを取り除くお手伝いをした。修煉を通じて、于恵莉さんは社会、組織、家庭の負担を軽減し、利益をもたらした。

 1999年7月20日、江沢民は法輪功に対する弾圧と迫害を開始した。その時から、于恵莉さんは一日も平穏な生活を送れなかった。610弁公室、地方自治体、派出所、コミュニティ委員会、職場などが、「心遣い」を装い、元々平穏だった生活が影響を受け、家族が行き来し、電話が絶えず鳴り、外出時には尾行され、市の党委員会にまで監視され、干さんの職場の人々まで、誰もが于恵莉さんに「相談」を持ちかけ、実際は修煉を放棄させようとしていた。

 1999年12月15日、于恵莉さんは北京に陳情に行き、北京に到着した直後、青島に引き戻され、船を製造する会社のゲストハウスで不当に3日間拘束された。

 2001年2月17日から4月6日まで、于恵莉さんは市北区の「洗脳クラス」(ラバー第六工場のゲストハウスの2階)に連行された。同年7月5日、于恵莉さんは再びこの洗脳班に連行され(責任者は耿世駿、程智謀など)、7月15日までそこに拘禁された。最終的に、于恵莉さんは窓から飛び降りて脱走した。

 2002年2月25日の午後、地方自治体の担当者が于恵莉さんの家に押しかけ、不当に拘束し、夜明けまで拘束した。、翌日26日の朝、地方自治体の担当者と警官20人は于恵莉さんをパトカーで淄博の王村労働教養所に送られた。于恵莉さんの娘は母親を見つけることができず、夜8時になって、やっと労働教養所に拘束されていることを知り、非常に悲しんでいた。于恵莉さんの血圧が高すぎるという理由で、彼らは責任を負いたくないとして、3月18日に于恵莉さんを家に返した。

 何回も洗脳を受けた于恵莉さんは脅迫、誘惑、威嚇を受け、邪悪な嘘を注ぎ込まれ、法輪大法を汚蔑するビデオを強制的に見させられ、干さんは心身に大きな傷を負った。

 現在、85歳で一人で住んでいる于恵莉さんは、13年前の3通の善意と真実を伝える手紙により、邪悪な党の検察庁の検察官によって懲役3年の冤罪を受けた後、済南刑務所に拘禁されている。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/2/470531.html)
 
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