2024年 164人の法輪功学習者が中共の迫害によって死亡したことが判明(その四)
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 【明彗日本2025年1月19日】(前文に続く)

(三)度重なる迫害の事例

 事例1 4年間追われ、遼寧省北鎮市の崔亜軍さんは他界

 遼寧省錦州地区北鎮市の83歳の学習者・崔亜軍さんは、4年間にわたり不当に指名手配され、家と離れて放浪を余儀なくされた。崔さんは深刻な病状を呈しており、2024年12月に自宅に戻った。しかし、家に着くと、すでに北鎮の警察が待機しており、その夜、家族は崔さんを病院に運んだが、医師からは治療不能であると告げられた。自宅に戻った際、2人の警官も自宅で監視していた。崔さんは12月22日に無念のうちに亡くなった。

 事例2 14年拘禁された厖有さんは他界

'庞有'

厖有さん

 北京の学習者・有さんは法輪功を学び続けているとして、数回にわたって連行され、三度の不当な判決を受け、14年以上拘禁された。前衛刑務所と前進刑務所に拘禁されていたとき、手錠と足かせを繋がれて、「拘束衣」を着用させられ、強制灌食され、電気ショックを与えられるなどの拷問を受けた。2023年11月26日に解放され、家に帰ったが、極度に衰弱し、歩行困難になった。しかし、地元の警官はさんに対する嫌がらせを続けた。2024年4月9日、さんは他界した。享年61歳。

中共酷刑演示图:约束衣

中共の拷問イメージ図拘束衣

 中共が法輪功迫害を開始してから、当時の北京市の書記・劉淇は自らさんに対する迫害を指示した。

 さんは以前、北京市朝陽区洼里郷政府(オリンピック村)計画事務所の主任を務めたことがあり、その後、北京旭日不動産会社のマネージャーに就任した。

 事例3 電気ショック、熬鷹などの拷問を受けた山東省の許金栄さんは死亡

 山東省臨清市の学習者・許金栄さんは、かつて臨清市のボランティアとして、「法輪功輔導点」の責任者になっていた。1999年7.20から、中共が法輪功を弾圧し始めてから、許さんは数回にわたり、勤め先や派出所、610弁公室の人員により連行され、不当な拘束や強制洗脳、家宅捜索、労働教養処分などの迫害を受けた。山東女子労働教養所に拘禁されたとき、許さんは電気ショック、熬鷹「疲弊した鷹のこと」睡眠剥奪の拷問、長時間立たされるなどの拷問を受け九死に一生を得て2024年に釈放されたが2月25日に70歳で息を引き取った。

 事例4 広東省の姚静嬌は法曹機関の迫害により死亡

 広東省揭陽市在住の学習者・姚静嬌さん(85歳女性)は、法輪功を実践したため、2022年11月、地元の裁判所に不当に懲役3年言い渡され、罰金3万元(約60万円)を科せられた。2023年5月、刑務所に送られ、健康診断の結果、高血圧で84歳の高齢にもかかわらず、拘禁された。期間中、心身とも大きなダメージを受け、同年9月に転倒により右足を骨折した。姚さんの家族が保釈を要求したが拒否された。10月25日に危篤状態になり、やっと救急車で搬送された。1週間後、姚さんの保釈許可が降りたが、姚さんは家に帰ってもよく嫌がらせ、脅迫を受けていた。その結果、2024年11月20日、迫害により他界した。

 '姚静娇老人被绑架之前开朗健康'

連行される前の姚静嬌さん

'姚静娇老人出狱时被迫害致奄奄一息'

解放時の姚静嬌さん

 事例5 労働教養、拷問などの迫害を受けた田自強さんは死亡

 田自強さんは、黒竜江省チチハル市国税局監察室の副主任である。1994年11月に法輪功を学び始め、「真・善・忍」の基準に従って自分の行動や思想を正し、短期間で身体が健康になり、道徳が向上し、誠実で良い人となった。

 江沢民が法輪功への弾圧を開始した後、田さんは何度も連行され、迫害を受け、1年の労働教養処分を受け、懲役3年の不当判決を言い渡された(妻も同時に連行され、懲役5年の不当な判決を受けた)。その後、チチハル市の富裕労働教養所や泰来刑務所に送られ、様々な拷問や虐待を受けた。吊り上げの拷問や、鼻孔にわさびを塗られ、長時間の睡眠剥奪など、数多くの残虐な手段で迫害された。

'示意图:‘“上大挂”'

拷問実演:吊り上げ

 2023年8月、田さんは警察に待ち伏せされて連行され、強制的に採血され、尿検査を受け、指紋を押印された。血圧は200に達していたが、それでも8日間、留置場に拘禁され、3000元の罰金を強制的に徴収された。保釈後、田さんは公安から何度も嫌がらせや脅迫を受け、血圧が高い状態が続いた。2024年初めに脳出血を起こし、無念のうちに亡くなった。

 事例6 9年間の冤罪、年金剥奪、継続的な嫌がらせを受けた黎淑珍さんが死亡

 遼寧省瀋陽市の学習者・黎淑珍さんは、9年間にわたる不当な拘禁、拷問、年金剥奪、そして中共の関係者による継続的な嫌がらせを受けた末、2024年10月13日に亡くなった。享年77歳。

黎淑珍

黎淑珍さん

 1999年7月、中共は法輪功を中傷するデマを広め、学習者を必死に迫害した。法輪大法の恩恵を受けた黎さんは、法輪功の無実を訴えるために北京に行って事実を伝え、真・善・忍への信念を貫いたとして、様々な迫害を受けてきた。

 事例7 労働教養などの拷問を受けた杜樺さんは他界

酷刑示意图:抻着熬鹰

拷問イメージ図:熬鷹(日本語では「疲弊した鷹」のことをいい、睡眠剥奪の拷問のことをいう)

 遼寧省大連市の学習者である杜樺さんは、大連市聯合通信の定年退職のエンジニアである。2000年10月、大連留置場に拘禁され、その後、3年間の労働教養処分を科された。大連労働教養所での期間中、「熬鷹(日本語では「疲弊した鷹」のことをいい、睡眠剥奪の拷問のことをいう)」や「飛行機」(人を前かがみにして両手を背中側に上に向けて高く上げさせること)の拷問、複数の電気棒での電撃、殴打などの拷問を受けた。2003年に帰宅した後、国保や派出所、コミュニティから監視を受け、何度も連行されそうになり、繰り返し嫌がらせを受けた。最終的に脳出血を起こし、2024年1月13日に無念のうちに亡くなった。享年63歳。

 杜樺さんの妻の袁暁曼さんは、江沢民に対して合法的に告発を行ったため、2016年5月12日に昆明街派出所の警官に連行され、拘禁されて罪に陥られた。12月23日、懲役3年6カ月と5000元の罰金を言い渡された。

 事例8 遼寧省新濱県上級教師王忠勝さんは迫害され死亡

中共体罚示意图:长时间罚坐

中共の体罰イメージ図:長時間に座らせる

 遼寧省撫順市新濱県の学習者・王忠勝さんは、2021年4月26日、順城区裁判所に懲役4年、罰金4000元の不当判決を言い渡され、瀋陽市の東陵刑務所に拘禁された。刑務所で看守は王さんを小さな椅子に座らせ、臀部が重度の感染症になり痛みが生じたときでさえ、動かずに長時間座り続けるよう強制した。残酷な迫害を受けたため、身体は深刻な状況に陥っていた王さんは、拘禁期間が終わる6カ月前の2024年4月30日に解放されたが、11月16日にこの世を去った。享年78歳。

 事例9、北京房山区の牛北彦さんは冤罪のまま他界

 北京房山区の法輪功学習者・牛北彦さんは、2021年6月に職場で連行され、房山第二留置場に拘禁された。2022年9月、房山区裁判所に懲役3年の不当な判決を言い渡され、黒竜江省呼蘭の刑務所に強制的に送致された。牛さんの容態は激しい迫害によって著しく悪化した。2024年6月20日に解放された際、階段を上り下りするのも非常に困難であった。そして4カ月後の10月19日、牛さんは冤罪のまま命を落とした。享年55歳であった。

 牛北彦さんは北京のある証券会社で働いており、業務において優れた成績を収め、自らのチームを率いて何度も会社内で全国一位を獲得していた。「真・善・忍」の信念を堅持したために迫害を受け、会社に解雇された。元気だった牛さんは、妻や娘、84歳の高齢の母を残して他界した。80代の母・馬鳳仙さんは現在もなお、ハルビン女子刑務所に拘禁されている。

 事例10、蘇州市の朱秋玲さんは迫害により死亡

 江蘇省蘇州市の朱秋玲さん(女性)は、かつて何度も連行され迫害を受け、懲役5年の不当な判決を言い渡され、南通女子刑務所で地獄のような虐待を受け、心身とも苦しみを味わった。朱さんは2024年6月に命を落とし、享年67歳であった。生前、朱さんは中共による残虐な経済的迫害にも直面し、唯一の生活資金であった退職金を奪われた。

 事例11、吉林德惠市の孫震さんは8年の不当な判決を宣告され、死亡

 吉林省德惠市の孫震さんは、3度にわたり連行され迫害を受け、懲役8年の不当な判決を言い渡され、拘禁と迫害により身体に異常をきたした。2024年10月12日、長年にわたる迫害の結果、虚弱な状態であった孫震さんは冤罪のまま命を落とした。享年49歳であった。

 孫さんは1998年10月に法輪功の修煉を始め、1999年に中国政法大学を卒業した後、北京武警総隊に配属された。しかし、自らの信念を貫いたため、北京武警総隊に受け入れられなかった。孫さんは2度にわたり、法輪功の名誉を回復するために北京に赴いて陳情を行い、その際に北京警察に連行され不当に拘禁された。2002年7月22日、孫さんは北京懐柔の警察に連行され、懐柔区裁判所により懲役8年の不当な判決を言い渡された。公主嶺刑務所5大隊に収容され、迫害を受けた。

 その後、孫震は生計を立てるため、化粧品の販売や工場の副工場長、保険営業などの仕事をした。2021年頃、長春で働いていた際、長春公安局の派出所の警察に電話で嫌がらせを受け、迫害を加えられた。

 事例12、安徽省蚌埠市の梁懐遠さんは迫害により死亡

 安徽省蚌埠市の学習者、高級エンジニアの梁懐遠さん(79歳女性)は、2016年2月に連行され、不当な判決を受け、安徽省女子刑務所に収容された。迫害のため、自分で身の回りのことができない状態に陥った。家族は保釈を求めたが、いかなる結果も得られなかった。その後、弁護士が介入し、ようやく梁さんと面会することができた。梁さんは迫害の影響で言葉を発することもできず、立ち上がることもできなかった。いくつかの手続きを経て、ようやく家族のもとに連れ帰られたが、身体は回復することなく、2024年11月25日に冤罪のまま命を落とした。

 事例13、元物資局副局長銭玉中さんは2回不当な判決を宣告され、他界

 河北省行唐県の物資局副局長であった錢玉中さんは、2004年11月12日に行唐県公安局に不当に身柄を拘束され、行唐県裁判所により懲役7年の不当な判決を言い渡され、公職も不法に解職された。

 2020年7月10日、錢さんはある住宅地で法輪功の無実が書かれた資料を配布していたところ、門番の丁平軍(男性)に捕まり、また、マンション管理会社のスタッフの李素霞(女性)に悪意で通報され、行唐県公安局に連行され、留置場で迫害を受けた。その際、脳血栓の症状が現れ、歩行ができない状態となった。それにもかかわらず、裁判所は懲役3年7カ月の不当な判決を言い渡し、さらに1万元の罰金を科し、指定住居での監視下に置かれた。

 中共関係者による監視や嫌がらせの迫害の中で、錢さんの身体は次第に悪化し、2024年11月3日に冤罪のまま命を落とした。享年73歳であった。

 (完)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/3/487814.html
 
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