【明慧日本2024年2月4日】吉林省臨江市の法輪功学習者・狄(テキ)蓮霞さんは、2023年8月に臨江市公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に連行され、今年1月に地元の裁判所から不当に懲役6年の判決を下された。
2023年7月6日夜、臨江市公安局の国保の警官男女3人が狄さんの母親の家に押し入り、家宅捜索をした。その後、臨江市公安局副局長の石登峰及び警官4人、コミュニティーの職員1人も狄さんの家に行き、家宅捜索を行った。警官らは法輪功関連書籍や法輪功創始者の写真、プリンター、ノートパソコンなどの私物を押収し、狄さんを臨江市公安局新市派出所に連行した。その夜遅く、狄さんは解放され帰宅した。7月12日、警官は狄さんを公安局に呼び出したが、狄さんは迫害を避けるために家を離れることを余儀なくされた。2023年8月上旬、帰宅後の狄さんは国保の警官に連行された。今年1月下旬、狄さんが不当に懲役6年の判決を受けたことがわかった。
狄さんは、幼少期から小児麻痺を患い、身体障がい者であったが、法輪功を修煉した後、真・善・忍の法理に従って良い人になるように努力し、心身ともに恩恵を受けた。しかし、1999年7.20、中国共産党が法輪功迫害を発動した。狄さんは法輪功を学び続けているとして、2年の労働教養処分を科された。狄さんの夫・王明之さんも障がい者で法輪功を学んでいたため、数回にわたって拘束され、迫害により2016年5月20日に亡くなった。
以下、狄さん夫婦が中共当局から迫害された事実の一部である。
2000年、王さんは北京へ行き、法輪功の無実を訴えたが、臨江市留置場に拘禁され、何度も殴打された。その後、王さんは労働教養処分を受け、白山市労働教養所に入れられた。2000年9月ごろ、王さんは、法輪功と決別する「誓約書」を書くことを拒否したため、警官に鉄の籠に入れられ、スタンガンで電気ショックを与えられた。
2002年、王さんは、法輪功迫害の停止を求めるために再び北京に行ったが、連行され、朝陽溝労働教養所に送り込まれた。2002年4月、教養所は法輪功学習者に対して、鞭、つるはしの柄、鉄パイプを使って殴打し、スタンガンで電気ショックを与えるなどの暴力的な「転向」を行った。法輪功学習者の多くは、「転向」することを拒否したため、警官から拷問を受け、負傷する人も、障害を負う人もいた。王さんは、「転向」を拒否したため、警官の拷問で一度意識不明になったことがある。労働教養所で受けた拷問の結果、王さんは重い肺結核を患い、「治療のための仮釈放」で帰宅した。
拷問のイメージ図:殴打 |
2011年6月22日、王さん、狄さん夫婦は、臨江市公安局の国保の警官に連行された。王さんは警官に殴る蹴るの暴行を受け、地面に倒れると、足で頭を踏みつけられ、頭や胸などを殴られ、さらに髪をつかんで壁に叩きつけられて、顔が変形した。その後、王さんは臨江公安局に連行され、そこで警官に再び猛打された。ある日、王さんは地下室で鉄の椅子に手錠で固定された。
2011年7月7日、狄さんは長春市黒嘴子女子労働教養所に送られ、2年間の労働教養処分を受けた。最初、教養所側が障がいを持つ狄さんの入所を断ったが、警官・石登峰はわざわざ、教養所の所長に会い、狄さんの入所を受け入れるよう強いた。7月8日、第一大隊の隊長・劉雲慧はスタンガンで狄さんに電気ショックを与えた。9日と10日、狄さんは小さなベンチに座らされたり、立たされたりした。劉雲慧は狄さんに「お前は長い間立っていられない障がい者だよね。この俺がお前を立たせてやる」と言った。11日、教養所側は狄さんの家族に電話し、障がい者の手帳を送るよう告げた。その後、狄さんは解放された。
拷問の再現:スタンガンで電気ショックを与える |
狄さんが黑嘴子女子労働教養所に送られた同日、王さんも長春朝陽溝労働教養所に送られたが、健康状態が基準に達していないため入所しなかった。2016年5月20日、繰り返し迫害を受けた末、王さんは44歳の若さでこの世を去った。