誰が有罪なのか?
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年2月19日】数年前、夏の夕暮れのこと。60歳近い女性の法輪功学習者(以下、学習者)が、バスで法輪功への迫害の実態を語っていたところ、交通警察に不当に連行されました。パトカーは長い道を進み、ようやく事務所に到着しました。警官は、この学習者に個人情報を尋ねましたが、彼女は答えませんでした。その代わりに、法輪功の素晴らしさを伝えました。

 夜が更け、役付きで年配の男性警官が尋問を続け、自分も信仰を持っていると告げました。そして「あなたたちは、善には善の報いがあり、悪には罰があると言っている。 あなたは逮捕されたわけだが、悪の罰を受けたのか?」と尋ねました。この学習者は、静かに警官を見つめましたが、何も言いませんでした。

 この警官が得意気になっていると、学習者はゆっくりと口を開き、「かつて、ユダヤの総督はイエスを十字架に貼りつけにするように命じました。イエスは有罪だったのですか?」と言いました。「あぁ!」と警官は驚愕し、すぐに真剣な表情になりました。

 深夜2時過ぎ、この学習者は無条件で釈放されました。善悪の分別のついた警官とは、安心して別れました。

 この学習者が2時間以上かけて自宅近くまで歩いていくと、一晩中待っていた夫に会い、喜びました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/28/471434.html)
 
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