「真・善・忍」が私の進む道を照らす
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年2月20日】私は1996年に大法の修煉を始めました。初めて大法の本を読んだ時、師父は私の体を浄化してくださいました。以前に読んだ佛教の本と比べると、大法は一番良く、最も正しく、これこそが私が求めていたものだと心の中で思いました。そして私は言葉では言い表せないほど興奮し、最後まで修煉しようと決心しました。それ以来、学法煉功を始めました。

 煉功を通じて私は変化し、穏やかな自分になり、大法の中で真の自分が蘇り、全身が軽いという素晴らしさを体験しました。修煉して半年後、治らなかったリウマチの腫れと痛みは治療をしなくても治りました。私は大法を修煉して以来、一錠の薬も飲んでおらず、注射も打っていません。大法は私を健康にし、心を開かせてくれるだけでなく、この世に生きる意味と目的は、つまり返本帰真であることを分からせてくださり、自分は最も幸せな人間だと感じています。修煉中の体験をいくつか書き留め、師父に報告し、同修たちと共有したいと思います。

 1.利益を淡泊に

 私はある一級レベルの病院で物流スタッフとして働いており、医療従事者の白衣などにアイロンがけをするのが仕事ですが、仕事中は決して手を抜くことなく、真面目に仕事をこなしています。私は常に師父の教えを心に留め、真・善・忍に基づき、より良い人間になるよう努めています。アイロンがけする際、ポケットの中にお金が入っていることがよくあります。あるときポケットに7元ありました。服にアイロンをかけた後、お金をポケットに戻しました。服の所有者がまたお金を無くさないように、ポケットを縫いました。服が持ち主の手に戻ったとき、ポケットを開き、お金を見つけるだろうと思いました。

 時には20元や50元の場合もありましたが、上司に報告して渡し、どの服に入っていたかも明らかにしていました。私は人のために責任ある態度で仕事に取り組んでいますが、ほとんどの人は他人のお金を発見すると、すぐに自分の物にします。時々、彼らはそのお金でお菓子などを買っていました。私はお金を見ても決して取り出さず、そのままポケットに戻しています。そして、他の人がそういうお金で何かを買ってくれても、断っていました。道徳が低下した世の中で、そういう風潮を助長し、流れに身を任せて堕ちて行くことはできません。 私には大法の指導があり、どのようにするべきかを知っています。

 家には3エーカーの土地がありますが、農業する人がいないので、毎年貸し出しています。ある春、2番目の義理の姉が私の土地を農業用に貸してほしいと頼んできたので、貸すことにしました。以前は契約書通り、相手が貸出料を支払いますが、親戚なので、彼女から渡されず、私も急いで請求することもしませんでした。その後、何を植えているのかを見に畑に行くと、畑には何も植えておらず、私は姉から何も聞いていませんでした。彼女に地代を請求するかどうか心の中で迷いました。農業のことはよくわからないので、他の貸す人を探しながら人に聞くと、「こんな時期だからもう何を植えても遅い、何をつくっても、もう間に合わない」と言われました。

 その時私は考えました。普通は土地を借りたら、植えても植えなくても、お金を払わなければならない、植えないなら、できるだけ早く教えてくれると、他の人に貸すこともできます。でも、義理の姉は植えないとも、お金を出さないとも、何も言わないのです。その後、義理の妹にこのことを話しました。ある日、義理の妹2人が私の家にやってきて、「義姉さん、あなたの土地を私たちが借りるから、地代を払うわ」と言いました。彼女たちの気持ちはよく分かります。私は数年前に夫に先立たれ、1人で子供を育て、経済的に苦労しています。私は修煉者であり、他人のために考えて、行動しなければならないので、どうして彼女たちにお金を請求できるのかと思いました。お金をくれたとしても、農作物を植えることはできませんし、彼女らが損失を被ることになるではないか?  義理の妹達は私のことを心配してこのようにしたのだと分かりました。私は「お2人の気持ちだけ頂くわ、いまさら何を植えても、遅すぎるので、誰にも貸しません。利益が無くても構いません」と言いました。

 それ以来、私はこの問題やお金のことについて、まるでこれまでなかったかのように考えなくなりました。このような形で、自分の利益への執着を取り除くのだと悟りました。修煉者は、他人に便宜を図らなければ、それで終わりだとは言えません。修めても、他人から自分の金銭を取られ、利益を失った場合、心の中で放下するのか、それとも他人と争うのか?  私が遭遇したのは損と得の問題ではないでしょうか?  私は大法の要求に従って手放し、義理の姉を責めず、自分の損失についても彼女に話しませんでした。1年分の土地の貸出金を失いましたが、利益心、怨恨心、闘争心を取り除くことができ、心性をより高く向上できました。これは前世の借りだったかもしれません。借りでなければその分だけ徳を手に入れました。法理上で、実際に失うものは何もないと分かっています。

 2.会社上司の難付けに対しても動じず

 ある時、作業場のドアの鍵が壊れてしまいました。規定によると、鍵の交換は上司が確認して、本院に連絡して専門業者に修理してもらい、また請求書を発行してもらい支払いすること、私たちは上司に状況を報告するのみなのです。ある日、私は上司にドアの鍵が壊れたことを報告すると、彼はすぐに激怒し、「自分で電話すればいいのに、こんなことを俺に言うな」と言いました。突然に来る、傲慢で理不尽な態度に対して、私は何事もなかったかのように、とても冷静な態度で動揺しませんでした。その後、その場にいた同僚は「ドアの鍵を交換するのは元々上司の仕事だし、私たちはそんなことを担当できるはずもないです」と私のために、不平を言いました。

 時々、上司からは、仕事以外の雑用を色々と頼まれ、私は何も文句を言わず、言われたままなんでもやります。他の人が当直した部屋が汚いときも、当直者に言わず掃除をしました。アイロンがけ部屋はとても暑いため、毎日仕事が終わったらシャワーを浴びる必要があります。ある日、私がシャワー室から出てきたとき、上司に呼び止められ「誰にそんなに早くシャワーしろと言われたの?」と聞かれ、 「私が最後で、みんなはすでにシャワーを使い終えています」と答えたら、彼は何も言わなくなりました。

 あるとき、職員が履くレインブーツを磨くのですが、同僚が一回目を磨き、私がその後磨くのすが、回ってきた時にはすでに汚れが取れていて、とてもきれいだったので、私がもう一回磨いたらそれで十分でした。上司は私のところに来て「そんなやりかたでは綺麗に磨けないぞ」と大声で言いました。また、彼が難癖を付けに来たと分かり、私は動じませんでした。これはすべて私の修煉のために現れたことであり、私の業力を取り除くのを、上司が手助けしてくれることが分かっています。こんな一石四鳥の良いことはどこにも見つからないのです。私の業力は取り除かれ、私に徳を与え、また私の心性が向上し、功も上がってきました。

 私の心性の関はほとんど職場にありました。上司は私にパワハラをし、同僚は私のために不満を感じ、私が正直すぎると言われました。実際、私が超常の法理で要求されていることを彼らは知らないのです。正直に言うと、もし私が大法を修煉していなかったら、このような問題に遭遇する場合は、きっと我慢できません。私はいじめる人と喧嘩するか、或いは自分がカンカンになって怒るか、または、上司を避けるために部署を変えたかもしれません。

 前方の道を照らしてくれたのは真・善・忍であり、これにより、自分の借りの返し、業力の解消、向上の過程は師父への心労があまりにも多くありました。幾度の前世に蓄積された自分の業力、師父は私のためにどれだけ負ってくださったのでしょうか?  残されたものは、私が耐えられるものの一部にすぎません。師父が私を助け、加護してくださったことを知っています。そして誰も私を動揺させることはできません。私が遭遇する困難のすべては、私を向上させるためのステップであり、業力を取り除き、徳に転化させるためにあります。

 私は自分を修煉者とみなし、苦難の中でも大法の指導により、闘争心を修め、取り除きました。上司が私と他人と異なる扱いをしたときも、不満や嫉妬心を修めました。またパワハラをされても、高い目標があったため、冷静になり、耐えることができました。返本帰真するためには、困難を乗り越え、耐えがたいことにも耐えなければなりません。

 私の行いを同僚たちが見て、私のために不公平を感じる人もいて、そんな縁がある人に大法の真実を伝えました。疫病が発生したとき、ある同僚は「姉さんのおっしゃる通りです。本当に大災難が来ましたね」と言いました。

 3.真実を伝えて人々を救う

 私は自らの状況を踏まえて、真実(法輪功迫害の実態)を語っています。音声通話をしたり、ステッカーを貼ったり、ビラを配ったり、時には対面で真実を語ることもありました。

 片側の肺が重度の肺水腫になっている患者さんがいて、新年を祝うためにすでに帰宅していましたが、大晦日に重篤な状態で病院に戻ってきました。その前に、私は彼女に「天安門焼身自殺」偽装事件の真実を話したことがあります。彼女の容態が悪化したことを知り、新年初日の夜に『轉法輪』を持ち彼女の病室に行き、読み聞かせました。それ以来、彼女は病院で大法の本を読み始めました。大法は病気を治し、健康を維持するだけでなく、人の運命を根本的に変えることも、人を救うことができる高徳の大法であることを、彼女は理解しました。

 数日後、彼女は嬉しそうに「姉さん、私元気になったよ」と言ってくれました。退院する前に彼女は私にこう言いました。「姉さん、大法の本を読んで病気が早く改善することを記事にしたい、他の人にも知ってもらいたいのです」。もう一度彼女に三退(中共の組織を辞めること)するようにと勧めると、彼女はすぐに同意してくれました。大法によってこの命が救われることができて本当に嬉しかったです。

 あるとき、私は面と向かって真実を明らかにするために通りに出ました。私は一人の年配の女性に真実を語っていたら、彼女の息子がやって来て、何を話しているのかと尋ねました。お母さんに良いことを伝えていると言うと、「法輪功のことですか?  それ以上言うと通報するよ」と彼は携帯電話を取り出して、電話をかけようとしたのですが、その時私はとても落ち着いて、怖がらず、全然動じなかったのです。私は「あなたのお母さんのために言ったのです。もし通報したら、あなたにとって悪いことになるでしょう」と言い、すると彼は電話をかけることをやめ、「もう行ってください」と言いました。

 真実を明らかにする際、人々を救うときも、まさに社会で行脚しているようなもので、さまざまな人に出会い、多くの人心を修めることができます。私が遭遇するすべてのものには、私が修めなければいけない人心があり、向上すべき要素があることを知っています。大法に基づき修め、修煉者であることを決して忘れず、そうすることで、師父が定めた道を正しく歩み、法の中で自分を正し、衆生を済度することができます。自分をよく修めることは師父の願いであり、衆生の期待であり、自分の誓いでもあります。法を正す限られた時間の中で、三つのことをしっかりと行い、使命を果たし、来世のために聖なる誓いを全うし、円満して師父と一緒に真の家に帰ります。

 (責任編集:林晓)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/11/468927.html)
 
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