文/中国遼寧省の大法弟子 浄文
【明慧日本2024年2月29日】私は1998年に大法の修煉を始めた女性の大法弟子です。初めて『轉法輪』を読んだときから、師父は私の体を浄化してくくださり、病身から健康体へと変わりました。また、迷いの、汚れた世界から解放され、身も心も法を学ぶ中で急速に高まりました。そんな時、夢の中で空を飛んでいることがよくあり、時には天国の素晴らしい景色を見ることができました。20年以上の修煉過程を振り返ると、薬を一錠も飲んだことがなく、注射を一度も受けたことがないので、本当に病気がないということを味わいました。以下では、師父が説かれた「真に修める人には病がなく」(『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」)に対する理解について少しお話ししたいと思います。足りない点があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
修煉の過程で、さまざまな魔難に遭遇することがあります。例えば、突然体調が悪くなったり、歯が痛くなったり、胃が痛くなったり、血圧が上がったりすることがあります。また、他の不快な出来事に遭遇することもあります。私たちは最初に法を思い出すべきで、自分が修煉者であること、修煉者には病気がないし、金剛の体であることです。修煉を始めたばかりの頃、師父は私たちの体を病気のない状態にまで浄化してくださいました。私は頭の回転が速く、体が軽く、歩くときは軽やかで、自転車に乗るとまるで誰かが後から押しているかのように感じました。これらすべては師父から与えられたもの、大法から与えられたものだと深く理解しています。
しかし、修煉は簡単ではありません。それは苦しいだけでなく、厳粛なものでもあります。それは執着心を取り除く過程です。したがって、心性の修煉を重視しなければなりません。私たちの修煉の目的は天国の世界に戻ることです。どんな人の心も天国に持って行くことはできません。したがって、人の中にあるすべての執着、欲望をすべて取り除かなければなりません。私は肉を食べたいと言う欲望が非常に強かったのです。肉を食べて気持ち悪くなるということは一度も感じたことがありませんでした。肉がないとお腹がいっぱいにならないと感じることさえありました。以前、私は食堂で働いていました。中の何人かの人が豚の角煮を好んでいたので、頻繁に食べていました。私も度々その機会があったので食べていました。しかし、ついに法によって語られたように、「彼のこの心を無くさせるためには、どうすればよいでしょうか? 肉を食べるとすぐに腹痛が起きるが、食べなければ痛くない、という状態が現われてきます。それはもう食べてはいけないという知らせです」(『轉法輪』)残念ながら、私は肉に対する執着心を取り除く機会をつかむことができませんでした。むしろ、私は自分を緩め、その執着心を育てました。お腹が痛いときは食べないが、一旦痛くなくなれば、また食べていました。家で食事をしていたときに、修煉していない家族から肉は少なめに食べるように注意されました。
その頃、私の悟性は、強い執着に埋もれていました。 次第に鼻の中に血のかさぶたができ、歯茎が腫れて痛み出し、法を学ぶのに眠くなり、めまい、頭が重くて、張るような感じがして、ぼんやりするようになりました。私は問題の深刻さを感じました。これは病気ではなく、肉食への執着によって引き起こされたのだと分かりました。 病院で診てもらうという考えは全くなく、肉を食べないという決意を固めました。
ある日、『明慧週刊』を印刷していた時、私は眠くて目が開かなくなり、頭が非常に重く感じました。そこで、プリンターに「ちゃんと頑張って、私はちょっと横になるわ」と頼んで横になりました。しかし、横になったとたん、一枚の紙が「カッ」という音と共に飛び出してきました。私はびっくりして紙を拾い上げて再び横になると、プリンターはすぐに動作を停止し、黄色のランプが二回点滅しました。
私は自分がいけないと気づきました。慈悲深い師父が、このような方法で弟子を「棒喝」してくださったのです。私は何の不満もなく、必死に頑張って立ち上がり、プリンターを片付けました。プリンターを再起動すると正常に作動し、最後まで問題なく印刷できました。その間、非常に辛かったですが、とても冷静でした。私は修煉者です。難儀を乗り越える過程で執着心を捨てようとしています。そのことを病気として扱わない、つまり、病気ではないのです。
私は非常に後悔し、恥ずかしく思いました。師父に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。肉を食べる執着心に長い間引きずられていました。
その後、私は積極的に修煉に取り組むようになり、「口その執着を断つ」、真に苦を嘗めるを持って楽しむようになりました。心性が向上すると、常人の考え方もすぐに変わりました。
なぜ人は病気になるのか? なぜ魔難に遭うのか? それは全て、自分自身が生々世々で造った罪業が積み重なった結果です。修煉者は法を学び、法によって修煉し、宇宙の真・善・忍の特性に同化することで、返本帰真(本来の姿に戻ること)ができるのです。
私たちは末法の時代に生きており、幸運にも師父が伝えてくださった大法に出会うことができました。師父はすべての衆生に対して慈悲深く、神通力によって何十億もの生命を目覚めさせ、大法で修煉している人々を皆弟子として導き、「高次元へ導く」と説かれました。私たちは救ってくださった師父には何一つ恩返しができていません。
弟子としてできることは、師父の言葉に耳を傾け、常に修煉者として自身を律し、法の要求に従って真に修め実修することです。具体的には、様々な矛盾の中で内に向かって探し、内に向かって心を修めます。不当な扱いを受けても、寛容な心で受け止め、高潔な態度を保ち、苦労を楽しいこととして受け入れることができます。はっきり分かっていながら常人としての利益を失うという現実的な利害の前で、心が動じないことです。なぜなら、苦難に耐えると罪業を消すことができるからです。
弟子は師父の慈悲深い済度に感謝します。