善良かつ勇敢な妻
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年2月29日】 私は、法輪大法を26年間学んできました。20年以上、 中国共産党(以下、中共)による法輪功への残酷な迫害が続いている間、どんなに厳しい環境に置かれても、師父と大法への信念が揺らぐことはありませんでした。それは、善良かつ勇敢な妻が大法を支持してくれたおかげでもあります。

 大法を学ぶ前の私は、坐骨神経痛、アレルギー性鼻炎、腰痛などに悩まされていました。 鼻炎は風邪の後遺症で、鼻水がよく出て、仕事もできず、日光にあたるのもだめでした。医者から処方された薬は全部ホルモン剤で、効き目がありませんでした。

 若い時の私は、負けず嫌いでよく人と喧嘩していました。体を強くするために、10代の頃からある種の気功もやっていました。「軽功」を修練するために、砂袋を足に縛り付けて歩いたり、縛ったまま寝たりしました。 しかし、これらの努力では体を改善できず、病気は全然治りませんでした。

 1997年に、私は大法を学び始めました。そして、いつの間にかすべての病気が治り、私の負けず嫌いな性格と目立ちたがる癖も取り除かれ、理性的で穏やかになり、他人を理解し思いやることができるようになりました。家の中でも、私は家事を手伝ったり、子供の世話をしたり、妻と一緒に畑の仕事をしたり、親孝行をするようになりました。私のこの変化を見て、家族みんなが喜んで、大法を修煉することを応援してくれました。

 特に妻は、私の変化を通して、大法は人に善を教える高徳な大法だと信じて、大法のために何かをするときはいつも応援してくれます。迫害が始まってからも、同修たちが家に来ると妻は温かく迎えてくれました。何よりも、中共の悪魔的な弾圧を知る妻は、警官らの嫌がらせに協力しませんでした。

 例えば、冬のある日、外は大雪が降っていました。妻が中共の人から「旦那に採血しに来るようにと伝えて」と電話をもらいました。それを聞いた妻は「こんな寒い日に採血に来いなんて、あなたたちはみんな頭がおかしいのよ!  行かないわよ!」と言って、彼らの採血の目的を暴露し、私に危害を加えようとした彼らの計画を中止させました。

 また、8年前のある日、私は地元の警察に拉致され、その8カ月後、私に関する資料が裁判所に送られ、同年10月に不当に裁判を行いました。裁判を行う日、法廷内外には、たくさんの警察が立ち並んで、傍聴席に座っているのは全員公安局と検察庁の人ばかりでした。私の家族と友人は、妻以外入廷が許されませんでした。裁判所は私に重刑を下そうとしていました。

 入廷できた妻は、裁判官席の近くの席に座りました。 検察官が私に濡れ衣を着せた資料を読み上げたところ、妻は怒りを抑えきれず、傍聴席から立ち上がって、大声で法廷に向かって「私の夫は良い人です!」と叫びました。誰も一人の田舎の女性が中共の法廷で夫のために発言する度胸があるとは予想もできなかったので、この力強い一言で、法廷にいた全員の心が揺さぶられた様子でした。

 驚いた警察は、乱暴に妻を外へ引きずり出しました。妻の後ろ姿を見て、私は妻の正義の行動に感動すると同時に、中共幹部らの無知を悲しく感じました。

 その後、ある警察はまた妻に「お前の家族をバラバラにしてやる」と脅しましたが、妻は恐れることなく「あなたが迫害すればするほど、私は尚更この家を支えなければなりません」と言いました。それを聞いた警察は何も言えませんでした。

 それから、私と父が不当な判決を受けて、家のことは全部妻と母に頼るようになってしまい、その時2人の子どもたちはまだ学生だったので、妻がどれほどのプレッシャーを受けていたかを想像できるでしょう。しかし、妻は邪悪な勢力に負けることなく、果敢に母と一緒に育児と家庭のすべてを背負っていました。

 一時、妻は胃痛で寝たきりになって、仕事もできなくなりました。隣人も似た病気にかかって、病状は妻よりずっと軽かったのですが、病院で検査を受けたところ、胃がんと診断され、すぐに手術を受けましたが、わずか2年で亡くなりました。

 母は長年の貯金を崩して、病院に行くように妻に勧めたが、妻はひたすら法輪大法を信じて、行こうとしませんでした。「たとえガンであっても、私も法輪功を修煉する」と妻は言いました。 その後、妻は学法煉功を続けた結果、次第に胃の病気は治っていきました

 弟子に、善良かつ勇敢な妻を与えてくださった師父に、感謝いたします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/27/473615.html)
 
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