懲役11年6カ月を宣告された劉殿元さん(87)が、死亡
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 【明慧日本2024年3月1日】(遼寧省=明慧記者)遼寧省朝陽市にある凌源市の法輪功学習者・劉殿元さんは2016年、79歳のときに、法輪大法の真・善・忍の信念を守り続けたとして、朝陽市建平県裁判所の女性裁判官・李岩により、不当に懲役11年6カ月の実刑判決を言い渡された。劉さんは90歳で解放されるその日まで生き延びることができず、2024年の旧正月の元旦に瀋陽第一刑務所で迫害により死亡した。享年87歳。

 情報筋によると、劉さんは生前に迫害により障害を負い、1年間は身の回りのことができなかったが、瀋陽刑務所は重病のための服役中の一時出所を拒否し、最終的に劉さんを致死させた。劉さんの遺体は現在、瀋陽葬儀場に置かれている。

'法轮功学员刘殿元老人'

生前の劉殿元さん

 劉さんは若い頃から非常に有能で頭が良く、幹部や教師として働き、その後は独学で漢方を学んで村で診療所を開き、さらには見習いの指導にも携わった。1985 年から建築工事の請負や建設に携わるようになり、お金を稼ぎ有名になったが、過労により劉さんの健康状態はますます悪化し、坐骨神経痛、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、慢性肝炎、神経衰弱などの病気を患った。

 1995年、劉さんは法輪功を学び始め、真、善、忍の基準に従って良い人を目指した。すると、すぐにすべての病気が消え、それ以来、劉さんは本当の幸せを感じた。

 中国共産党(以下、中共)が法輪功を迫害した後、劉さんは真・善・忍の信念を貫いたとして、何度も連行・拘禁され、労働教養を強いられ、不当な判決を宣告された。

 劉殿元さんが中共から迫害された経歴

 1999年9月1日、劉さんと姉は自宅に侵入してきた小城子派出所の警官に連行され、拘束された。劉さんは断食して迫害に抗議し、7日後に解放された。

 2000年6月14日、小城子派出所の警官は劉さんが北京に陳情に行ったことを理由に、再び劉さんの自宅に侵入して連行し、60日間拘禁した。

 2001年7月31日、65歳の劉さんは警官らにより連行され、懲役7年の実刑判決を宣告された。内モンゴル自治区赤峰市の第四刑務所で、劉さんは1日10時間以上の労働を強いられ、さらに刑務所の精神病院に10カ月間閉じ込められ、毎日大量の薬を300日以上飲まされた。7年後に解放されたとき、劉さんは骨ばかりに痩せ細り、背筋を伸ばすことができず、膿と血を吐き、言葉を完全に話すことができないほど衰弱していた。

 劉さんは解放されて家に戻った後も法輪功の勉強と煉功を続け、2カ月後には回復し、再び農作業ができるようになった。

 2010年10月12日、凌源市国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の隊長・陳志と興源派出所の警官らが劉さんの自宅に押し入り、再び劉さんを連行した。身体検査で入所の基準に満たさないため、劉さんは「保証人を立てて尋問を待つ」という条件付きで保釈されたが、その後、凌源裁判所に懲役4年6カ月の実刑判決を言い渡された。裁判所の関係者が劉さんを連行しようとしたとき、73歳だった劉さんはすでに家を離れて放浪生活を余儀なくされ、それ以来家に帰ることができなくなった。劉さんの家は倒壊し、庭は森と化し、100本以上の果樹が摘まれずに放置されていた。しかし、劉さんは高齢のため働く場所がなく、住む場所も定まっていないため、生活は非常に困難であった。

 2015年11月9日午前10時頃、劉さんは凌源市鉄西一街にある妹の家で、侵入してきた建平県国保の警官ら7、8人に連行され、建平県留置場に拘禁された。

 2016年4月7日、建平県裁判所は劉さんに対し不当な裁判を行った。裁判官・李岩らが劉さんに懲役11年6カ月の重刑を言い渡し、90歳まで拘禁するつもりだった。

 当時79歳だった劉さんは、極度に衰弱しており、刑務所に入る条件を満たしていないにもかかわらず、2016年6月14日に遼寧省瀋陽第一刑務所に拘禁された。

 2022年の中秋節の期間中、刑務所は家族に電話をかけ、介護のおむつを購入するよう指示した。家族は、86歳の劉さんが寝たきりになるまで拷問を受けていたことが判明した。家族は重病のための服役中の一時出所を数回申請したが、迫害で貧困に陥り、健康診断を受けるお金もなかったため、刑務所は劉さんの医療のための仮釈放を拒否した。

 2024年の旧正月2日、劉さんの家族は瀋陽第一刑務所から電話を受け、劉さんが旧正月の初日(2月10日)に死亡したと告げられた。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/28/473694.html)
 
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