修煉の本質の変化はもっとも根本的なもの
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 【明慧日本2024年3月4日】私は修煉をはじめてから28年になりますが、修煉者のあるべき状態になれず、主に観念に邪魔され、学法をしても法を得ず、本質から変化してはいませんでした。慈悲なる師父が何度も悟らせて下さいました。ここ数年、ようやく修煉の本質が分かるようになり、感無量です。

 以下は、最近法に照らして内に向けて探し、観念を変えて向上できたわずかな反省と体験です。

 私は、大学を卒業してからそのまま役所に就職しました。数十年も中国共産党(以下、中共)体制内で汚染され、深く毒されてきた私は、もはや真の善悪が何かを見分けることができませんでした。修煉し始めてからも、睡眠時間によって精進しているかどうかを量っていました。睡眠時間を減らし、起きたがらない安逸心を避けるために、硬いベッドで服を脱がずに寝ていました。また計画性や創造性など、仕事で培った習慣を修煉に取り入れ、休み時間の各時間帯を割り当て、どの時間帯に何をするかなど、細かく計画していました。そうでなければ目標が見つからず、何をどのようにするかが分かりませんでした。しかし、慣れて行くうちにまた新しいことが出てきて、次々と変化し、良い状態を維持できず、多くの時間を費やし、繰り返し行うことで疲れてしまいました。

 師父は「ある種の観念が形成されると、人の一生を支配し、その人の考え、ないしその人の喜怒哀楽を左右します」(『轉法輪』(卷二)「佛性」)と説かれました。

 法によって量らず、後天で形成された観念に縛られ、邪悪な中共の思惟に操られ、法に則って精進することがなかなかできませんでした。また、法理で自分を高めることもできず、人心で無理に自分を強くしようとしていました。正念を持ち、三つのことをしっかり行うこそが精進になります。

 師父は「一人の修煉者として、ほかでもない常人の環境の中で修煉し、自分を錬磨し、徐々に執着心とさまざまな欲望を無くしていかなければなりません。往々にして人類が良いと思うものは、高い次元において見れば悪いものになります。したがって人々が良いと思うもの、例えば、常人の中で個人の利益を多く得れば得るほど、楽に暮らせば暮らすほど、大覚者たちから見れば、この人は悪い人になります。どこが悪いのでしょうか? たくさん得れば得るほど、その分だけ人を傷つけることになり、得るべきではないものまで得てしまいます。名利を追い求めることによって、徳を失ってしまいかねないのです」(『轉法輪』)と説かれました。

 師父がおっしゃっていたことは、私のことではないとずっと思っていました。それまでの私は私利私欲が薄く、どんなことがあっても人とは争いませんでした。しかし、例えば家族のため、役職のため等、部下のためなら戦いました。上司も部下も多くの人が私のことが良いと言ってくれるので、私自身はいつもいい気分でいました。

 以前夢の中で、師父は私が修めていないことを何度も悟らせて下さいました。しかし、私は自分のどこが悪いのか分からず、私は自分自身の基準で判断し、他人よりましだと思っていました。実はその裏には名声を求める人心が隠れており、つまり「皆に良い人と言われたい」という欲望です。心を静めて学法をしたことで、私が他人のため奪い合うことは、他人を大きく傷つけるだけでなく、ある人が得てはいけないものを得て、彼らは徳を失うことになるのです。

 いままでの私は、贈り物もご馳走も賄賂も受け取らず、電話を掛けただけで大したことはないと思っていました。それは体制内の人々が互いに利用し合う特権ではないのかと、私は自問しました。「法に従わず、師父がおしゃっられたことを聞かないのなら、それでも大法弟子なのか。常人と同じではないか、流れに身を任せているだけではないのか」

 それだけでなく、私はいつも心を正しく持ち、品行方正で、原則を守る善良な人間だと思っていましたが、それは人間のずるさだと思っています。以前、同修からずるいと言われたことがあり、私にはとても理解できず、「私は役所で仕事をしているが、利益を貪ったことは一度もないし、あなたたち商売人こそずる賢く、いつも金儲けのことばかり考えている」とすぐ言い返しました。学法していると、私はいつの間にか悪党の原則を守っていたことに気づきました。「原則に反することは絶対しませんでしたが、他人を怒らせないために、私は時々どの場所で何をやるべきかと、互いにアイデアを出し合いました。偽っているのは私の方ではなく、ほかの会社なのだと思いました。

 昔、私は出来る人間だと言われました。実際、私は裏口の方法ばかり使っていました。何かをする時、私の頭の中にまず反映されるのは、誰に電話をするのが一番いいかということです。電話を掛けることで問題を解決できるので、私はこういうことに振り回されていたようです。大げさに言えば、裏口の方法は体制内の人間が私利私欲のために利用し合ったり、特権階級が人を騙して自分たちを富ませるための手段に過ぎないのです。中共という悪党の性質や旧宇宙の生命の本性も利己主義の為、多いに利己的なのです。

 師父は「本当に自分を変え、心の奥から執着している良くないものを放下して、はじめて本当の放下になります」(「米国西部法会での説法」)と説かれました。

 本質の変化はもっとも根本的なことです。本質が変わっていなければ、修めていないことになります。正法修煉が終わりに近づいているこの特別な時期、大法弟子の大きな責任を肝に銘じなければなりません。師父の教えに従い、しっかり学法をしなければなりません。法に則って真に修めなければなりません。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/27/473329.html)
 
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