心を清めれば入静できる
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2024年3月8日】最近、法の暗記をすることで、もう一層の法理がわかるようになりました。大法は私に煉功と修煉の方法を悟らせてくれました。私と同じような境遇にある同修と交流し、戒めを与えるために、この文章を書きました。

 ある日、私は『轉法輪』の第五講「邪法を練る」の最後の段落を暗唱しました。師父は「煉功するには、徳を重んじなければなりません。良いことを考えることができないにしても、悪いことは考えてはなりません。いちばん良いのは、何も考えないことです。というのは、低次元で煉功する時、基礎作りをしなければなりませんが、人間の意識活動が一定の役割を果たしているから、この基礎はきわめて重要な役割を担います。考えてみてください。功の中に何かを加えてしまいますと、練功しても良いものが得られると思いますか? そんなものは黒いものにきまっているのではありませんか? どれだけ多くの人が、そのような意識を持って練功しているでしょうか。どうしてあなたは長く練功しても病気が治らないのですか? 一部の人は、練功場でそれほど悪いことは考えていないものの、功能を追求したり、あれこれと雑多なものを求めたりして、さまざまな心態と強い欲望をもって練功しています。その人たちは実際は無意識のうちに邪法を練っています。しかも、それは邪法だと忠告してあげても、『俺はあの大気功師に教わっているのだ』と言って機嫌を悪くします。しかし、その大気功師は徳を重んじるようにと教えたはずですが、果してその通りにしたでしょうか? 練功する時、良くない意念ばかり加えたなら、その練功から良いものが出て来るでしょうか? ここが問題です。これは無意識のうちに邪法を練る部類に入るもので、きわめて多く見られます」と説かれました。

 師父の説法と照らし合わせてみると、私はすぐに自分と大法の要求との差を見つけました。私は煉功するとき、本当に何も考えずにいられたことがほとんどなかったのです。第2式の「法輪樁法」を煉っているとき、頭を空っぽにすることがなく「まだやっている途中のことがある。あのことをどうやればよいか」などと、常人のことをばかり考えていました。

 私は文章を書くのが好きなのですが、第5式の「神通加持法」を煉るとき、入静、入定のところで、頭の中で文章の構想をしていました。「この文章はどういうふうに書こうかな。冒頭に何を書くのか、どういう内容にするのか、終わりの部分はどうすればよいのか」など、繰り返し文章の草稿を練っていました。文章の初稿は基本的に頭の中で作っていました。さらに、煉功の途中で、書きたいという気持ちが出ると、自己制御することができず、自分自身を主宰できなくなり、すぐに合掌して、煉功を終わらせてしまって、パソコンを開き、文章を書くことに没頭しました。

 法の暗記を通じて、法理がはっきりとわかってから、私は無意識のうちに邪法を煉っていたことに気がつきました。私の体調が良かったり悪かったりするのは、修煉者の基準を満たさず、法の基準からかけ離れていたからだと認識しました。私の修煉はずれてしまっていましたが、それに気づいていなかったのです。私は毎日功法を煉っているものの、功を得ることができませんでした!

 深く反省して「静功のとき、入静ができず、頭の中で文章のことを考え、功法が終わるのを待たずに『書きたい』という欲求は、欲望なのだ。この欲望は執着心で、修煉者としては取り除くべき心だ」と悟りました。

 法理を明確にし、自分の修煉のずれを認識した私は、心を入れ替え「師父の説法に従って自分を厳しく正し、雑念を止め、妄想を取り除き、師父の要求の基準を満たすように努力する」と決心しました。

 それから、第5式の功法を煉るとき、雑念が浮かび上がるとすぐに「私の煉功を邪魔することは許さない。早く去っていけ」と、その雑念に警告しました。その正しい念が湧き上がってきた途端、頭の左側が痛くなり、次に右側も痛くなりました。「それは師父が何か悪いものを浄化して下さっているのだ。その悪いものが妨害を諦めないから、頭痛になったのだ」と私は思いました。

 しばらく痛みに耐えていると、本当にじっとしていられるようになり、体はまっすぐ伸びて、凛とした姿勢で座り、法輪が手のひらでぐるぐる回っているのを感じ、体全体がとても心地よかったのです。また、目の前によくない画面が浮かんできたときも、私はすぐに「あなたを認めないし、あなたは不要だ。あなたを徹底的に取り払う」という念を発しました。

 この文章を書く前に、静功を煉っていたとき「この文章をどう書くか、どんなタイトルをつけるか」などと、浮かんできました。それに対して「邪魔しないで。私は大法弟子で、功法を煉りたいのだ」と力強い正念を発しました。正念を発するたびに、法輪が私の頭上で回転しているのを感じました。私は「それは、師父が弟子のために打ち出した法輪で、私の人心と雑念を取り除いてくださっているのだ」と、考えました。すると、頭がすっきりし、悪い物質が取り除かれて、心は静まったのです。

 第2式の功法を煉るときも、雑念が浮かんだらすぐにそれをつかんで除去するようにしています。一つ一つを除去していくうちに、頭の中が静かで空っぽになり、雑念が消えていくのを感じます。それと同時に、私の身体は、言葉では表現できないほど素晴らしいエネルギーに包まれ、暖かく感じるのです。

 私は発正念をするとき、いつも荘厳な心で上半身を真っ直ぐ伸ばした姿勢で臨んでいますが、悪い念が浮かんだら「妨害することを許さない。徹底的に除去してやる」という念を出すと、すぐに入静でき、全身が暖かいものに包まれるのです。

 大法に従って功法を煉らなければなりません。「心を浄化すれば入静でき、真に功を得ることができる」と、私はもう一層の法理を悟りました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/26/473588.html)
 
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