文/海外の大法弟子
【明慧日本2024年3月8日】最近靴のサイズが合わないため、歩くときよく足首を捻挫していました。週末には新しい靴を買おうと思いインターネットで探してみました。しかし、あれこれと見ているうちに時間がどんどん経ってしまい、コンピューターの充電機能が突然故障して、充電ができなくなりました。
以前もこのようなことがありました。たいてい心性に漏れがあるときに現れてくるもので、内に向けて探し、正念を発せば、直るものでした。そのため今回もあまり気にしませんでした。ただ、靴を買うのに時間を使いすぎたと思い、正念を発して、その心とその背後のよくないものを取り除きました。しかし、コンピューターは直りませんでした。
その時、以前同修と交流したことを思い出しました。同修はコンピューターが壊れたとき、師父にお願いすればすぐに直ったと言っていました。法を実証することに影響してはいけないと思って、私も心で師父にお願いしました。しかし、この念が出たとたん、コンピューターは完全に故障し、画面が消えました。
私はすぐに、これは心性への試練だと思いました。ただ、すぐに出かけなければならなかったので、歩きながら内に向けて探しました。バス停に着いたところで、後から「まだ救いはある、まだ救いはある、君の行い次第だ 」と叫ぶ男性の声が聞こえました。これは明らかに師父の啓示ではないかと悟り、喜びました。
バス停で、バスが着く時間を確認しようと携帯電話で調べながら、ふと頭を上げると、バスはすでに来ていました。私は慌てて手を伸ばして、発進しようとしたバスを止めました。すると運転手はドアを開け、「今度携帯をいじったら、載せないぞ!」と怒鳴りました。私は業力を滅してくれていると思って、気にしませんでした。バスを降りた後、内に向けて探すと、これも明らかに師父が啓示してくださったのだと気づきました。
私は、携帯に執着していないとずっと思っていました。しかし実際は、たくさんの時間を使って、常人の動画やニュースを見ていました。例えば、疲れているときもリラックスしようと思って、携帯を見るのです。時には、学法の時間になっても先延ばしにしていました。これは常人の観念なのに、自分はかえってよいことだと見なしており、学法の時間まで占有してしまいました。動画を見るのは、表面的にはひと時を楽しんでいるだけのようですが、実は業力と変異した観念もどんどん体に入れているので、修煉者はやってはいけないことです。
帰宅後、私はすぐに正念を発して、間違っていた観念と怠ける心などを正しました。師父と大法を信じ、動揺する妨害も取り除きました。翌日、電源を入れるとコンピュータは正常に起動しており、何の問題もありませんでした。
この過程を振り返ってみると、表面的には私が師父にお願いしたい心が出たから、コンピュータが動かなくなりました。しかし、師父はすぐに私に啓示してくださり、自分の不足に気づかせ、向上させてくださったのです。
ただ師父が助けてくださった方法は、私が思っていた方法と違っていただけでした。もし、自分が見た目に惑わされ、心が動じていたら、旧勢力に口実を掴まれ、魔難を長引かせたりしていたでしょう。肝心なのは自分の心が動じるか否かによります。
師父は、『轉法輪』で次のように説かれました。「ある時期になると、功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛
らわしく思い、迷ったりすることが起きます。将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません。動揺するかどうかを試すのです」
このことを通して、私はどんな状況にいても、師父と大法を信じる心を強く持つべきだと思いました。同時に、内に向けて探して表面の原因を見つけたら、その背後にある人心も探すべきです。決して目の前の現象に惑わされてはいけません。師父と大法を固く信じ、盤石のように少しの搖るぎもないようにすべきです。