文/中国山東省の大法弟子 ウ華
【明慧日本2024年3月11日】私は、農村に住む71歳の法輪功修煉者です。2023年の春は乾燥した日が続き、小麦の収穫まで雨が降りませんでした。他の農家は小麦畑に2、3回も水やりをしましたが、私は年を取っていて水やりをしたくなかったため、1回だけでした。その結果、私の小麦は他よりも早熟で収穫も早く、その畑にトウモロコシを植えました。
ある日、夫が畑から家に帰ってきて、言いました。「トウモロコシを早く植えたせいで損をした。他の人が小麦を収穫するとき、私たちの畑が車に押し潰され、道に変わってしまった。トウモロコシの種を持って行って、ダメになったところにまこう」
畑に行くと、ちょうど雨が降ったようで、車に踏みつけられた畑の土が固まっていました。私は怒りがわいてきて、心の中で一言罵りました。
その一言の罵りが隙となり、邪悪な要素に乗じられてしまいました。夫が穴を掘り、私は種をまきましたが、夫が後に振りかぶった鍬が私の頭にぶつかり、私はその場で意識を失いました。どれくらいの時間が経ったのでしょうか。私が目を開けると、夫の腕の中に横たわっていました。夫は私が目を覚ましたのを見て、涙ながらに言いました。「君を死なせるかと思ったよ、なぜそんなにすぐ後にいたのか。種まきはもうやめて、家に帰って病院に行こう」
頭に大きな傷口ができ、痛みで涙が流れましたが、私は「大丈夫だよ」言いました。
夫はこう言いました。「君の頭、本当に丈夫だな。僕がどれだけの力を使ったかわかるか?」。私はこう答えました。「私の頭が丈夫なのではなく、慈悲深い師父が私を救ってくれたのです。師父が私を救ってくださらなかったら、私は死んでいたでしょう」
修煉は本当に厳粛で、あまりにも厳粛です! 修煉者の一念がどれほど重要なのかを体験しました。修煉者らしくない一言の罵りが、これほど大きな災難を招いてしまいました。
師父の救いに感謝します! 修煉者は、修煉を厳粛に受け止めなければなりません。