文/海外の大法弟子
【明慧日本2024年3月20日】私は10数年間、法輪大法を学んでいますが、師父の慈悲と法輪大法の救い済度のことを思うたびに、涙が出ます。ここで修煉体験の一部を同修と交流したいと思いますし。
大法の修煉によって病気が消える
私は大法を学んで暫く経ったある日、雨の中を帰宅しましたが、元気で、疲れも感じなかったのです。以前は、季節の変わり目や雨に濡れると風邪をひくし、季節性のインフルエンザには年に3、4回かかっていました。そのたびに何日も、何週間も寝込んでいました。しかし、今回、雨に濡れても何事もなく「大法に見守られているのだ」と実感しました。
数日後、私は歯痛を発症しましたが、季節性インフルエンザのように慢性的な歯痛が治まることを予想していました。しかし、歯痛は1カ月も続きました。以前から歯痛は頻繁にありましたが、今回はいつもより痛みが長く続きました。私は「なぜ大法を修煉しているのに歯痛が消えないのか?」と考えました。「大法を学べば歯痛は治るはずだ」と、自分が求める心を持っていることに気づきました。
学法を通して、内に向けて探すべきだとわかりましたが、当時の私は内に向けて探すことについて、とても表面的な理解しかしていませんでした。内に向けて探しているつもりで、自分の問題点を見つけることはできなかったのです。何人かの同修にも自分の状況を伝え交流しました。
ある日、私は地元の学法グループに参加し、ある同修に自分の状態を話しました、彼女は私より若いのですが、私より早く法を得ました。彼女は私に「師父を信じていますか?」と尋ねました。それを聞いて、私は歯痛のことを考えないことにし、師父を信じることにしました。その結果、歯痛は気づかないうちに消えていました。
そのとき私は内に向けて探しました。「歯痛という問題を解決するためだけなら、自分の心性を高めることも、自分を正すこともできない」と、その後気づきました。この10年間、歯痛は何度かありましたが、深刻なものではなかったのです。歯痛が起きたとき「自分が大法から外れているかも」と、内に向けて探しました。
法を学び 自分を正す
2011年、同僚が私に法輪大法を紹介してくれました。私が正式に学び始めたのは、それから1年後のことでした。当時、私は修煉とは何か、法輪大法とは何かを理解していませんでした。私はただ神を信じているので、同僚と一緒に大法を学びました。思想業力があるため『轉法輪』を読むたびに眠くなっていました。本の内容はなかなか理解できなかったのですが、毎日、本を開き、数ページ読んでから閉じていました。
また、明慧ネットで同修たちの修煉体験の文章も読みました。これらの文章を読んで、修煉の仕方や内に向けて探すことを少しずつ学びました。初めは、私は大法を本当に理解していたわけではなく、これらの文章から同修の理解を真似していただけでしたが、これらの文章は私の修煉に本当に役立ちました。その後、これらの文章は私の大法に対する信念を強めるのに役立ちました。
文章を読むことを通じて、同修の修煉状況を知り、中国の修煉者を敬服しています。私は、法輪大法は正しい法で大道の修煉であり、無数の人々に健康を得させ、道徳を向上させたと、わかるようになりました。
自分の修煉の道を振り返ってみると、心性を向上させる機会を何度も逃したとわかりました。例えば、大法を得たばかりの頃、野菜を買うために市場へ行き、店主に先にお金を渡し、それから野菜を受け取りましたが、店主に「お金を払っていない」と言われました。私が「お金を渡した」と言うと、彼女は怒って私を叱りました。私も腹が立ち、反論しようと思いましたが、自分は修煉者だから我慢すべきだと考えて、何も言わずにまたお金を払いました。家に帰ってから、考えれば考えるほど腹が立ち「もし、私が修煉をしていなければ、喧嘩をしてやる。先に野菜を取ってから、お金を渡せばよかったのに」などと損をしたと思ったのです。数日後、このことを思い出すと、やはり腹が立ちました。
その後、学法したとき、私は自分の悟りがあまりにも悪いことに気づきました。私の「忍」は、恨みに満ちた常人の「忍」にすぎないとわかったのです。もしあの時、執着を捨てていたら、自分を高めることができただろうし、店主に法輪大法の真実を伝えることもできたかもしれません。
法を学んでいるうちに、私は次第に安逸心、歓喜心、自己中心など、という自分自身の執着や常人の観念があることに気づき始めました。大法は私の心を浄化し、常人の執着を手放すのを助けてくれました。修煉前と比べると、私は良い人になったと思います。
関を乗り越えるとき、自分が損をしたとよく思っていました。というのも、私は真に修煉をしていなかったし、自分を修煉者だと思っていなかったからです。
以前の私は、すべての人に対して、常人の観念から判断していました。良い人を見たら友達になり、自分よりよくない人に出会うと、見下しました。傲慢な人を見ると恐れてしまい、自分より優れている人を見たら、気分が悪くなったのです。
常人の観念を取り払った後、私は人と交流することに幸せを感じました。憎しみや恐怖心、見下す感情はなくなりました。その代わりに、私は、出会うすべての人を大切にしたい、彼らが救われるように大法の真実を理解する手助けをしたいと願うようになりました。
大法を学ぶことで、私は自分がどう生きるべきか? 自分の存在意義を知ることができました。ですから、名声、利益、争い、恨みを徐々に手放すことができ、他人のことを優先に考えることができるようになりました。以前の私は、他人を妬むことが多く、人生で成功できないこと、学校で成績が上がらないこと、職場で昇進やボーナス、福利厚生が得られないことを恨めしく思っていました。
今、私は大法を修煉しているので、とても幸運だと思っていますし、他人と争うこともなくなりました。私はただ自分のするべきことを行い、求める心を無くしました。私は法輪大法に救われ、本当に幸せです。
法輪大法の素晴らしさを伝えることは、師父が私たちに求めておられる3つのことの1つです。法輪大法を学んだばかりの時、何人かの同修と、市の中心部にある観光スポットに煉功点を作りました。毎日正午に、私たちはそこで功法を煉り、地元の人や観光客に法輪大法の真実を伝えました。私は中国語を話せないので、いつも中国人観光客にはパンフレットを配り、英語を話す観光客には大法の真実を伝えました。多くの人が私たちの煉功点を見てとても喜び、写真を撮ったり、一緒に煉功したりしました。
近年の社会変化により、煉功点を通る観光客の数が減り、私も以前ほど頻繁に煉功点に行かなくなりました。それでも、私は大法の真実を伝えなければならないとわかっているので、出会った人に法輪大法の真実を伝えようと努力しています。
しかし、大法の真実を伝えるとき、私の執着が妨害しました。4年前、舅の看病のために病院に行き、そこで患者やその家族に大法の真実を話しましたが、誰も大法の道に入ってこなかったので、がっかりしたこともありました。私が話したことを誰も認めてくれないと思い、大法の真実を伝える意欲がわかなくなったのです。
携帯電話に通話・ショートメールのアプリをインストールしました。インストールした後、ある電話番号から友達追加の招待が送られてきましたが、見知らぬ人だと思って無視しました。数日後、その人がまたショートメールを送ってきて「病院であなたが『轉法輪』という本を贈ってくれた」と言いました。そこで私はその人を受け入れ、彼と話をしたところ、彼は法輪大法が良いものだと認識していることがわかりました。このことから「私たちは大法のことをやるとき、求めるのではなくて、師父の要求に従うだけで、結果は師父が按排して下さる」と認識しました。師父が「修は己にありて、功は師にあり」(『轉法輪』)と説かれました。
修煉の時間はとても貴重で、より精進しなければならず、自分自身を修め、3つのことをしっかりやらなければならず、それで師父について自分の本当の家に帰れると私は思っています。
師父の救い済度に感謝致します!