不当に12年拘禁された呂永珍さんに、再度不当に懲役3年の判決
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 【明慧日本2024年3月20日】吉林省遼源市の法輪功学習者・呂永珍さん(69)は、2023年2月20日、長春市公安局二道分局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官によって連行され、長春市葦子溝留置場に拘禁された。今年3月中旬、呂さんは地元の裁判所から懲役3年の判決を受け、現在、長春市監視管理センターに拘禁されていることがわかった。

 吉林省遼源市の農村出身の呂さんは、1999年に法輪功を学び始め、「真・善・忍」の基準に従って良い人となるように努力し、心身ともに恩恵を受けた。

 法輪功(法輪大法とも呼ばれる)は、中国社会で1992年に李洪志先生によって公に伝えだされた佛家修煉大法である。法輪功は、宇宙の特性「真・善・忍」を原則とし、緩慢で、優美な5式の功法の動作を含む。修煉者は短期間で心身の浄化と道徳の向上を達成することができるという。

 中国共産党による法輪功への迫害が始まっても、呂さんは法輪功の修煉を堅持し続けているため、当局から労働教養処分を科されたり、不当に判決を受けたりして、合計12年間拘禁された。留置場や労働教養所、刑務所で迫害を受けた。

 以下は、呂さんが受けた迫害事実の一部である。

 1、北京で法輪功の冤罪を訴え 不当拘禁される

 1999年7.20、中国共産党は法輪功への弾圧を開始した。2000年6月、呂さんは法輪功の無実を訴えるために北京に行き、天安門広場の金水橋で「法輪大法は素晴らしい!」と叫んだ。そのため、呂さんは警官に北京の前門派出所に連行されたが、名前を言わなかったため、ひどい暴行を受け、その後、前門留置場に拘禁された。

'中共酷刑示意图:殴打'

拷問のイメージ図:殴打

 2カ月後、呂さんは遼源市の西寧派出所の警官によって地元に連れ戻され、遼源市留置場に入れられた。1カ月後、呂さんは労働教養処分3年を科され、そのまま吉林省長春市黒嘴子女子労働教養所に移送されたが、身体検査で健康状態が基準に達していないため、入所しなかった。その後、洗脳班に入れられ、数日後に解放された。

 2、柳河県で受けた迫害

 2001年1月、呂さんは吉林省通化市柳河県に行って、その帰途に同県公安局柳南派出所の3人の警官に連行され、柳河県留置場に送られた。呂さんは断食をして迫害に抗議したが、強制的に灌食をされた。数人の受刑者が呂さんを押さえつけ、医者が呂さんの鼻からチューブを挿入し、大量の塩を混ぜたトウモロコシ粉汁を流し込んだ。呂さんは嘔吐して、吐いたものに血が混じっていた。1カ月後、呂さんの身体は衰弱し、深刻な不整脈を引き起こし、命が危険にさらされた。柳河県留置場はその責任を恐れ、呂さんを再び遼源市の留置場に移し戻した。

'中共酷刑示意图:野蛮灌食'

拷問のイメージ図:強制的な灌食

 3、長春黒嘴子女子刑務所で拷問を受ける

 呂さんは遼源市留置場で1カ月間拘禁された後、長春黑嘴子女子労働教養所に送り込まれた。

 黑嘴子労働所で、呂さんは「転向」を拒否し、警官の隊長に牢屋のベッドに手錠で繋がれた。また、王という警官に管理室に連れて行かれ、スタンガンで電気ショックを与えられた。ある時、床でに座禅をしていた呂さんは、警官の隊長に胸部を蹴られたが、動かないのを見て、もう一回蹴られた。それでも呂さんが動かないのを見て、警官は手足かせを持ってきて呂さんにつけた。3年間の残酷な迫害を受け、呂さんは2004年8月21日に家に帰ることができた。

'中共酷刑示意图:多根电棍电击'

拷問のイメージ図:数本のスタンガンで一斉に電気ショックを与える

 4、集安市留置場で受けた迫害

 2008年2月28日、呂さんは、法輪功の資料を配布するため、通化市の集安市頭道鎮に行ったが、同市公安局頭道派出所の警官に連行され、集安市留置場に拘留された。寒い日、呂さんは警官に服とズボンを脱がされ、靴も履かままに雪の中に3時間も立たされて、2本のスタンガンで腰の両側を1時間以上電気ショックを与えられた。それから、呂さんは断食をして迫害に抗議したが、残酷な灌食をされ、毎回の灌食に塩をたくさん混ぜられた。灌食後、喉が渇くため、大量の水を飲まないといけなかった。その留置場で呂さんは6カ月間拘禁された。

 

'中共酷刑:冷冻'

拷問のイメージ図:凍えさせる

 その後、呂さんは、集安市の裁判所から懲役9年の重刑を受け、長春市の吉林女子刑務所に送られる前に、警官に写真撮影を強要されたが、抵抗したため、2人の受刑者に押し倒され、足で頭や腰を踏みつけられて、写真撮影を強要された後、所長に2回平手打ちされた。

 5、吉林省女子刑務所で受けた迫害

 呂さんは吉林女子刑務所に送られると、教育監区5階の暗い小屋に入れられた。法輪功を学ぶことを放棄しなかったため、呂さんは午後6時から11時まで、両手を頭の上に上げて立たされ、動くことを許されず、両手を上げられないと、監視役の受刑者らに棒で殴られた。

 呂さんはまた、「押床」という拷問を受けた。「押」の過程で、呂さんは汗まみれになり、体が耐えられないほど痛んでいたが、受刑者が体の上に乗って、一層苦しめられた。その後、呂さんの呼吸は乱れ、顔色も変わったため、受刑者らは少し縄を緩めたが、少し経つとまた続け、繰り返し2日間拷問を続けた。呂さんは「転向」を拒否したため、昼も夜も「押」の拷問をされ、トイレに行くためベッドから降りることも許されなかった。

'中共监狱酷刑:抻床(“五马分尸”)'

拷問のイメージ図:抻床(四肢を四方八方へ引っ張る)

 呂さんはまた、午前4時半から午後11時まで、片足で地面にしゃがむ姿勢を強要しされ、しゃがむ姿勢が崩れると、受刑者らに蹴られ、しゃがむことを続けさせられた。ある時、受刑者らは呂さんの頭を水の中に沈めようとしたが、呂さんの激しい抵抗でバケツの中の水に頭を入れることができなかった。受刑者らはさらに、呂さんの髪の毛を引っ張って頭を壁にぶつけたり、布団を覆い被せ抑えつけたり、板の上に跪かせたりなどの拷問をして苦しめた。

'中共酷刑示意图:殴打、撞头'

拷問のイメージ図:髪の毛を引っ張って頭を壁にぶつける

 2017年2月27日、刑務所で9年間の拘禁を終えた呂さんは、刑務所の門を出た直後、遼遠市の「610弁公室」の警官に引っ張られ車に乗せられた。しかし、そこで呂さんを待っていた法輪功学習者たちは「610弁公室」の車両を止めさせ、呂さんを連れて去った。心優しい長春の法輪功学習者・孫士英さん一家は、呂さんを引き取ったが、そのため、その後、孫さん一家は迫害を受けた。

 2023年2月20日、長春市公安局二道分局の国保の警官によって連行された呂さんは、地元の裁判所に懲役3年の判決を宣告された。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/17/474285.html)
 
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