厳しい試練を乗り越えなければならない時でも、師と法を信じる
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文/中国の大法弟子・寧静  

 【明慧2024年3月22日】ここ数年、私の身体に良くない状態が現れ、何かに胸をきつく締め付けられているように感じ、息苦しくて呼吸がスムーズにできず、坂道を歩くときは口を大きくして呼吸をしていました。 ひどいときには、前かがみになって仕事をしていると、胸の中に大きな水袋がぶら下がっているような感じがします。 寝ているとき以外は常に胸に違和感があり、言い表せないほど苦しいのです。 何回かひどい痛みに襲われた時もありました。

 ある時、あまりに苦しくて、私はグループの中で発正念がよくできている同修の家に行き、彼女に発正念を頼んだのですが、その同修は印を結んだまま座り続けていたので、私は帰るしかありませんでした。 彼女は私のために発正念をしなかっただけでなく、その後、私の健康状態はどうかと聞いてもくれませんでした。 その時、私は心のバランスが取れませんでした。 私たちは20年近く一緒に法を学び、修煉に関する多くのことを私は彼女の代わりに行い、彼女が病業の虚像に陥った時、私とある同修で彼女の家に行き発正念をしていました。 しかし今、彼女は私にこのように接し、彼女はなんと利己的なのだろうかと思いました。

 同時に、これは私の憤慨の心、怨恨の心、闘争心を取り除くためだともわかっていました。 私は内に向けて探し、同修は皆忙しいので、同修に頼ってはならない、これは私が乗り越えなければならない試練であり、同修に迷惑をかけではいけないと思いました。以後、私は身内も含めて同修には体調のことは一切話さず、誰も知らなかったので、ただ自分がすべきことをしていました。

 私は心の底から体の病気を認めていませんでした。 師父が『轉法輪』の中でおっしゃられたように「実は物質と精神は同一のものです」という法理を心に銘じました。 私は「私の体は内側から外側、上から下まで、すべての細胞、五臓六腑が健康であると考えていました。 苦しければ苦しいほど、そう考えるようにしました。 旧勢力が私に病気を認めさせようとしていて、その機会を狙って手を下そうとしています。 私は師父に自分の命を預け、生きるか死ぬかは師父の按排に委ね、私は旧勢力の存在は認めない、私をコントロールする資格はないと考えていました。

 体が痛むとき、最初の一念は「これは私の功を伸ばしている、すべてがいいことだ」と考えています。 時には原因を見分けるのが難しい時、私はよくこう考えます。「師父の按排であり私の業力を取り除いて下さっている、私はそれを正々堂々と受け止めよう!  それが旧勢力に無理やり加えられたのであれば、私はそれを全面的に否定し、 その旧勢力に返します。業力であれば取り除き、魔の妨害であれば滅し、こんなにも簡単なのです。 

 私は師と法を固く信じることに加えて、ポジティブな考えを強め、内に向けて探しました。 自分には多くの執着心があることを知っており、普段から自分の一つの思い、一つの念を観察することに注意を払い、多くの場合は適時にそのよくない考えを捉え、それを滅しています。

 私は法から、修煉者が遭遇する病業の虚像はすべて非常に複雑であることを悟りました。 師父は初めに弟子の体を浄化して下さり、実は、弟子が無病状態に達するように、師父は弟子のためにその業力を肩代わりしてくださったのです。同時に、師父は弟子が修煉の道の各レベルで心性を向上させ、功を伸ばすために、業力の一部を残しているのです。 私たちがどのレベルから来た生命に関係なく、師父が弟子に按排してくださった道は、元の家に戻ることです。そして家に帰るための前提条件は、功を引き延ばす徳が十分に備わることだが、修煉者は輪廻転生で未知数の業力をつくっていたのです。 ある人は多くの悪事を働き、多くの業力を背負い、持っている徳が少ないのです。そのため、多くの苦を嘗め業力を取り除いて徳に変えて初めて功が伸びるのです。 また、師父が弟子のために道を整えてくださっているとはいえ、私たち自身も、執着心から修煉者がやってはいけないこと、たとえば殺生をしたり、口を修めなかったりすれば、業力を作ることになり、この業力の一部は自分で背負うことになります。そしてまた、修煉の過程は、師父の要求に厳格に従って自分をよりよく修め、内に向けて探し、心性を高め、三つのことをよく行い、使命を果たすなど、大法の要求を満たすために、すべてよく行わなければなりません。 これが、なぜ修煉者がさまざまな魔難に遭遇し、肉体が奪われるかの根本的な理由になるのです。

 ある夜、私は寝ている間に息苦しくて、息が続かなくなったとき、私は師父に救ってくださるようにお願いしました。 その夜、私ははっきりとした夢を見ました。外の広い場所に梯子があり、その梯子の先端はまっすぐ雲の上に向いており、梯子の下端は傾斜していて、先端はまっすぐ伸びていました。 私はもうすぐ梯子の先端まで登りついたところで、登れなくなり下り始めました。ある人に「なぜ下っているのですか」と聞かれ、私は「上に登る勇気がないのです」と答えました。目が覚めた私は、これは師父のご啓示であり、乗り越えるべき試練を乗り越えれば、登ることができるということを悟りました。

 師父はまた夢の中で啓示して下さり、山道で、とても汚れた生き物の遺体を見たのですが、それが自分だとわかっていました。 目が覚めたとき、私は自分の生生世世の中でどれだけの悪事を働き、多くの生命に危害を加えたため、ある時代ではそのような汚い生き物に堕落したのだと悟りました。さらにあるとき、夢の中で私は男の前にひざまずいて泣きじゃくり、ゆっくり死ぬのではなく早く死なせてくれと頼み、その男は軽蔑の眼差しで私を見つめていました。私は目を覚まし、これは旧勢力による按排かもしれないと悟りました。 私は修煉を始めたばかりの頃、坐禅の最中に突然目の前に年配の男性の顔が現れ、大きな目と無表情な顔で私を見つめ、一瞬にして消えたことを思い出しました。 私はそれが、借りを取り立てに来た、私が傷つけた誰かだと思いました。 私は師父の写真の前にひざまずき「私は李洪志師父の弟子です。他の按排はいりません。私は旧勢力の按排は認めません。旧勢力と交わした契約はすべて無効です!」と言いました。

 修煉者として私は知っていますが、法を師とすべきで、夢を修煉の指導とするべきではないのです。以上に挙げた例は、自分が輪廻転生の中で多くの業力を作っていることを説明しただけです。これらの因縁関係を理解した後、私はより心を静めて法を学び、法をもって自分を正に帰するようになりました。 この数年間、私は時間があれば、半日は真相を伝えに出かけ、またはほかの法を実証するプロジェクトに参加しています。半日はその女性同修と一緒に学法しています。『轉法輪』を学ぶ時、私達は法を暗記して学んでいます。一人が一段落ずつ暗記し、私が暗記すれば、彼女はその段落を目で追い、彼女が暗記すれば、私はその段落を目で追い、お互いに間違ったところを指摘し合っています。休憩時間を利用して善をもって相手の存在する問題を指摘し合い共に高めています。 私たちはよく一緒にいて、時々私たちの間に小さな摩擦がありますが、そのほとんどは自分の執着心によって引き起こされています。交流を通じて、私たちはそれぞれ内に向けて探すことで、トラブルはすぐに解決されます。

 4年近く経って、大法を学び、心性を修めるにつれ、私の心性は昇華し続け、2023年6月頃、ある日突然、自分の体が良くなり、苦しみがなくなったことに気がつきました。 自分の体にどんな病業の虚像が現れても、師と法を固く信じてさえいれば、乗り越えられない試練はないのだと分かりました。

 師父のご恩に報いるのは難しく、 師父のご恩に感謝の言葉も見つかりませんが、師父、ありがとうございます! 

 (編集者:文謙)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/15/473980.html)
 
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