法輪功によって生まれ変わり 姑との軋轢を解消
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2024年4月8日】私は1997年から法輪大法を学んでから、20年以上法輪大法の恩恵を受け、感謝の気持ちでいっぱいです。法輪大法によって私は生まれ変わりました。

  法輪功によって生まれ変わり、姑との軋轢を解消

 私は農家に生まれました。母は無学で、父は中卒でした。私の記憶では、両親は毎日のように喧嘩し、正月に喧嘩することも少なくありませんでした。それにしても、両親は穀物加工工場を営んでいたため、生活の面では一般家庭より恵まれていました。

 しかし、私は結婚して、貧しい山間部の小さな村にある家に嫁ぎました。夫は一人っ子で、正直でおとなしい人です。舅は口が達者な人で、姑はとてもケチで、義妹が失踪していました。そのためか、姑と舅は私をとても可愛がってくれましたが、私は恩知らずで夫に麻雀で遊ばせ、自分も無駄使いばかりしていました。息子が生まれてから、私はやっと夫の家の生活がどれほど貧しかったかを知りました。秋にはキャベツを一回炒めたら2、3日食べます。冬には大根と豆腐を一回煮込んだら4、5日食べるのも当たり前でした。このような状況で、私はいつもどのようにお金を稼ぎ、生活を改善できるかを考えて、眠れないこともよくありました。後に両親は工場を私たちに経営させてくれましたが、2、3年経営しても生活は改善されませんでした。

 そのため、姑が舅に「嫁が贅沢をしたからだ」と話し、それを聞いていた私は姑と大喧嘩をしました。その結果、姑は病気になり、大晦日の夕食すら食べられませんでした。それ以降、私は彼らに何も買わなくなり、姑も舅も夫も嫌いになって、ついに工場の経営もやめて、両親に返しました。

 翌年の春、私は姑たちと共有していた自分たちの分の土地を取り戻し、さらに実家から土地を借りて、合計約10エーカーの土地で農産物を作りました。そのうえ、8頭の豚を買いました。この時、夫は突然、出稼ぎに行きたいと言い出し、姑たちも外の世界で鍛えて帰ってほしいと言って、とても賛成していました。しかし、当時は出稼ぎ労働者が給料をもらえないケースが少なくなかったので、私は夫に行ってほしくなかったのですが、止められませんでした。

 そして、秋の収穫が終わった頃、夫は500元を手にして帰ってきました。残りの給料は予想したとおりに支給されていませんでした。それに比べ、私は8000元以上の収入を得ました。しかも、一人で5歳の子供を育てながら、すべての仕事を一人でこなし、姑と舅は手伝いさえしてくれませんでした。私は口では何も言わなかったのですが、心の中に不満が溜まっていました。

 ついにある日、夫と些細なことで喧嘩になり、夫は周囲の人に引き離されましたが、私は気が済まず、スコップを取り出して彼を殴ろうとしました。それを見ていた親戚が、「仲良くしてください。何を喧嘩しているの?」と言いました。 私はスコップを投げ捨てましたが、怒りのあまり、家に戻り、家の中で一番高いカラーテレビを運び出して、庭に投げて、蹴りました。親戚が「あら、あなた1年で何台のテレビ代を稼げるの?」と言って、私はやっと目が覚め、唖然としました。

 それから、私は狂ってしまい精神病になったと、人が言います。私が覚えているのは、最初の数日は飲まず食わず、夜も寝ずに、ひたすら働きました。それから、仕事もせず、一日中歩き回っていたといいます。母は私に付き添ってあちこちの医療機関を訪ねましたが、改善がなく、私を精神病院に送ろうとしました。

 そんな時、叔母は師父が出版したばかりの『出家弟子としての原則』という経文を持ってきて、私に読んでほしいと頼んできました。読み終えた途端、私は「これは私のために書かれたものだ」と言いました。その夜、母が師父の説法の録音を聞かせてくれようとしましたが、私は暴れて、テープレコーダーを壊そうとしました。母はびっくりして、すぐにレコーダーの電源を切りました。母はしばらくして私が寝たと思って、再び電源を入れて録音を流しました。私は起きて再びテープレコーダーを壊そうとしましたが、なぜか力が入らず、そのまま「業力の転化」と「白い物質と黒い物質」に関する説法を聞いて眠りました。そして、翌日起きると、私は師父の弟子になりたいと思いました。

 でも、その時修煉とは何か、どうすれば良い人になれるかは知らず、甚だしくに至っては、どうやって人間になるかさえ分かりませんでした。ただ大法の本を読むのが好きで、師父の『米国法会での説法』を一気に読み終えました。それからの数日で当時出版されていた師父の説法を全部読みました。

 この時期同時に、姑と舅も大法を学びはじめました。舅が家で学法グループを設立し、師父の講義ビデオを流しました。修煉しない夫も時々手伝いました。師父が『轉法輪』の中で、「あなたが煉功していても、あなたの配偶者は煉功していないという場合、煉功が原因で離婚してしまってはいけません」と説かれていますので、私は師父の教えにしたがって、夫と離婚せず、仲良く暮らすようにしました。それから、姑がご飯を作る時は、私がかまどの火をおこします。舅が畑の仕事をする時は、私も一緒に働きました。そして、夫は仕事で稼げるようになり、そのお金を全額姑に渡すようにしました。私は山で採った山菜などを売ったお金もすべて姑にあげました。ただ旧正月実家に帰った時だけ、姑から少しお金をもらい、親戚たちにお土産を買いました。これに対して、親戚たちが息子にくれたお年玉を、私は一切受け取りませんでした。

 私は利益心の強い横暴な女性から、名誉や利益を求めず、淡々と生きる善良な女性に変わりました。舅は人に会うたび私を褒めました。村の婦人幹部が「この家の嫁姑関係は、私たちは調停できなかったが、法輪功を修煉することによって和解された」と言いました。法輪大法によって、私は生まれ変わりました。

 村全体が法輪大法を支持し、大洪水の中で福報を受けた

 1999年7月、中共による大法への迫害が始まり、私は何度も連行され、約7年間刑務所に入れられました。これらの魔難は、私の師父と大法への固い信念を動揺されることなく、両親からの私への支持にも影響しませんでした。

 2011年、父は97歳の祖母を家に迎え入れ、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と祖母に唱えさせました。祖母はとても従順で、よく声に出して唱えていました。2013年4月、私の甥が生まれ、四世代が同居することが実現しました。そして、祖母は100歳で安らかに亡くなりました。

 2013年8月、夢の中で父が暗雲に襲われるのを見ました。私は思わず手を伸ばすと、暗雲はすぐに消えました。数日後、千年に一度の大洪水が私たちの山村に襲来しました。洪水の後、父の家と周辺のいくつかの家だけが被災を免れました。洪水に襲われた場所では、家屋が崩壊し、多くの村人が命を落としました。私たちの町では最も繁華な通りの真ん中に、洪水によって作られた溝が家の高さほど深く、両側の店舗は泥で埋まり、建物の屋根の上にいた24人全員が亡くなりました…。翌日、隣村の住民は山で何体の遺体を埋葬したか覚えていないくらい、たくさんの人が亡くなったのに、テレビ局の記者は被災地で、一人も死亡していないと報じられ、憤慨した村人たちに追い払われました。

 これに対して、姑の村の村民は全員無事でした。なぜなら、姑が法輪功を修煉することによって4年の冤罪判決を受けたとき、2世帯を除く村の住民全員が姑を救出するための嘆願書に署名し、姑の釈放を求めました。洪水の間、この村の家は一軒も倒壊せず、被害を受けた土地もわずかでした。村人たちの善行は福報をもたらしました。姑の家も水に浸かることもなく、2エーカーの土地を失っただけでした。舅によれば、その年の穀物生産量は前年に比べてかえって5000キロ近く増えたそうです。

  私のいとこも真相を知っており、大法のお守りを体につけています。洪水が来た時、彼女は十数人の隣人と一緒に平屋の屋根に登り、そこで一晩避難しました。彼女によれば、洪水が平屋を飲み込む寸前に、徐々に引いていったそうです。

  法輪大法はすなわち衆生を救い済度する希望です!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/28/474516.html)
 
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