【明慧日本2024年4月14日】(前文に続く)
6、遼寧省鉄嶺市の劉淑媛さんは繰り返し迫害され死亡
遼寧省鉄嶺市の銀州市出身の学習者・劉淑媛さん(71歳女性)は、1999年7.20以降、「真・善・忍」の信念を堅持しているとして、中共当局から残酷な迫害を受け、2024年1月7日にこの世を去った。
劉さんは東北送油管理局の幹部だった。劉さん夫妻は1997年に法輪功を学び始め、心身ともに恩恵を受けた。中共が法輪功迫害を引き起こした後、夫婦は拘留、労働教養処分、拷問などの残酷な迫害を繰り返された。
鉄嶺公安局に連行された劉さんは、3日間昼夜、椅子に座らされ、手錠をかけられて椅子に繋がれて固定され、睡眠を許されなかった。そこで、鉄の籠に入れられたこともある。大きな籠に閉じ込められたとき、劉さんは壁に立たされて両手を横に伸ばされ、体は「大の字」にされ、両手を壁に手錠で固定された。動けば動くほど手錠がきつくなっていた。小さな籠に閉じ込められたとき、劉さんは、まっすぐ立つことも、しゃがむことも、座ることもできなかった。迫害に抗議するため、劉さんは断食を行ったが、手錠をかけられ、足かせをはめられ、板に固定され、そのまま灌食を強制された。
劉さん夫婦は、当局の裁判所からともに懲役5年の判決を言い渡され、劉さんは瀋陽市大北刑務所(遼寧省女子刑務所)に入れられた。
刑務所の第一監区で、隊長の陳が受刑者に、劉さんに対して暴力行為を指示した。それで、劉さんは受刑者殴られたり、むちで打たれ、叩きつけられ、蹴られ、平手打ちされ、髪を引き抜かれ、汚水をかけられるなどの暴力を受けた。劉さんはさらに、拷問、奴隷労働、体罰(毎日朝6時半から夜9時までしゃがむ姿勢を強いられた)、トイレに行くことを許さないなどの迫害を受けた。苦しめられた劉さんは、体重が十数キロ減り、めまい、脱力感、呼吸困難などの症状が現れた。
2007年9月10日、劉さんは重病の学習者・賈立文さん(すでに他界)のお見舞いに行ったため、鉄嶺市公安局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に自宅から連行された。その後、劉さんは逃れたが、それ以来、8年間、家に帰ることができずに放浪生活を余儀なくされた。
2023年秋のある日、劉さんがある学習者の家を訪ねたところ、警官がその学習者を連行し、家宅捜索しているところに遭遇した。劉さんもそこで連行され、身体検査を受け、家の鍵を押収され、脅迫された。その夜、解放され家に戻ったが、長期にわたって迫害されたため、動悸とパニック症状が再発し、悪化した。そして、2024年1月7日、劉さんは自転車に乗っているとき、突然倒れ、そのまま息を引き取った。
7、かつて11年の判決を受けた四川省楽山の李厚培さんが他界
四川省楽山市で一人暮らしをしていた学習者・李厚培さん(76歳男性)は、公安当局による長年の嫌がらせ、脅迫、迫害され、2024年1月30日に他界した。
李さんは2007年6月、北京に住む息子の家から連行され、楽山に戻され、同年12月に秘密裏に11年の重刑を言い渡された。
2022年2月18日、李さんは街で法輪功の資料を配布していたところ、張公橋派出所の警官らに連行され、家宅捜索され、法輪功関連書籍などの私物を押収された。李さんは、その夜に解放され帰宅した。
2023年5月、李さんはある学習者を訪ねたとき、警官にその学習者の家から連行され、その夜に帰宅したが、その後、派出所の警官から繰り返し嫌がらせをされた。同年8月、検察庁の検察官は李さんの自宅に行き、「楽山を離れるな」と李さんを脅迫した。
李さんは、公安の警官による絶え間ない嫌がらせ、脅迫、迫害で深刻な精神的ストレスを受け、2024年1月30日にこの世を去った。
8、迫害で障害を負い 天津市の衛広華さんが死亡
天津市の学習者・衛広華さん(男性)は、2003年に中共の裁判所により懲役9年の判決を言い渡された。刑務所で残酷な迫害を受け、身長180センチの衛さんの体重が40キロにも足らず、命の危険にさらされた。出所した後、迫害から逃れるため、衛さんは10年以上も家に帰れず、家族との離散に苦しみながら、放浪生活をしていた。肉体的、精神的にダメージを受けたため、衛さんは2023年12月、62歳でこの世を去った。
9、山東省の馬清賢さん、斉慶信さん夫婦は迫害で死亡
山東省済南市鋼城区黄庄鎮斉家嶺(仙人橋村)の学習者・馬清賢さんは手配され、20年間追跡されたため、20年間放浪生活を余儀なくされ、その中で計り知れない苦難を受け、辛い日々を過ごし、やせ細り、数日も昏睡状態に陥ることもあった。馬さんは2021年12月に64歳で亡くなった。夫の斉慶信さんは、警官からの嫌がらせや脅迫を受け続けた末、2022年正月15日(旧暦)の前夜に亡くなった。夫婦は同じ年に生まれ、100日のうちに前後して亡くなったという。
10、迫害で寝たきりになって十数年 遼寧省阜新市の霍秀芹さんは死亡
遼寧省阜新市清河門の学習者・霍秀芹さんは、懲役3年の判決を言い渡され、遼寧省女子刑務所に拘禁された。刑務所の迫害で霍さんは半身不随となって10数年後2023年2月3日に63歳で死亡した。
刑務所で霍さんは殴打、罵る、凍えさせる、トイレに行くのを禁止するなどの迫害を受けた。「転向」をしなかったため、残酷な迫害をされ、脳梗塞と心臓発作を起こし、身の回りのことができなくなった霍さんは、医師から「寝返りを打てば気絶する可能性があり、いつ亡くなってもおかしくない」と言われた。治療のための仮釈放で2011年5月に帰宅した。
家で母親と夫の介護のもと、霍さんは強く生き、霍さんの月2300元の年金を頼りに生活費と薬代を維持していた。夫は霍さんを介護しなければならないため働きに出ることができず、生活は非常に貧しかった。
さらに、阜新市社会保障局は2022年10月ごろ、突然霍さんの年金の支給を停止し、「拘禁されていた間に年金を支給したので、今はそのときに支払った年金とその利息を回収する」との理由だった。家族は「10数年も過ぎたし、その規定を私たちに知らせてくれなかったので、知りませんでした。今、霍秀芹は寝たきり状態で、生活を維持するために年金に頼っているので、これから、どうやって生きていけばよいのですか! 霍秀芹は刑務所に入れられる前、薬も注射も要りませんでしたが、刑務所から帰ってきたら、こんなになってしまいました。誰が責任を負うのですか?」と訴えた。
あれから、霍さんは毎日、憂鬱で、以前の病気が治らず、新たに病気にかかり、治療費がないため、治療を受けられずに2023年2月3日に亡くなった。
11、河南省周口市の陳玉琴さんは迫害され死亡
学習者・陳玉琴さん(女性)は河南省周口市聯通会社の退職者である。1999年7.20、江沢民が法輪功迫害を引き起こしてから、陳さんは淮陽県公安局の警官らに繰り返し嫌がらせをされ、罰金を強要された。
2022年4月17日、79歳の陳さん(携帯電話は警察に監視されていた)は、淮陽区国保の大隊長・牛博文、于紅晨などの警官に連行され、家宅捜索された。60数冊の法輪功関連書籍、カッター、プリンターなどの私物を押収されたうえ、5000元の罰金を科せられた。さらに、陳さんは年金の支給を停止され、刑務所外での執行、懲役3年の判決を言い渡された。
その間、警官は陳さんを常に監視下に置き、脅迫と嫌がらせを繰り返した。警官の行為による迫害と嫌がらせは、陳さんとその家族に大きな被害をもたらした。そのため、陳さんの健康状態は自立生活ができなくなるまで悪化し、2023年1月26日(旧暦)に他界した。享年81歳。
12、四川省の元教師・張貴清さんは迫害で死亡
四川省南充市南部県の学習者・張貴清さんは、「真・善・忍」を信念を堅持したとして、中共から長い間嫌がらせや脅迫を受けていた。そのため、2021年5月、88歳の張さんは家を離れたが、同年10月29日、放浪生活の中で息を引き取った。
教師を退職していた張さんは法輪功を修煉する前、慢性的な虚弱体質で、気管支喘息、心臓病、胃潰瘍、緑内障、白内障など多くの病気にかかり、健康の問題で仕事ができないため、早期退職した。1996年、幸運にも法輪功に出会った張さんは、まもなくすべての病気が治った。
善良な張さんは、法輪功への信念を堅持するために、何度も何度も嫌がらせと迫害に遭い、娘・張林悦さんが3年の不当判決で拘禁されたことで苦痛にも耐えていた。
2015年、法輪功迫害を引き起こした江沢民を告訴する人が多くいた。当時、82歳の張さんも法輪功が迫害されていることを暴露するため、人々の正義を呼び戻すため、「ジェノサイド、拷問の濫用、人道に反する罪」など、実名で江沢民を告訴した。しかし、その後、南部県国保の警官数人が張さんの家に来て、脅しと嫌がらせをし、『轉法輪』を含む3冊の法輪功書籍を取り上げた。張さんは法律の規定を持ち出して警官に見せ、「あなたたちの行為は違法です」と言った。
それ以来、順慶区610弁公室の主任と副主任、派出所の警官、コミュニティの職員など、大勢の人が、絶えず張さんに対して嫌がらせをしていた。
度重なる悪質な嫌がらせは、張さんの正常な生活を乱した。張さんは心身ともに疲れ果て、精神的に大きなストレスを受けた。それで、張さんは余儀なく放浪生活を強いられた。自宅に戻ることができず、親族に会うこともできず、2021年10月29日、張さんは他郷の地で息を引き取った。
付録:2023年3月、死亡した法輪功学習者の統計 (18KB .xlsx)
(完)