【明慧日本2024年4月21日】第20回イスラエル法輪大法修煉体験交流会(法会)が4月12日、ラアナナで開催された。 全国から法輪功学習者(以下、学習者)が集まり、法会では10人の学習者が修煉体験を共有した。
今回の法会は当初、2023年10月13日に開催される予定だったが、2023年10月7日にイスラエルがハマスのテロ攻撃を受け、戦争により国全体が緊張と不安に陥ったため、法会は延期された。
当日の交流会では、大法の教えのもとで人生の試練を乗り越え、真・善・忍に従って着実に修煉する中での悟りや思いが語られ、新しい学習者を含む会場の参加者たちは深い感動を受け、大きな励みとなった。
法会終了後、学習者たちは近くの公園で集団煉功も行った。
法会で発表する学習者 |
法会の後、集団煉功を行う学習者 |
信念を守り続け、師父が修煉の道を切り開いて下さる
20年間修煉を続けている学習者は、妻と『論語』を心込めて暗誦した後、家庭と自分の修煉に起こった前向きな変化について語った。継続的に暗誦することで、彼は『論語』のすべての言葉をより明確に理解し、人間の考えを取り除き、法をより深く理解した。
長女と次女がアメリカの北方学院で学んでいることから、彼と妻は、「末っ子の娘もアメリカの北方学院に行き正統的な価値観の教育を受けるべき」と考えた。しかし、国をまたいだ引っ越しは決して容易ではなく、彼らは複雑な経済的困難に直面した。 しかし、彼らが決心したとき、その後に信じられないようなことが次々と奇跡的に起こり、引っ越しのための経済的な余裕ができたという。
執着を取り除き、初心の修煉に戻る
長年修煉してきた古い学習者は、新しい学習者との接触を通じて目覚め、大法の素晴らしさを再び実感した。 彼女は、最初に法を得たときと同じように、毎日五式の功法を一通り行う必要があると気付いた。彼女は「体力的にも精神的にも軽やかになり、仕事の負担も自然に軽く感じました。奇跡的に、より短期間でより多くのことを達成できるようになりました」と述べた。また、一般人のものを見るのではなく、「神韻作品」のビデオを見て、身も心も浄化されたと話した。 彼女は「自分がより純粋になったように感じます。そのおかげで、もっと精進して修煉し絶えず、より早く執着を取り除いていく励みになっています」と話した。
母親である二人の学習者が、子供たちを連れてロンドンのサマーキャンプに行った体験を共有した。 興味深いことに、一人は学校の計画は完璧だと思っているが、もう一人の学習者が同じことについて責めていた。責める傾向があると気付いた学習者は自分の観念を変え、主催者に感謝するようになったという。
子ども弟子が内に向けて探し、自己満足を取り除く
12歳の女の子の交流は、多くの参加者に感動を与えた。女の子は、子ども弟子の夜間学法グループの協調人だが、予期せぬ状況でいつも技術的な問題が発生し、女の子は内に向けて自分自身を見ることを余儀なくされた。
女の子は、進行役としての自分の役割に得意としていることに気づいた。女の子が一生懸命驕り高ぶる心を取り除いたときに、困難は消えた。 その後、同様の技術的な問題が再び発生したとき、女の子はそれが自分の自己満足と傲慢によって引き起こされたものであることに、すぐに悟り執着を取り除き、問題はその場で解決されたという。
また、女の子は日常生活の中で、出会う中国人に中共による迫害の真実を伝えることが非常に重要であることにも気づいたという。
法会に参加した新しい学習者 多くの収穫を得た
法輪功を学び始めたばかりの新しい学習者にとって、法会に参加するのが初めての人もいた。
ベラルーシ出身で23歳のマリアさんは、母親から法輪大法を知り、自分自身と世界を理解する過程を経て、最終的に法輪大法は自分が求めていた道であることに気づいた。「今日はとても特別な気持ちになりました。この法会を通して私は変わりました。皆さんは異なる見解、異なる社会的背景、異なる場所から来ていますが、ここで心を開いて、心の奥底から自らの体験を語っています。今日ここに来る機会を得てうれしく思います」とマリアさんは述べた。
2年近く修煉を続けているアナトさんは、「修煉の境地は終わりがなく無限なものです。今日はたくさんの啓発をいただきました。同修の体験が私を励まし、私はモチベーションを高め、執着を取り除くことにもっと取り組みたいと思います」
「すべての発表には共通点がありました。それは執着を見つけることです。たとえば自分と他人を比較し、自我に対する執着、見栄を張るなどです。自分は優しさに欠けていることが多いので、今後は自分の考えにもっと注意を払い、日常生活の中でより誠実で正直になりたいです」と話した。
修煉を始めて1年になるジヴオルさんは、修煉する中で自分を少しずつ変えるべきで、毎日 5セットの功法を行い、修煉により多くの力を注ぐ必要があると感じたと述べた。