【明慧日本2024年4月27日】私の故郷は中国北部の小さな都市です。 この物質主義的な現代社会にもかかわらず、この都市の文化遺産や史跡は古代の伝統的な価値観を含めてよく保存されています。
私は知識人の家庭に生まれ、両親、兄と姉と私の3人兄弟の5人家族です。
私の父は 1960 年代初頭に、5年制の大学に通っていました。その頃、中国の文化大革命はまだ始まっていなかったので、父は伝統的な教育を受けました。父は大学卒業後、軍事研究機関に勤務し、そこで中国共産党(CCP)の欺瞞的な行為を目の当たりにしました。 数年後に文化大革命が始まると、父は「闘争セッション」にさらされ、「臭老九」(訳注:九番めの鼻つまみ者:文化大革命中に知識人を軽べつして、地主・富農・反革命分子・悪質分子・右派分子・裏切り者・スパイ・資本主義の道を歩む者の最後の序列で「臭老九」と言った)というレッテルを貼られました。
父は学問への情熱から、厳格さ、勤勉さ、そして優れた能力は抜群で、その職業に秀でていました。父は差別を受けながらも研究に励み、その名声は確固たるものです。父は口数が少なく、自分の子供時代や若いころのことについてはほとんど語らなかったのです。母は父がいくつかの困難に耐えたと話ました。
中学校の数学教師である母は、職場では常に賢明に問題に対処し、衝突があると必ず一歩引いていました。家では私たち3人の子供に厳しかったのですが、大切に育ててくれました。私達3人兄弟がトラブルに遭遇することはほとんどありませんでした。しかし、母の健康状態は悪く、乾癬に悩まされており、中年になると心臓の問題と重度の腰痛に悩まされました。いったん腰痛が起こると、母は睡眠をとることが困難で、激しい痛みのために時々入院しました。1980 年代から 1990 年代、中国で気功が流行していた時期に、母はさまざまな方法を試しましたが、どれも役に立ちませんでした。
兄は賢く、物静かで内向的で、成績は優秀でした。兄は若い頃にカンフーを独学で学びました。 姉は、戦士のような気質を持つ美しい女の子で、私がいじめられているときはいつも立ち上がって助けてくれました。
父は、私が高校生だった1995年の終わりころ、法輪大法の修煉を始めました。私は父の変化にすぐに気づきました。私は父が法輪大法の主な書籍である『轉法輪』を読んでいるのをよく見かけました。父は新たに得た喜びを分かち合いたくて、法輪大法の奥深い教えについて話しましたが、父の修煉に対する熱烈な信念を完全に理解することはできませんでした。しかし、私は父が切望していたものを発見したように感じました。
母が他の気功をやめられなかった一方で、大学を卒業して銀行で働き始めた兄は、『轉法輪』を読み始め、法輪功を修煉し始めました。
父は法輪大法を修煉し始めて間もなくして、若いころから続いていた高血圧、めまいもなくなりました。 兄も仕事のプレッシャーによる神経衰弱が消えていることに気づきました。彼らの前向きな変化を目の当たりにして、母は法輪大法を修煉し始めました。
母は熱心に修煉していました。母は仕事と家庭で忙しいスケジュールにもかかわらず、法輪大法の煉功をする時間をなんとか見つけていました。母が煉功をやっているとき、私は母の周りにエネルギーがあるのが見えました。 外で法輪功の五式の功法を煉っていたとき、同修の一人が、母の体全体が透明になり、赤い光で輝いているのを見たと言いました。母の腰の痛みと心臓の問題は消えました。母は自転車に乗って通勤中、カラフルな小さな法輪が自分の周りで踊っているのを見たと言いました。
そのころ姉と私は、悟りの資質が限られていたため、大法を疑っただけでなく、父を説得して大法の実践をやめるように言いました。
師父はこう説かれました。「このような人はもとより頑固ですが、根基が良くないとは限りません」(『轉法輪』「第六講」)
そんなある日、姉が仕事中、姉の周囲が突然真っ暗になって、暗闇の中でCDほどの大きさの鮮やかな法輪が、姉の周りで優雅に回転しているのを見ました。法輪が徐々に消えていくと、姉の周囲は正常に戻りました。姉はこの出来事に驚き、大法を実践することを決意しました。姉は「師父は異次元の素晴らしさを見せてくださいました」と話してくれました。
姉が目の前で奇跡が起こるのを目撃したにもかかわらず、私はまだ大法の扉の外に留まり続けていました。
私が大法に対する態度が変わったのは、「家族が信奉しているものは良いものに違いない!」と気づいたからです。それからは、私は学校の休み時間に母と一緒に五式の動作を煉り、45分間の座禅をしました。足が紫色になってしびれていても、それでも数秒後には奇跡的に足が元に戻っていました。しかし、それでもまだ『轉法輪』を勉強しようとはしませんでした。
大学に行く前、父は私に『法輪功』の本をくれたのですが、時々流し読みをするだけでした。
1999 年上半期の2 年生の 2学期になって、私は初めてキャンパス内の新しい学法グループに参加し、私の修煉の旅が始まりました。 他の若い学習者たちと交代で『轉法輪』を読みました。時には、寮が閉まる遅い時間まで本を読みました。
私たちは、午前中に30分間第二式の功法を煉って、授業のない午後には、夏の暑い中でも寮のテラスに集まって座禅しました。私は足の痛みに耐えながら音楽が終わるまで頑張りました。若い協調人が、「五式の煉功音楽が終わるまで続けられるのは、あなた一人しかません」と褒めてくれました。
ある朝、私は全身が強力で温かいエネルギーの流れを感じました。私は、師父が灌頂(『轉法輪』「第四講」)をしてくださっていることに気づきました。私も法輪が回転するのを感じ、計り知れない喜びを感じました。また、「龍」の文字が含まれる景勝地を訪れた際、師父が天目を開いてくださったので、髭を微かに震わせている白龍の姿を見ました。
師父は、「世の人は法のために来たのです」『各地での説法十』「大紀元会議での説法」と説かれました。それ以来、私の生活は大法と切り離せないものとなり、常に師父の存在を感じています。
中国共産党による長年の迫害にも関わらず、家族の大法の書籍や資料のほとんどが保存されています。母は『轉法輪』の本をとても大切にしていました。裏表紙の蓮の花のつぼみが満開の花を咲かせました。これは1999年7月20日以前に修煉を始めたほとんどの同修たちが目撃しました。
法輪功への迫害はまだ続いていますが、この乱世において、天災人災、疫病の最中でも、大法を修煉する人はますます増えており、大法は人類を祝福し続けています。 より多くの人が法輪功迫害の真実を理解し、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を念じるようになりました。