【明慧日本2024年5月10日】武漢市礄口区の法輪功学習者・黄咏梅さんは、かつて中国共産党(以下、中共)の洗脳班で拷問迫害を受け、怪我や障害を負い、身の回りのことができなくなった。 2021年4月17日、70歳になった彼女は、再び洗脳班に連行されて迫害され、帰宅後、身の回りのことができなくなった。
黄さんは現在一人生活で、介護人を雇う経済的な余裕はない。75歳の未亡人である黄さんは、自宅で介護してくれる人もいない。
1949年生まれの黄さんは、武漢市礄口区漢中街長寿社区に住んでおり、真・善・忍の原則を堅持したとして、中共の20年以上にわたる法輪功迫害の間、数回連行されて拘留され、5回にわたって武漢市礄口区額頭湾の洗脳班に拘禁されて迫害された。 黄さんは洗脳班でまる5日間、2つの鉄のベッドの間に吊るされ、手錠をかけられた。悪人たちは2つの鉄のベッドを思い切り引っ張り、まるで彼女の体を2つに裂くかのように拷問した。その結果、黄さんは手に神経障害を負い、身の回りのことができない障害者となった。
拷問のイメージ図:両手を引っ張られ、吊るし上げられる |
以下は、中共による黄さんへの迫害についての説明である
2002年、礄口区額頭湾の洗脳班に長期間拘留されていた黄さんは、洗脳班の塀を乗り越えて、なんとか脱出した。ある空き家に到着した彼女は一時的に滞在しようとしたが、押し入ってきた武漢市の国内安全保衛部門(以下、国保)の警官に連行され、40日間拘留された。その間、黄さんは寝ることも許されなかった。
2003年11月4日、黄さんは再び漢中街派出所の地域住民と警官に連行され、額頭湾洗脳班に拘束されて10日間連続で睡眠を剥奪された。そのうちの5日6晩は夜どうし床に立たされ、大きな手錠で吊り上げという罰を受け(上図)、何度も気を失った。悪人は「死んだら、火葬場に投げ捨てて、自殺だと言えばよい」と言い触らした。
吊り上げられていた黄さんは、ズボンの中に尿や便をすることを余儀なくされた。手の皮膚や肉が裂け、手の神経損傷、障害となり、自分の世話をすることができなくなった。そして武漢市第四医院にて神経損傷と診断され、手術が急がれている。そうでないと、手が切断される危険性があったという。
2016年1月6日午前、黄さんは、自宅の住宅区付近で法輪功迫害の実態が書かれた資料を配っていたところ、誰かに通報され、駆けつけてきた警官に連行され、額頭湾洗脳班に7日間拘束された。
2018年4月24日午後、黄さんは学習者・周明利さんの自宅を訪れた際、玄関前にしゃがみ込んでいた礄口区公安局の警察官に周さんとともに連行され、漢中派出所で一晩拘束された。
2018年4月25日朝、警察は黄さんと周明利さんを連行し、武漢の東西湖第一留置場に10日間拘束した。
2018年5月5日、違法拘留期間が満了すると、黄さんは悪名高い額頭湾洗脳班に連行され、迫害された。黄さんは毎日、朝6時半から夜遅くまで、トイレに行くとき以外はずっと立たされていた。迫害によって脚が腫れ、嘔吐と下痢を繰り返し、食事もとれない深刻な状態になって、2018年5月14日に帰宅した。
黄さんが帰宅してから4日後の2018年5月18日、派出所の警官らは黄さんの家にやってきて、黄さんの家で「勉強」する、すなわち家で洗脳教育を行い、毎日9時半~11時半まで1分も欠かさず家で行うと告げた。洗脳を避けるため、黄さんは家を出て放浪生活を余儀なくされた。
2021年4月17日午前、黄さん(72)は武漢展覧館広場前のバス停で、現地派出所の私服警官2人に呼び止められ、中展派出所に連行された。一日中、水も食べ物も与えられず、違法な取り調べを受けた。警官は違法な供述、写真、身長・体重測定、指紋、血液サンプルを採取した。18日午前1時、国保の警官は黄さんを額頭湾洗脳班に連行し、拘留と迫害を続けた。
礄口区額頭湾洗脳班で、黄さんは強制洗脳を受けた。 一つの部屋に、2人のいわゆる「付き添い」と1人のいわゆる「先生」がおり、毎日午前と午後、学習者は教室に強制的に連れて行かれ、いわゆる 「授業 」を受けさせられたが、実際は強制的な洗脳であった。法輪功を中傷するCD-ROMを見るとき、目を閉じたり、頭を下げたりすることも許されず、廊下を通るとき、窓の外を見ることも許されなかった。
黄さんは、洗脳班で心身ともに深刻に破壊され、体がおかしくなり、医師が血圧を量ろうとした時、黄さんは2枚の掛け布団の中にいて震えていた。
洗脳班から解放された黄さんが家に戻ると、拷問と迫害で障害を負った手の症状が再発し、自分の身の回りのことが再びできなくなった。