文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年6月25日】私の姑は実家では末っ子で、一番可愛がられていました。舅は姑よりかなり年上だったので、彼らは結婚後、舅は姑を溺愛していました。姑は横暴で、物事がうまくいかないとすぐに怒り、気絶してしまうほどで、回復するには指圧治療が必要だったのです。
私は夫と結婚した後、多くの困難に直面しました。財産分与の際に私に割り当てられた品物の返還を姑に要求されました。姑は自分のしたことや言ったことを認めようとしないことが多かったのです。姑は近所の人たちに私の噂を流すこともありました。
夫は仕事で留守にすることが多かったので、私は子供の世話、農業、家畜の飼育など、家事を一人でこなしていました。私が猫の手も借りたいほど忙しくなったときも、姑は玄関に立っておしゃべりをして、全然手伝ってくれませんでした。私たちは姑の出費を賄うために毎月お金を渡すよう求められていました。経済的な理由で支払いを遅れると、姑は怒りました。
夫が帰宅して庭の草取りをしようとしたとき、姑は夫に私の愚痴を言い、口論になりました。私は誤解され、イライラし姑を恨み始めました。これが私の健康に影響し、便秘になり、便に血が混じり、偏頭痛に悩まされ、毎日が耐え難いものでした。
私は1998年後半に法輪大法を学び始め、『轉法輪』を学ぶことで人生の意味を理解しました。姑を恨むのをやめ、精神状態と健康が改善されました。薬はもう必要ありませんでした。今は、パンデミックの最中でも、法輪大法の資料の作成と配布に力を注いでいます。
姑が年老いてきたので、私たちは彼女の世話をするために彼女を私たちのところに住まわせることにしました。私は彼女の日々の世話をするために仕事を辞めました。彼女の厳しい言葉に、私は時々平静を保つのに苦労しました。
ある時、彼女はベッドと床に排尿し、歩き回って尿をそこら中に撒き散らしました。私は掃除をしている間、彼女にじっとしてと言い、糖尿病のせいで尿がベタベタしているからと言いました。彼女は「どうせあなたが掃除するから」と言いました。夫はこの話を聞いても黙っていました。
彼女の世話をしながらも彼女の頑固さに直面し、憤りと嫉妬を感じながら、私は法輪大法の教えを思い出しました。私は、衝突は偶然ではないことに気づき、自分自身を見つめ始めました。私は闘争心、顕示心、歓喜心、嫉妬心、恨み、自尊心に執着し、他人を変えようとすることがよくあり、自分自身を修めていませんでした。
師父は『オーストラリア法会での説法』の中で「慈悲をもって全ての人に対処すべきであり、いかなる問題に遭遇しても自分の原因を探すべきです。人に罵られ殴られたとしても、自分を探し、自分のどこかが間違ったから引き起こされたのではないかとみるべきです。これはトラブルの根本的な原因を見付けることができ、私心のため自我のためという執着を取り除く最も良い方法でもあります」と説かれました。
私は師父の法を読み、義母を恨んだり妬んだりしなくなりました。師父は私が修煉を達成できるように姑を按排してくださいました。師父に感謝します。
法に対する私の理解は限られているので、適当でない所があれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。