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文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年6月26日】
私の家族の奇跡
大法から恩恵を受けたのは私だけでなく、私の家族も危機の時に大法によって守られ、救われました。
大学4年生の時、叔父がうつ病になりました。叔父は眠れずに希望を失っていました。春休みに叔父を訪ねたのですが、顔色が悪く、話しかけても反応がありませんでした。私は法輪大法を修煉し始めたこと、その健康効果、中国共産党に迫害されている理由を話しました。叔父は興味を持ち、中国共産党を脱退することに同意しました。私も叔父と一緒に『轉法輪』を読み、法輪大法の煉功をしました。
その夜、叔父はとてもぐっすり眠りました。叔母は、叔父がこんなにぐっすり眠ったのは久しぶりだと言っていました。
翌日、母がやって来ました。叔父は妹(母)に会うと、涙を流しながら、自分に起こった奇跡的な体験を私たちに話してくれました。
実は、その前の朝、叔父は憂鬱に耐えられなくなり、アパートの屋上から飛び降りそうになっていたというのです。しかし私と話した後、飛び降りるのを諦めました。その日の夕方、額から何かが押し出されるのを感じたそうです。その後、意識が正常に戻り、その晩はぐっすりと眠りました。私たちは皆、叔父のことを喜びました。叔母も大法の治癒力を確信していました。
数年前、私の兄は膵炎で入院しました。激しい痛みとその他の合併症がありました。数日間の治療を受けましたが、兄の状態は悪化するばかりでした。
病院で兄の世話をしながら、私は兄の隣に座って『轉法輪』を読みました。(法輪大法を修練していただけで)姉が逮捕されると、兄は私と母が修煉することに反対しました。しかし、私が隣で『轉法輪』を読んでいても、兄は私にやめるように言いませんでした。
午後10時頃、兄は突然、激痛を訴え始めました。腹部を刺されているような感じがして、死にそうでした。私は兄に、大法は兄を助けることができると思うが試してみるかと聞いてみると、兄はうなずきました。
私が『轉法輪』を声に出して読み始めると、兄はうめき声を上げるのを止めました。しばらくして、兄が静かになったので、眠ったのだと思って読むのをやめると、すぐに兄は読み続けるように言いました。私はその夜、ずっと兄に本を読み聞かせました。
明け方、兄は微熱が出て、ガスが出始めました。診察に訪れた医者は、ガスが出るのは回復が早いことを示しているので良い兆候だと言いました。結局、たった2日で兄は退院しました。兄が以前に同じ症状で入院したときは、1ヶ月以上入院していました。それからの兄は健康に恵まれただけでなく、その後数カ月のビジネスで数百万元を稼ぎました。師父の御慈悲は無限です。兄のこうした小さな変化が、大きな祝福をもたらしました。
死への恐怖を手放す
私と家族が大法から受けた恩恵に感謝し、師父に何か恩返しをしたいという強い思いがずっとありました。時には友人や同僚に真相を伝えましたが、それだけでは不十分と思いました。そこでプリンターを購入し、配布用のチラシを印刷し始めました。
迫害が始まった日の7月20日、私は外に出て資料を配布し、人々に事実を伝えようと心に決めました。しかし、同僚が私を通報し、5人の私服警官が私を逮捕しました。彼らは私の家を捜索し、私のコンピューターやプリンター、そして大法の資料をすべて押収しました。
一日中尋問を受けた後、私は無邪気にも釈放されるだろうと思っていました。しかし、真夜中に拘置所に連れて行かれました。拘置所の鉄の門が閉まったとき、私は暗い空を見上げ、恐怖に襲われるのではないかと思いました。しかし、その瞬間、私は信じられないほど穏やかで平和な気持ちになりました。私の頭にはただ一つ、「死の恐怖を手放そう」という思いがありました。
いかなる政治キャンペーンや迫害も経験したことのない私にとって、次に何が起こるか分かりませんでした。しかし、暴政や暴力が私の信念を揺るがすことはできないと分かっていました。おそらくその思いがあったからこそ、師父は私を守って下さり、危険を取り除いて下さいました。私は1カ月後に釈放され、いつものように仕事に戻りました。私を通報した同僚は、私に謝罪しました。
上司や同僚に事実をどう説明すれば一番良いかと悩んでいました。しかしそれは、私にとって会話を始める最良のきっかけとなりました。この経験は良いものでした。拘置所の数人に事実を説明する機会も得られ、私の言うことを受け入れた人たちはすぐに全員釈放されました。
(完)
(明慧ネットの「世界法輪大法デー」を記念して選ばれた文章)