ハルビン市の何建民さん 刑務所の迫害により死亡
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 【明慧日本2024年8月8日】黒竜江省ハルビン市道外区の法輪功学習者・何建民さん(男性)は2019年11月、道里区裁判所で懲役4年の判決を言い渡された。その2カ月後の2020年1月21日、何さんは呼蘭刑務所での迫害により死亡した。享年71歳。

 何さんは2004年に道外区裁判所に懲役7年の判決を下され、呼蘭刑務所に拘禁されたとき、迫害されて一時危篤状態になった。

 ハルビン市薬品原料会社の総務部長だった何さんは1994年8月、法輪功を学び始めた。それから、何さんの心血管疾患、脳血管疾患、神経系の病気、老眼などの持病が消え、初めて病気のない感覚を味わい、仕事と人生に自信を持つようになった。何さんはかつて、「私は法輪を学ぶことによって、物事がうまくいかない時に内に向けて探すことができ、宇宙の特性である真・善・忍に同化し、自分自身を本質的に変えた。利己的から善良に変え、狭い心から寛容に変え、嫉妬、偽りから誠実に変えた。物事は、まず人を優先させ、一歩後ろに下がることができた」と、法輪功を学んだ後の自分の変化を述べた。

 何さんが受けた迫害事実

 1999年7.20、中国共産党当局が法輪功迫害を開始した。何さんは法輪功を学び続けているとして、連行、拘禁、拷問などの迫害を受けた。

 2000年12月18日、何さんは北京に行き、法輪功への迫害停止を求めた。天安門広場で警官に連行され、吉林省の北京駐在弁公室に20時間拘禁され、1,000元の罰金を支払わされて解放された。

 2003年12月30日午後、何さんは自宅に押し入った道外公安分局の国内安全保衛部門(以下、国保)の警官らによって連行され、家宅捜索され、道外区留置場に拘留された。2004年3月1日午後、国保の警官は、何さんを留置場からハルビン郊外の秘密の場所に密かに連れて行き、そこで拷問を加えた。        

 何さんは、両腕を背中に回されて手錠をかけられ、吊るし上げられ、鉄の椅子に座らされ、睡眠をはく奪されるなどの拷問を186時間も受けた。何さんへの迫害に関与したのは、国保の教導官・方成朴、楊隊長、侯廷義、宋孟春、武装警察隊長・李、ハルビン市「610」の処長・関、司法学校の楊、および武装警察のある参謀長、武装警察の兵士6人などである。何さんは道外区留置場に6カ月間拘禁されていた。

酷刑示意图:苏秦背剑:把人的双手臂背在后面用手铐铐住,恶警抓住铁链踩住法轮功学员后背,用力往上拽,痛苦至极。

拷問のイメージ図:法輪功学習者の両腕を背中に回して手錠をかける。そして、足で背中を踏みつけて手錠を引っ張る

 2004年4月30日、何さんは道外区裁判所から懲役7年の判決を下された。2004年6月9日から9月23日まで、何さんは黒竜江省の新建刑務所の集団訓練隊に送られた。その間、強制ランニングや頭を両手で抱えて長時間しゃがむ姿勢などの体罰を受けた。同年9月23日、何さんは呼蘭刑務所に移送され、そこで、長時間しゃがむことや立ったままの姿勢を強いられ、手のひらサイズの椅子に座らされ、「飛行機」の姿勢を強要され、鉄クリップで耳を挟まれるなどの拷問を受けた。数日間、連続して睡眠を奪われた。

酷刑演示:开飞机

拷問の再現:「飛行機」のような姿勢の強要

 何さんは「私は、2005年4月10日から、呼蘭刑務所の四大隊で10日間以上、小さな椅子に座らされる拷問を受けた。分隊長の呂明東は大工の受刑者に指示し、刑務所で最も残酷な拷問の器具を作らせた。その小さな椅子は、幅が7センチ、高さが7センチ、長さが手のひら大ほどしかない。その椅子に座ると揺れる。このような拷問を10日以上も受け続け、丸4日間眠ることも、立ち上がることも許されず、その苦痛は言葉では言い表せないほどだった」と話したことがある。

中共刑具:强迫法轮功学员坐的小凳

拷問の器具:法輪功学習者が座らされる椅子

 呼蘭刑務所の迫害で何さんは危篤状態になった。そして、家族の強い要求で、2008年12月5日、何さんは「治療のための仮釈放」を受け、帰宅した。

 帰宅後も嫌がらせ、連行

 2010年12月29日、南馬の「610弁公室」主任・孫喜徳と南馬派出所の副所長・霍暁波は、何さんが信仰を放棄しておらず、「三書」を書いていないという理由で、呼蘭刑務所に何さんの釈放証明書を発行することを阻止した。刑務所側も、何さんが「三書」を書いていないという理由で、家族が支払った保証金5,000元の返還を拒否した。

 2011年12月31日、元旦の前夜、何さんは香坊区の友人を訪ねていた時、香坊派出所の警官に連行され、留置場に22日間拘留された。

 2012年11月8日、何さんは南馬派出所の警官に家宅捜索され、法輪功創始者の写真と法輪功の書籍を押収された。

 2018年11月9日夜、何さんと妻・曲淑敏さんは自宅に押し入った道里公安分局の警官によって連行され、家宅捜索を受けた。何さんはその後、健康の問題で「保釈」された。

 2019年11月12日、道里区裁判所は、まだ体の回復していない何さんに懲役4年の判決を下し、呼蘭刑務所に送り込んだ。それからわずか2カ月と8日後の2020年1月21日、何さんは呼蘭刑務所で迫害され、71歳で亡くなったという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/26/480140.html)
 
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