悪天候への正しい心構え
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文/オーストラリアの大法弟子

 【明慧日本2024年8月9日】私の住む地域では、同修たちが集まり真相を伝える活動や中共に向けて発正念をする際、しばしば悪天候に見舞われます。そのため、予定していた集まりを早めに切り上げたり、始まる前に中止せざるを得ないことがあります。この問題について、法の理に基づいて地元の同修と交流しました。

 悪天候とは何でしょうか? 常人から見ればただの気象現象ですが、修煉者にとっては、あらゆる自然現象の背後には高次元の生命が関わっていると考えられます。

 師父は『精進要旨』の「道法」で「皆さんは、『自然』というものは存在せず、『必然』には原因がある、ということをはっきり認識しなければいけません。実際のところ、『自然』とは宇宙について、生命について、物質の現象について、常人が解釈できないために無責任に自説を正当化するためのもので、彼らも『自然』そのものが何であるかが分からないのです」と説かれました。

 では、悪天候が私たちの正しい行いに支障をきたす時、なぜ自分自身を見つめ直し、内に向けて妨害される原因を探し、心の執着や誤った考えを手放さないのでしょうか? なぜ正念を用いて障害を取り除かないのでしょうか?

 真相を伝え、衆生を救い、発正念をすることは、大法弟子にとって最も重要な使命であり、師父に認められています。師父が望まれるように調和を図ることが最も善い心です。ですから、私たちもそのように行動すべきだと思います。

 地元の同修がそうしていない理由には、いくつか考えられることがあります。その一つに、上述のように彼らは悪天候を単なる偶然の出来事、避けられない現象として捉えてしまったことです。しかし、そうではありません。

 別の可能性として、自分にはそれほど大きな力はないと考えた場合です。師父は『各地での説法十』「大紀元会議での説法」の中で、「困難を大きく見れば見るほど、問題が難しくなり、相は心から生じるのですから、問題はますます厄介になります」、「あなたの正念が強ければ、あなたは自分の範囲で強くて高くなり、中にある良くないものを抑制することができます」と説かれました。

 そのため、私は力の有無は実際には大法弟子一人一人の心によると思います。自分には能力があると信じれば、その能力はあるのです。自分に能力がないと思えば、実際には何もありません。

 一歩譲って、たとえ同修が自分にはその力がないと感じていても、師父がいらっしゃいます。すべての大法弟子の背後には師父の法身が存在します。明慧ネットには「師父と共に過ごした日々」という記事があります。その記事では、師父が天気を変えることができ、雨を止めたいと思えば止めることができると記されています。師父は車を境に、その前を晴れにし、後ろを曇りにすることさえできます。つまり、師父には十分な力があり、大切なのは私たち自身の心が固いかどうかです。

 さらに、同修の中には、私たちは常人の状態に合わせるべきだと考える人もいます。つまり、激しい風雨の時は避けるべきだということです。常人の状態に最大限に合わせるというのは正しいですが、それは常人と全く同じであることとはまた異なる意味で、完全に常人と同化することではありません。この二つには根本的な違いがあり、真の修煉者ならその違いを理解しているでしょう。

 もう一つの可能性として、私たちがどれだけ真剣に発正念をしても、天候が変わらないことがありますが、それも構わないと私は思います。それを試練とみなし、神が私たちの威徳を築くための機会として受け止めることができるのです。

 2017年のニューヨークでの法会の際にも悪天候がありました。その時、弟子たちは師父に、それが旧勢力の妨害なのか、それとも弟子自身の漏れが原因なのかを問いました。師父は「いかなることも偶然ではなく、いずれも二つの要素があります。あなたに試練を与えているのか、あなたを手助けしているのかのどちらかです。この二つの要素です。自分で考えてください。偶然なことはありません」(『各地での説法十四』「大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法」)と説かれました。

 別の視点から見れば、悪天候に直面した時に予定を変更すると、旧勢力もそれを見ているわけです。彼らは思うかもしれません。「ああ、彼らは悪天候を恐れているのか。それなら、これからは彼らの重要なイベントのたびに悪天候を用意しよう。どう対応するか見物だ」と。そうなると、彼らは大法弟子の心理を利用して隙を突くことになります。ですから、大法弟子の集団活動では、元の計画を簡単に変更するべきではないと私は思います。

 具体的な対応については、柔軟に行うことができます。たとえば、悪天候の時には、年配の修煉者を風雨から守ってくれる場所に移動させて発正念を続けたり、体力のある若い修煉者を前に出して真相を伝えさせるなど、さまざまな方法があり、状況に応じて工夫することができます。

 もちろん、極端に走ることもいけません。本当に地震や津波、ハリケーンに遭遇した場合は、避けるべきです。ただし、そのような状況は非常にまれで、私が話しているのは一般的なケースです。

 ご存じのとおり、明慧ネットには、中国国内の同修が真相を伝えるときに、夜明け前に出発したり、深夜にようやく帰宅できたり、厳しい寒さや暑さに耐えながら、逮捕される可能性にも立ち向かっている様子が多く書かれています。私たちが直面しているのはわずかな困難であり、これには全く問題はないと思います。

 もし大法弟子が揺るぎない意志を示せば、神々も衆生も感動し、師父は私たちのためにより良い条件を整えてくださるでしょう。そうなれば、私たちの修煉や真相を伝える環境は大きく改善されると思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/6/480514.html)
 
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