母を救出する過程における修煉の体得(一)
■ 印刷版
 

文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2024年8月20日】

 尊敬なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2022年10月16日、78歳の同修である私の母が中国共産党(以下、中共)の警察に不法に連行され、2023年2月14日、不当に4年の刑を宣告されて刑務所に収監されました。母に対する情への執着と修煉の未熟さに、まるで生きるか死ぬかの試練を私は受け、最初は何も出来ず、どうすればいいか分かりませんでしたが、師父の御慈悲に見守られ、同修の献身的な助けを借りて、最終的には大法に則って認識できるようになりました。この過程を通しての修煉体験を書き出し、師父に感謝申し上げ、同修に感謝したいと思います。

 一、情の試練の前で、師父と大法を信じることが基本

 中国にいる弟から電話があり、母が連行されたことを知らされました。私はまるで天が崩れ落ちたように悲しく、母の事が心配で頭が一杯になりました。毎晩眠れず、やっと眠っても、また直ぐに目が覚めました。ストレスで心臓がドキドキし、息ができなくなり、さまざまなマイナス思考が押し寄せてきました。その時の私は、母の事を心配するあまり、恐怖と苦痛で辛く、眠りに落ちて目が覚めず自分の命を捨てる方が簡単だとまで思いました。

 私は小さい時から両親に対する愛情が深い方でした。カナダへの移民時に派出所で証明書の手続きをした時、職員が私の家族構成を尋ねました。私は何も考えず、口をついて出てきたのは「父、母、弟」でした。その人はしばらく私を見つめてから、もう一度尋ねましたが、私は相変わらず同じ答えをしました。すると、職員は隣に座っていた私の夫と娘を指さして、「旦那さんや子供さんは必要ないのですか?」と大声で聞かれました。私はこのことをいつも冗談のように言ってきました。長年修煉してきましたが、両親への愛情が執着であることに気づいたことはなく、自分の愛情の深さを大切にしていて、放下しようとしませんでした。

 師父は「修煉の事と言うなら 心の中の執着を取り除くべし 切り捨てることは本当の自己には非ず それらすべて迷い中の痴」(『洪吟二』「去執」)と、説かれました。

  私は大法を勉強し続けるしかないと思いました。両足を組んで学法していると、恐怖心によって手は冷たくなり足は震え、本を読む声も震えていました。それでも、私は毎朝、大紀元メディアの集団学法に参加し、夜には娘と学法し、そしてオンラインのグループで学法をしました。そのほか、自分でも法を暗唱して、精進しました。心が落ち着かない時が多いのですが、慈悲深い師父はいつも私を悟らせて下さり、ある日の集団学法で、私は師父の次の説法を読みました。

 「一部の修煉者は難がとても大きいと思いますが、実はそれほど大きくないのです。それが大きいと思えば思うほど、難は大きくなり、あなたは小さくなるのです。もし気にせず、気にかけなければ、緑の山さえあれば、薪がなくなる心配はないように、師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか? 無視すればいいのです! 放下した途端、難は小さくなり、あなたは変って大きくなり、一歩だけで乗り越えてしまい、その難は何ほどのものでもなくなります。必ずそうなるのです。乗り越えられないのは実は執着心を取り除くことができず、あるいは法に対して信じていないからです。多くの場合はこの心を放下できず、あの心を放下できず、みな心を放下できないことが原因で難を乗り越えられません。彼は人間のその一歩から抜け出すことができないため、乗り越えられないのです」(『シドニー法会での説法』)

 私は師父の法を読みながら、師父が愛情深い父のように耳元で私を励ましてくださっているのを感じ、体がエネルギーで満たされ、少し正念が湧いてきました。そうだ、「師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか?」(『シドニー法会での説法』)、本当に私たちを守ってくださるのは大法であり、師父なのです。魔難に直面するのは試練であり、情を放下すべきで、情の中で負担を増やしてはいけないと分かってきました。

 ある日、私はミラレパ佛の師が彼に家を建てさせた話を思い出しました。それから、私は師父へのご恩を思い出し、涙が止まりませんでした。以前、師父の慈悲に対する認識の多くは、体が健康になったことによるもので、大法から恩恵を受けたことに対する感謝でしたが、今は違う認識を得ました。実は、すべての魔難は自分の業力によるもので、何事も偶然ではなく、これは私と母が受けなければならないものかもしれません。師父はこれらの魔難を利用して私たちの心性を試されたのです。私たちが執着を捨てて、意志を練磨し、業力を取り除くのを助けられたのです。「苦しみを味わうことはほかでもない『業』を返すことである」(『轉法輪』)、と師父が説かれたように、私たちの心を苦しみから向上させ、圓満成就に導くためなのです。

 同修から、「前と違い、だんだんと私の法を読む声が、少し落ち着いて来た」と言われました。「母は師父の弟子で、大法を得たのだからどこでも修煉できるし、師父に見守られている。母には師父に按排された修煉の道があり、私には師父が按排して下さった道があり、師父の按排は最善で、修煉を誰も代わることができない。自分は一人の娘であるだけでなく、まず一人の大法弟子である。情の束縛から抜け出して、大法弟子がすべきことをすることこそ、母に対する最大の助けである」と思うようになりました。

 二、「610」の職員に電話をかけ、刑務官に手紙を送る

 地元の経験豊富な同修から、公安、派出所の電話や関係者の情報を集め、母の救出に取り掛かるように助言されました。大法メディアの同修は、領事館の前で記者会見を開き、中共の迫害を明らかにすることを提案しました。しかし、目に見えない圧力が私を引き止め、この苦痛に直面することを躊躇させました。多くの具体的な事は同修が私の代わりにやってくれました。

 ある日、同修は「あなたの母親が連行されたのだから、中国国内の公安や『610』の職員に電話して、大法の素晴らしさを伝えるべきです」と私を励ましました。しかし、私は母の悪い知らせを聞くのが怖くて、負担が重くなりました。そのような不安な状態で、何度も電話を取ろうとしましたが、強い恐怖に襲われて諦めました。同修は私に「正念を持って問題を見るべきです。私たちはこの機会を利用して、大法の良さと迫害の実態を伝えて人々を救うのです。もしあなたがお母さんを救出することだけを考えているのなら、まだ情があって、その『私』を離れていません。私心と恐怖心があればあるほど、お母さんを救うことはできません」と言いました。

 同修は、「私たち二人で、一緒に電話をしましょう」、そして「一人は発正念をして、もう一人は電話で伝えましょう」と言いました。それで私は、初めて警官らと向き合うことになりました。緊張のあまり、汗まみれになりながら、担当する「610」責任者の携帯電話に電話をしました。すると、すぐにつながりました。「私はあなたたちに連行された○○の娘です」と伝えると、「あなたは○○さんですね」と相手がちゃんと私の名前を言い出し、「ここ数日、海外からの電話があまりにも多くて、電話に出ませんでしたが、今日初めて出ました」と言いました。私は彼に、母が修煉してから心身ともに恩恵を受けた事実を話しました。当時、私の声は震え、頭もぼんやりしていて、それ以上何も思い出しませんでした。その時、同修が素早く電話を代わり、「天安門焼身自殺事件」は中共の噓偽りの宣伝であることや、法輪大法が世界中で広く伝えられている状況を伝え、善悪には報いがあるという天理を伝えました。20分余り通話した後、向こうは電話を切りました。

 私は歩き始めたばかりの幼児のように、困難な第一歩を踏み出しました。空間全体が恐怖の物質で充満しているのを感じながらも、正念を持ち続けてそれらを取り除きました。恐怖心が湧いてくると、「これは私ではない、私にこの心はいらない」と排除しました。学法と発正念を続けることで、私は弁護士に電話をして真実を話し、刑務所にも電話することもできました。

 その後、母の救出を応援する署名活動を行いました。活動の中で、私は母が不法に連行されたことから語り始め、法輪大法の素晴らしさと、「真・善・忍」を修める数千万の中国の法輪功学習者が、中共の20年以上にわたる迫害を受けている実態を伝えました。その過程で、私はますます冷静になり、署名の数という結果にこだわるのではなく、母の事例を通して、より多くの人に触れ、大法を伝えることができればと思うようになりました。母の件で不安に苦しんでいた心も、少し楽になりました。

 中国領事館前で記者会見が開かれる日、邪な妨害がありました。地下鉄の3路線がその時間帯にすべて故障してしまい、多くの同修はタクシーで駆けつけました。中共は悪を明らかにされることを最も恐れており、記者会見を開く事で、他の空間の悪を震え上がらせることが出来るのが分かりました。私は正念がより強くなりました。海外での反迫害は、中国の大法弟子への圧力を軽減することになり、中共の悪を世界中に知らせることで、それを解体することになります。スピーチの原稿を読んでいるうちに、私の心も純粋で穏やかになりました。他にスピーチをした西洋人の同修も、その日の私の声はとても大きく、何層もの空間を突き抜けていくように感じた、と言いました。

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/9/480602.html)
 
関連文章