法を暗唱した体験
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文/米国ニュージャージー州の大法弟子

 【明慧日本2024年8月21日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 時が経つのは早いもので、気がつけば大法を修煉して26年が経ちました。大法を得ることができ、師父に見守っていただけるようになったことは、この広大な宇宙の中の一つの生命として、本当に幸運で幸せです! 同修と共に、師父を助けて法を正し、衆生を救い、史前の誓約を果たすことができるのは、まさに大きな栄光です!

 修煉者が修煉の感想を話すと、本当に尽きることがありません。毎回法会での同修たちの交流は、規模の大小にかかわらず、いつも自分を振り返り、差を見つけ、心性を高める貴重な機会です。このような機会はあまり多くはありません。そして、これは師父が私たちに残してくださった修煉して向上する形式であり、私たちの修煉にとって最善のものです。

 以下に、最近の法を暗唱する中での体験をお話したいと思います。限られた次元での体験ですので、法に則っていないところがあれば、どうか同修の慈悲深い指摘をお願いします。

 一、法を暗唱する中で心性が向上する

 多くの同修と同様に、私も自分一人で法を暗唱したことがありますが、一度も最後まで暗唱することができませんでした。法を書き写すこともしましたが、やはり中途で止まってしまいました(現在も書き写し続けています)。明慧ネットの特集記事「法を暗唱し続ける」を読んで、大変感銘を受けました。特に同修が法を暗唱した後、落ち着いて物事に対処し、口を修め、うまくいく時もいかない時も平常心を保つことができるようになった変化や私よりも若いのに落ち着いているのを目にしました。そして法を暗唱することは本当に通読とは違うと感じました。

 一年以上前に、ある同修から一緒に法を暗唱しようと提案され、私たちは法を暗唱し始めました。これは師父が私のこの心を見て、機会を設けてくださったのだと思います。私たちは毎回1時間ずつ、速度を求めず、心に入ることを目指して続けました。その間にはさまざまな状況や妨害もありましたが、私たちはずっと続けてきました。今まですでに『轉法輪』を3回暗唱しました。

 法を暗唱する時は、必ず集中し、心を込めなければならないので、気が散ることがなく、頭の中に深く印象が残ります。毎日通勤中にバスで一度か二度復習することができ、覚えた法もどんどん増えていきます。

 法を暗唱することで、私が得た最も顕著な変化は、心が静かになり、物事に以前ほど急かされることがなくなり、冷静に対処できるようになったことです。感情をコントロールし、思考が暴走しないようにすることができるようになりました。以前はそれがなかなかできず、何でも思ったことを口にしました。常人の中で思いのままにする、世間体を気にしないという率直、純真さを「真」と勘違いし、何も悪いことではないと思っていました。しかし、実際には感情に任せて自分を制御することを放棄していたのです。

 師父はこう説かれました。「理性的で、何をしているかを自覚しながら行なったことは往々にして善の念によるものであり、それこそ本当の自分なのです」(『ヨーロッパ法会での説法』)

 ここまで書いている時に、試練が訪れました。プロジェクトの一人の同修が突然の消業のため、2週間の休みを取り、私が代わりにプロジェクトを担当することになりました。私は迷わず引き受けました。その同修は母親(同修)が重い病業にかかり、その間、ずっと母親の面倒を見ていました。昨年8月に母親が亡くなってから、その同修は身体的、精神的に非常に大きな魔難に直面したものの、努力して立ち直ろうと頑張ってきました。その同修は「修煉が良くできている」大法弟子になりたいと言っていました。この時こそ、互いに支え合い、助け合って、同修がこの関を順調に乗り越えあうことが大切です。

 この週が過ぎ、次の週はさらに厳しくなりました。日曜日担当の同修が、夏休みになったので子供たちを連れて出かけると言ってきたため、私が代わりに担当することになりました。これで1週間に連続して7日間働き、その次の週も続けて働くことになります。私は問題ないと思い、特に拒否する理由もなく引き受けました。同修同士が助け合うことは当然のことで、すべては同じ目的のために、つまり人々を救うためです。

 この話はまだ終わりません。翌月の変動はさらに大きかったのです。ある週に、2人の同修が同時に休みを取り、どちらも外せない用事がありました。6月から8月の間は毎年誰かが休暇を取りますが、皆できるだけ時間を調整して、仕事に影響を与えず、他人に迷惑をかけないようにしています。その2人の同修の勤務時間は私の勤務時間とちょうど逆です。私は代わりに仕事をすることを引き受けたため、1週間逆の時間帯に仕事をしました。家族も「この時間に家にいるのはおかしい」と慣れない様子でしたが、今度は再び逆の時間帯の勤務を1週間することになりました。マネージャーが私に大丈夫かと尋ねましたが、私は「問題ありません」と答えました。すべきことだからです。代わりの仕事が終わった後、マネージャーは2日間の休みをくれました。

 同修である夫は「他人の代わりに働くのは良いことです。あなたがよく修煉できていて、元気いっぱいであることを示しています」と言いました。私も同じように思いました。さらに、夫が「顕示心と嫉妬心、どちらが欲しいですか?」と尋ねました。私は「どちらもいりません」と答えました。

 顕示心については、確かに私がしっかり修煉して取り除くべき心です。私は幼い頃から聞き分けが良く、学校での成績も優秀で、リーダーとして活動し、小学校から大学まで一貫して名門校に通っていました。他人からの称賛を多く聞いており、自分でもそれが当たり前のように感じ、思考の中で自分が何でもできると考えていました。そのため、言動においても強い立場を取ることが多く、他人を見下すことがありました。

 さらに20年以上教師をしていたため、常に他人を指導し、すぐに他人の問題を見つけることができました。良い教師ほど問題を見つけ、学生を助けるべきだと考えていましたが、それが職業病のようになっていました。大法を得る前、同僚に冗談で「また授業をしているね」と言われることがありました。

 顕示心を取り除くために、『轉法輪』の「顕示心理」の節を何度も暗唱しました。毎回新たな理解が得られます。私は、修煉は師父が教えてくださった法に従って修めることでしか向上できず、圓満成就に達すると理解しています。そして三つのことをしっかり行い、衆生を救い済度でき、使命を全うできるのです。修煉の中に人間の思考や観念、認識、習慣を取り入れてはならず、それらがどれほど良いと思っていても、法に則っていないものはすべて改め、取り除かなければなりません。大法だけが基準であり、大法が唯一の基準です。いわゆる「物事は筋道に従って行なえば自然に順調に運ぶ」のは、常人の理や説に従うことであり、実際には何でもありません。

 顕示心を取り除けたとは言えませんが、今ではそれが現れた時にすぐにそれを捕まえ、意識的に取り除こうとしています。師父が別の空間で私の中の悪い物質を取り除いてくださったのを感じます。それがもう作用しなくなったのです。

 二、法を暗唱する中で観念を取り除き、内心を清浄にする

 法を暗唱することで内心が清浄になり、多くのことが思い出せなくなり、多くのことを考えなくなりました。他人が何を言おうと、何をしようと、執着しなくなりました。まるで世界全体が変わったかのように、安らぎと平和を感じ、俗世にいながらも心ここに在らずのように感じます。人間社会の是非や恩讐、七情六欲が次第に遠ざかり、動揺することが少なくなりました。これがますます理性的で成熟し、修煉者らしくなることだと感じました。

 師父は『二〇〇三年元宵節での説法』の中でこう説かれてます。「人間は常人社会で多くの観念に影響され、しかもいまだに各種の観念を形成しており、本人の本性と真なる念にひどく影響しています」

 師父の説かれたこれらの法は、以前は表面的に知っていただけでしたが、今では身をもって感じています。師父のお言葉は真実であり、確かです。私は、人間の頭が空になることはなく、神の考えや正念を入れなければ、人間の念や後天的に形成されたさまざまな観念に占領され、言動が常人と同じになると悟りました。法を暗唱することは、法を頭に入れ、心に入れることです。多く入れるほど、同化が速くなり、知らず知らずのうちに、思考の方式が変わります。この感覚は非常に微妙で、言葉で表現するのは難しいのです。

 代わりの勤務という試練の話に戻ります。ある日、バイデン大統領がウェストポイントの卒業式に出席し、挨拶を行いましたが、何らかの理由で40分遅れて始まりました。バイデン大統領のスピーチがなければ、報道は不合格になります。しかし、それはその日の重要なイベントであり、主流メディアはすべて報道するでしょう。

 師父はこう説かれております。「大法弟子が作ったマスコミは必ず主たるマスコミになるのです。(拍手) 主たるマスコミになるだけではなく、将来世界最大のマスコミになります。(拍手)」(『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」)

 私たちは常人メディアのように多くの人力、物や財力を持っていませんが、私たちは大法弟子であり、常人とは比べ物にならない修煉による超常的な智慧と能力を持つべきです。基準は常人のメディアよりも高くあるべきです。

 私は同修と協力し、利用可能なリソースを最大限に活用して報道を行い、締め切り時間に間に合いました。担当するマネージャーが催促してきましたが、私は躊躇せず「今日はバイデン大統領が40分遅れました」と答えました。そのマネージャーはあまり気にせず、時間を遅らせないよう強調しました。私は再度説明し、「このニュースは比較的重要です」と言いましたが、そのマネージャーは聞き入れませんでした。同修らが「またバイデン大統領が40分遅れたと言っている」と笑いながら言っているのを聞きました。

 これらの言葉は私に聞かせるのだと感じましたが、必要なことを続けました。その後、ニュースが無事に報道され、良い結果が得られました。もし時間があれば、もっと多くの良い生の声を追加できたでしょう。

 プロジェクトを進める中で、私は一つ一つのニュース、一つ一つの要素、一つ一つの言葉、さらに一つ一つの文字の意義を感じることができました。心を込めて正念を持って行うと、それが爆弾や原子爆弾のように、邪悪を滅する法器となり、また、人を救うための太陽の光や甘露になります。しかし、心を尽くさずに行うと、力を持たず、何の効果もなく、邪悪を震わせ、真相を伝えて人々を救うことができません。制作過程での協力も、目的は人々を救うことです。もし事前にみなとコミュニケーションをとっていれば、みなもそれほど急かすことはなかったでしょう。内に向かって自分を探ると、やはりまず他人を思いやることができていませんでした。

 ちょうどその時、ある同修が大声で私が適当に生の声を選んでニュースに入れるべきではなかったと指摘しました。ワシントン(大統領)や英国人など、視聴者には理解できないということでした。私は「その言葉は重要です」と答え、バイデン大統領がワシントン大統領の言葉を引用したのは、ウェストポイントの歴史的地位や重要性を示すためであり、ウェストポイントの卒業式にワシントン大統領や独立戦争を語ることは避けられないと説明しました。当時、ウェストポイントはワシントン大統領が選定したことを知りませんでした。同修はまた、私が早めに準備するべきだったと言いました。私は心の中で、アメリカの歴史や文化を理解していないのに、勝手に言っている、現場のリアルタイムのニュースなので、事前に準備しても意味がない、と思っていましたが、我慢して口を閉じ、返答しないようにしました。やるべきことがたくさんあるので、それ以上は気にしませんでした。しかし、手が少し震えていました。これは心が平常でない証拠です。幸い数秒で収まりました。

 後で考えると、やはり修煉が十分でないため、完全に心を動かさず、説明もせず、不平も言わないことができませんでした。試練を乗り越えた後も、内に向かって自分を探り、執着を取り除かなければ向上できません。内に向かって探ることは宝物です。

 辛辣な言葉で私を不快にさせた同修に心から感謝します。お陰様で私は心性と次元を向上させる機会を得ました。私の潜在意識や処世術、自称社会経験のなか、自分が正しいと思い込み、他人を見下す心、自分を顕示する心がありました。また、良い言葉を聞くのが好きで、異なる意見を聞くのが嫌いな心もありました。これらの人心や考えは、トラブルの中で取り除かなければなりません。それで向上できるのです。

 三、感謝の心を知る

 幼い頃、私はよく「人は死ななければいいのに」、「食べなくても生きられればいいのに」、「仙人になれればいいのに」と思っていました。人は生まれ変わり、生老病死を繰り返し、苦海無辺、輪廻転生、終わりのない繰り返しで、どこが終点で、いつ解脱できるのかと考えていました。

 私は、人を解脱させ、永生の道を教える高次の生命が必ずいると信じていました。中学の時、クラスの担任がクラス委員会の写真をある能力者に見せたところ、その人は私を指しながら「この人は将来ほかの人と違う」と言いました。

 大法を得て初めて、どう違うのか、自分がどれほど幸運で、どれほど貴重なものを得たのかを知りました!

 師父の大法は天機を開示し、師父のお言葉は一つ一つが天機であり、その内涵は無限です。一人の人間が自分で自分の髪を引っ張りながら天に上がることはできません。師父の導きと見守りが必要であり、師父が肩代わりなさっているのは巨大で無形であり、言葉では言い表せませんが、実際に存在し、真に修煉する中でしか感じられません。

 だから、いつでも師恩を忘れず、感謝の心を持つべきです。古人は「一滴の水の恩も湧き出る泉で報いるべし」と言いました。感謝の心を持つことで、大法への信念がさらに堅固になり、常に自分を修煉者と見なすことができます。

 師父のご恩に感謝します!

 同修に感謝します!

 (2024年米国ニュージャージー州法会の入選文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/6/480480.html)
 
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