文/北米の大法弟子
【明慧日本2024年8月25日】私は北米の大法弟子です。娘は飛天学校の舞踊を専攻し、7年間舞踊を学んでいます。最近、インターネット上で神韻や飛天学校を誹謗中傷する内容を目にしましたので、親の視点から、娘の飛天学校における学習と経験についてお話ししたいと思います。
幼少期から大人と共に迫害停止活動に参加
娘は幼い頃から私と一緒に法を学び、功法を煉っていました。中国国内にいた頃から、幼稚園の友達やベビーシッターのおばあさんに「法輪大法は素晴らしい」と伝えていました。後に6歳で海外に来てからは、私たち親と一緒に多くの真相を伝える活動に参加しました。パレードや資料配布、さらには中国本土に電話をかけて真相を伝えることもありました。
私の夫は中国本土で北京へ陳情に行ったことで迫害を受け、不法に拘束された期間中に殴打され、鉄の椅子に縛り付けられて何日も眠ることを許されず、強制的に洗脳されました。父のこれらの経験を、子供は全て知っています。韓国に来てからは、スパイが何度も我が家を訪れて嫌がらせをし、インターネットケーブルを切断したり、夜中に窓の外から覗き込んだりして、子供にも大きなプレッシャーを与えました。しかし、これらの経験は娘をより強くし、娘は自分にできる方法で他の人々に真相を伝えたいと強く思うようになりました。
娘が舞踊を選んだ理由
娘が初めて神韻を観たのは2008年でした。初めて神韻を観た後、娘はずっと神韻で踊りたいと願っていました。娘は、舞踊を通じて人々に中共の邪悪さと法輪功学習者への迫害について伝えられる最善策だと思ったようです。当時、家庭の事情で舞踊の先生に習うことはできませんでしたが、娘は自分でクローゼットの上に足を乗せてストレッチをしていました。2年後、娘は私に申し込みに行ってほしいと言いましたが、年齢が基準に達しないことから、受けられませんでした。娘は落ち込んでいました。
後に北米に移住し、偶然にも舞踊の先生の家で部屋を借りることになりました。娘はとても嬉しくて、毎日熱心に先生と共に練習をしました。年齢が少しあがり足が硬くなっていたので、多くの苦労はしましたが、娘は決して諦めようとはしませんでした。
中学生時代の反抗期と変化
娘が中学生になり反抗期を迎えると、娘は中国本土から来た同級生たちと毎日遊ぶようになり、徐々に修煉を怠るようになりました。法を学んだり功法を練習したりすることも少なくなり、同級生と家庭の状況を比べ始め、暇さえあればスマートフォンでSNSを見たりチャットをしたりするようになりました。性格も苛立ちやすく冷淡になりました。
子供の状況を見て、SNSが子供に与える害が非常に大きく、子供の意志を徐々に破壊していると感じました。私は非常に焦り、悲しみました。仕事中にインターネットケーブルを抜くなど、様々な方法を試しましたが、これは娘を非常に怒らせ、そのような強制的な方法は効果がないと言われました。
その後、娘はますます功法の練習や法の学習を拒むようになり、徐々に一般の人々と同化していきました。しかし、私は娘の内面の空虚さと無力感を感じ取ることができました。娘はとても苦しんでいました。ある時、娘は私にこう言いました。「ママ、私は花のようなものよ。花びらはもう枯れてしまったけど、根はまだ大法の中にあるの。時々、誰もいない場所で静かに一日中大法の本を読みたいと思うけど、もうできないの」。私はそれを聞いてとても悲しくなりました。
ミドルタウンの学校と飛天学校での変化
娘が中学生の時、マンハッタンのミドルタウンにあるノーザンアカデミーが開講し、生徒の募集を始めました。そこの舞踊の先生は全て飛天学校の先生でした。私は娘に行ってほしいと思いましたが、強制したくありませんでした。娘に「ママはあなたに行ってほしいと思っているけど、決めるのはあなた自身よ。最終的に行くか行かないか、ママはあなたの決定を支持するわ。でも、決めたら最後まで頑張ってほしい」と伝えました。
娘は少し躊躇しました。というのも、娘にはカナダのトロント大学に入学するという別の人生設計を描き始めていたからです。真剣に考えた末、娘はミッドタウンで舞踊を学ぶことを決意しました。幼い頃からの夢にチャレンジしたのです。娘は泣きながら私にこう言いました。「ママ、私は一番苦しい道を選んだけど、後悔しないわ」。私は娘を励まして言いました。「あなたは自分を誇りに思うべきよ」
娘はノーザンアカデミーの第一期生でした。当時、学校の条件はまだ比較的厳しく、娘は初めて家を離れ、学習のプレッシャーと舞踊の厳しいトレーニングを重ねました。特に学校に入学してからは自由にインターネットを使用できなくなり、すでにインターネットに中毒的だった娘にとっては、疑いなく大きな挑戦でした。これはまさに私が娘をミッドタウンに行かせたかった理由でもあり、学校がインターネット依存症を克服する手助けをしてくれることを期待していました。
最初の半年間、娘はよく私に電話をかけてきて、もう学校に行きたくない、家に帰りたいと言っていました。私は娘を励まし、ほぼ毎晩娘が休む前に一緒におしゃべりをし、一緒に少しの間法を学びました。子供が日々頑張り続ける中で、私は娘が少しずつ変化していくのを見ました。休暇で帰ってくるたびに娘の変化を見ることができ、ますます孝行で思慮深くなり、感謝の心と謙虚さを身につけ、物事を行う際に他人のことを考えるようになりました。さらに、苦労を厭わず自制心を持つようになり、心もますます落ち着いていきました。
飛天学校への入学と成長
娘が飛天学校を受験する過程は決して容易ではありませんでした。娘の身長がいつも基準に少し足りず、一生懸命努力しましたが、何度も面接に行き、何度も失敗しました。ある時、娘はこう言いました。「ママ、面接が終わって山を下りる時、私は山の上の木々を本当にうらやましく思ったの。木々はずっとそこにいられるのに、私は何度も下りなければならないから」
私は娘を励まして、「梅は寒さの中で香り高く咲く」と言い、誰も簡単に成功できるわけではないこと、結果をそれほど重要視せず、この過程が大切であること、意志力と忍耐力を鍛えることができ、それが一生の財産になると伝えました。
後に娘はついに念願の飛天学校に合格しました。短い休暇で帰宅するたびに、娘は私に飛天での生活について話してくれました。私は娘に、師父に会うと緊張しないかと尋ねました。娘は緊張しないと言い、師父は慈愛に満ちた父親のようで、大小問わずあらゆることを娘たちのために心配してくれ、よく遊びに連れて行ってくれたり、おいしい食べ物を食べに連れて行ってくれたりすると話しました。さらに、様々なお菓子や身の回りの小物を配ってくれ、師父が直接一人一人の手に渡してくれるそうです。私はそれを聞いてとても感動しました。
娘はさらにこう言いました。「ママ、ここでは以前通っていた学校と比べて、大きな収穫があるの。それは、何が正しくて何が間違っているかがわかるということ。以前の学校では実際にはたくさんの良くない風潮があったけど、誰も何が正しくて何が間違っているかを教えてくれなかった。そして、みんながそうするとそれが一種の流行になってしまう。私はそういう行動がとても良くないと思っていても、ただ受動的についていくしかなかった。そうしないと自分が変わり者に見えてしまうから。そして、自分にもそれを判断する強い能力がなかった。でも飛天では、みんな修煉者だから、みんな真、善、忍に照らして行動するの。もし自分が自己中心的だったり自己を誇示しようとしたりすると、周りの人がそれを見て優しく間違いを指摘してくれる。本当に自分をより良い修煉者にしたいと思えば、そういったアドバイスを受け入れて改善するわ。でも、もし変わろうとせず、自分のことしか考えないなら、周りの人たちとうまくいかなくなってしまう。みんなはあなたを喜ばせるためにあなたに合わせるのではなく、本当に一つの生命に対して責任を持って、何が正しいかを教えてくれる」
自我を捨て、全体に協力する経験
娘はさらに、飛天学校でどのように自我を捨て、全体に協力するようになったかについて、ある経験を私と共有してくれました。娘は非常に向上心の強い人で、何をするにも最高のものを目指します。ミッドタウンの舞踊クラスでは、娘はリードダンサーでした。後に飛天に入学してから、こう言いました。
「ママ、最初は自分より技術が劣る同級生がリードダンサーをしているのを見て、悲しく感じたわ。私の方が技術は優れているのに、身長が足りないだけだから。妬ましくさえ感じて、不公平だと思った。でも今はもうそんな風に考えないわ。周りの人たちが全体のことを考えているのを見て、私の考えが自己中心的だったことに気づいたの。後にクラス長になって、隊形を担当することになったとき、最初は目立つ位置に自分を配置しようと思ったけど、そうすると全体の隊形がきれいに見えないことに気づいて、結局自分を端の方に配置することにしたの」
「今では、私の条件ではリードダンサーになるのは難しいとわかっている。今はクラス長として、主にクラスの同級生たちの日常的な雑事を手伝うことが役割だと思っている。私に与えられたこの仕事を真面目にきちんとこなすことが私の使命だと思う。実際、何をするかは重要ではなくて、みんなで全体を盛り上げることが大切なの。有名なリードダンサーの演者たちが、年を取って重要な役割を担えなくなっても、しばしば小さな脇役を演じていても、毎日本当に真剣に一生懸命練習している姿を見て、何十年も同じように続けている。私たちはみんな本当に尊敬しているわ」
娘はさらに、神韻の高い団結力を実感したと話してくれました。「ある時、公演前にリードダンサーの一人が足を捻挫してしまい、出演できなくなったの。私たちのクラスは、昼食後のわずかな時間を利用して、急いで隊形を調整したわ」
私が「それは大変だったわね。事前に練習していたの?」と尋ねると、娘は「ううん、練習はしてなかったわ。みんなの心がとても一つになっていて、観客にどうすれば完璧な公演を迅速に調整して届けられるかということだけを考えていて、誰も自分が目立つ位置で踊りたいなんて考えなかったから、とても息が合ったの」と答えました。私は、この強い使命感こそが、神韻の演者たちが次々と奇跡を生み出す原動力なのだろうと思いました。
(続く)