文/カナダの大法弟子
【明慧日本2024年9月10日】
尊敬する師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
1997年5月1日、私はこの日を一生忘れることはありません。私が正式に大法を学び始めた最も神聖な日だからです。27年間の修煉の道で、慈悲深く偉大な師父への感謝の気持ちは言葉では表しきれません。この法会の機会を借りて、修煉の中での些細な体験を書いて師父にご報告し、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。
大法を学び始める前の私は、非常に体調が悪く、内臓の中で唯一、肝臓だけが健康で、他の臓器はすべて病んでいました。30代のはずが、50代以上に見えるほどでした。修煉を始めてからは、今まで一度も注射を打ったり、薬を飲んだりすることはなく、50歳を過ぎた頃には、周りの人は私を30代だと思うほどでした。以来、私は大法と師父に対する信念が揺らぐことは一度もありませんでした。
中国共産党(以下、中共)により何度も迫害を受け、2013年10月、パスポートの発行を8年間拒否され続けた後、交渉の末、ついにパスポートを取得しました。そして2014年7月、私はカナダに渡りました。
カナダに来た当初、言葉が通じないため「漏話聾者」(聞こえない)、「盲者」(読めない)、「口がきけない人」(話せない)状態で、何をするにも娘に頼らざるを得ませんでした。しかし若者は忍耐力が足りず、私は親としての強いプライドがあり、物事には邪党文化の悪習が混じっていたため、娘との摩擦や葛藤が絶えませんでした。
最も顕著だったのは生活費の問題でした。娘は2006年にカナダの大学院へ留学し、2014年までに家の貯金を使い果たしました。しかし、私は中国で年金を受け取っており、ここで提供される難民補助を超える額を受け取っていたため、生活上では問題ありませんでした。一方、娘は仕事を見つけて自活しなければなりませんでした。私は娘に、常人の人がここで身分を得るには何十万カナダドルもかかるが、私は5000カナダドルもかからずに身分を得ることができたため、この国に感謝し、この国に負担をかけるべきではない、働かずに得る金を受け取るべきではないと明確に伝えました。この点に関しては、私たちはついに合意に達しました。
また、他にも様々なトラブルがあり、口論が絶えませんでした。それから1年半が経った時、家庭内の摩擦は徐々に落ち着き始めました。当時、私は本当に着実に修めることを理解しておらず、内に向けて探すべきだとは知りませんでした。修煉が進むにつれ、闘争心やさまざまな執着心を取り除き、最終的に善心を修めました。後に娘は仕事を見つけ、家の生活も次第に順調に進むようになりました。娘は時折、私がカナダからの補助を受けなかったことは絶対に正しかったと話しています。
カナダに来てからの10年間、私は基本的に太古(Pacific Mall)真相拠点で真相を伝えました。太古真相拠点にいる同修たちは、数年間の試行錯誤、改良、そして更新を経て、現在のように棒を手で支える代わりにロープで固定するという方法を確立しました。この過程はすべての同修の努力と苦労の結果であり、誰か一人の力で成し遂げられるものではありません。
例えば、私たちが使用している横断幕は、そのほとんどがある女性同修が自費で布を購入し、男性の同修に文字を印刷してもらい、この場所に提供するために作られたものです。その女性同修はまた、破れた横断幕の修理やクリーニングも担当してくれています。ある同修は新しい展示パネルの購入費を負担してくれました。私たちが使用している全ての物は、常に同修の家に保管されています。それは広いスペースを占有し、時には濡れた横断幕から落ちた雨水が同修の家の床いっぱいになることもあります。私たちが使用している50本以上の棒が折れた時には、同修が新しいものを買って補充してくれます。また、煉功音楽を流すスピーカを購入したり、汚れた横断幕を家に持ち帰り、年に2回洗ってくれたりしている同修もいます。破壊行為を行う者が横断幕に黒漆をスプレーした時、すぐに写真を撮り、ビデオを撮影して証拠を残し、その後、同修が横断幕を家に持ち帰り、ガソリンで夜遅くまで何度も洗い、翌日には痕跡もなく、きれいに整った横断幕が再び人々の前に展示されました。またある同修はナイロンロープをたくさん購入してくれました。また、地面に固定するために使用するよう数十本のドライバーを購入してくれた同修もいます。別の同修は、私たちに法輪功迫害・法輪功の素晴らしさを伝える真相資料を提供してくれました。また、数人の同修は何年も展示パネルや横断幕の運搬を担当してくれました。また、ある同修はとても賢くて手先が器用で、何度も材料を購入して、改良を重ね、現在の最適な固定方法に至りました。要するに、同修たちはこの真相拠点を自分たちの家のように丁寧に手入れしており、彼ら自身の功績と威徳を築き、多くの人々に法輪大法の素晴らしさを伝えることができるようにしているのです。
私たちの太古真相拠点では、毎日20枚の横断幕を展示しており、それぞれの横断幕は道路の両側に10枚ずつ配置され、約50メートル間隔で並んでいます。車両が交差点に止まると、どの角度からでも横断幕が一目で見えるように設置されており、情報量も豊富です。通過する人はそれほど多くはありませんが、車の通行量は1分間に70台以上あります。支持者たちはクラクションを鳴らして私たちを応援してくれ、悪意ある人々の非難にも私たちは揺らぐことはありません。ある日、5人の同修しか来ませんでした。そのうちの2人は80歳以上で、3人は70歳を超える高齢者でした。それでも、全ての横断幕や展示板をすべて展示しました。
多方面からのフィードバックによれば、同修が「法輪功のことを知っていますか?」と尋ねると、多くの人が「太古で見た」と答えるそうです。このことからも、太古真相拠点は一定の影響力を持っていることが伺えます。そのため、中共は恐れており、洗脳された人々を使って破壊活動を行わせています。横断幕が切り裂かれたり、ロープが切断されたり、黒塗で字が書かれたりしたこともあります。私たちは防犯対策を強化する一方で、それぞれが修煉における自分たちの漏れを探しています。
真相拠点として、修煉する同修たちの集まりの中で、心性を高めるための試練は至る所に存在します。一度、同修が「さっき〇〇同修があなたに関する不快なことを言いました」と言ってきました。その言葉を聞いた瞬間、心が動かされてしまい、その言葉が数日間も頭の中をぐるぐると回り続けて、なかなか消え去りませんでした。心の中は人間の理で満ちており、相手が毎日冷たい顔をして、口調がきついことに対して不満が溢れていました。突然、私は修煉者は内に向かって探すべきだと気づきました。なぜこの程度のことが、私にこんなに大きな反応を引き起こしたのでしょうか? きっと私には修めるべき心があるのです。実は私も、陰でよく他人のことをあれこれ言い、同修に優しく接することができないことがありました。例えば、私は何事も完璧を追求する性格で、横断幕を片付ける時もきれいに巻きたくて、他の人が自分の基準に合わないやり方をしているのを見ると、気分が悪くなりました。一度、同修に向かって「どうしてそんなやり方をするの? 家ではこれほど不真面目ではないでしょ?」と言ってしまいました。同修はその場で怒り、私に言い返しました。その時、ようやく自分が自分を持ち上げていることに気づきました。自分が少し多くのことをしただけで、同修に対して声が大きくなり、口調が厳しくなり、他人を軽んじていました。人間の心が膨らんでいたのです。大法の聖なる縁で私たちは一緒に修煉していて、みんな師父の弟子です。私に同修を勝手に批判する理由はないはずです。本当にひどかったのです。この機会を借りて同修に謝りたいと思います。
また一度、同修から送られてきた横断幕を受け取り、古くなったものと取り替えました。しかし、ある同修は、古い横断幕も引き続き使用すべきだと言い、横断幕を使わずに放置することは法の実証を妨げていることだと指摘しました。さらに、横断幕が多ければすべて掲げ、無制限に延ばして、より壮観で感動的なものにすべきだと主張しました。しかし私は「法の実証を妨げている」というのは言い過ぎだと思いました。ただ壮観さを追求するだけで本当に政府が許可するでしょうか。私は慎重で保守的な性格なので、その時はその同修に対して不満を抱いてしまいました。
次の日、その同修が私に謝ってきました。同修の意見は法の実証の観点から考えたもので、間違ってはいませんでしたが、物事を全面的に考慮する必要もありました。この出来事から、私は今後一方的に自分の意見を押し通すのではなく、同修の良い提案を拒まず、自分の意見に固執しないようにすべきだと学びました。一部の同修は「現状維持で拡大しない方がよい」と言いました。最終的に、私はみんなの意見を折衷して、異なる内容の横断幕を2枚追加で掲げることにし、同修たちもこれに同意しました。
また、よく難民の身分の資格を取得するために、私たちの煉功の列に紛れ込み、ポーズを取って写真を撮る人がいます。同修たちは皆、彼らを追い出しに行きました。また、私が無関心でいると、同修から「面子の心」がある、沈黙して「いい人」を装っていると指摘されました。私は「煉功をしに来る人を止めることはできないが、写真を撮ってもらうことで偽証つくりの場所を提供してはならない。それはすぐに止めるべきだ」と思いましたが、自分ではこう言い訳しました。「みなさんが既に彼らに離れるように言いました。それで十分です。私が言う必要はないでしょう」と。実際、私はまだ面子の心が強く、でもそれを正当化するために理由や言い訳を見つけていたのです。人の機嫌を損ねることを恐れる心や虚栄心があることを知っていましたが、なかなか取り除くのが難しかったです。師父が同修の口を通して私に気づかせてくださったのです。正法はすでに終盤に近づいており、同修同士の相互の指摘が非常に重要です。実は、自己中心的な心、人に指摘されるのを嫌がる心、歓喜心、闘争心、嫉妬心、これらの心を私はすべて持っており、すべてを修めて取り除かなければならないのです。
今年の新年、同修たちが「休まず、いつも通りに私たちがすべきことを続けましょう」と提案しました。何年間も続けてきた活動を通して、多くの人々が迫害の真相を理解し「三退」を選びました。感動的な事例は数多くありましたが、私に最も深い印象を与えたのは、旧暦の正月初日に出会った一人の女性のことでした。彼女は私の前にやってきて、とても感激した様子で私を見つめ「大法をとても支持しています」と言いました。そして、彼女が知りたかったいくつかのことを質問してきたので、私が知っている限りのことを答えました。彼女はとても満足し、喜んで「三退」をしました。そして、私に別れを告げました。
しかし、彼女は遠くまで歩いて行ったのに、急いで私のところに戻ってきて「抱きしめてもいいですか?」と尋ねました。そして、私をしっかりと抱きしめ、長い間手を離しませんでした。彼女は涙を流しながら「私を救ってくれてありがとう」と感謝しました。私は彼女に「あなたを救ったのは私たちの師父です」と伝えました。すると彼女は「分かりました。みなさんの師父に感謝します。あなたたちは本当に素晴らしいです。心から敬服しています」と言って、一歩ごとに3回お辞儀をしながら去って行きました。彼女の姿を見て、私の心は悲しく切なくなりました。私たちの努力は、まだまだ衆生の期待には遠く及ばないと感じました。
太古真相拠点での数年にわたる試練のなか、私たちはみな着実に修め、内に向かって探し、心を修めるようになりました。そして、互いに協力し合い、一つの全体を形成するなかで、修煉の中で隔たりを次々と消し去り、環境が大きく改善されました。同修たちはみんな、笑顔を浮かべ、穏やかな声で話し、心地よい気持ちで活動しています。私が得た最大の収穫は、心の容量が少しずつ広がり、他人を許し、同修たちを親切に扱えるようになったことです。実際、相手の長所を多く考えれば、周囲のすべてを穏やかに受け入れることができるのです。
私が修煉を始めてから今日まで、師父の慈悲深い看護と加持はあらゆるところにありました。中国にいた頃、初めて外に出て真相を伝えるスローガンを貼った時、湖のほとりで、一人で丸石の並木道を歩きましたが、その時、足が地につかないという特別な感覚を体験しました。まるで浮いて歩いているようで、そのまま同修たちと合流するまでずっと浮いて歩いていたのです。また一度、大きなクローゼットの上に師父の新しい経文を隠そうとして、椅子を二脚重ねて登った時、一歩踏み外して転落しましたが、まるで誰かに支えられてゆっくりと地面に下ろされているような感じで、しっかりと地面に立つことができました。
また別の出来事として、私は上階の隣人を私の職場の食堂で働くように紹介しました。しかし、その隣人は陰で私の悪口をたくさん言いました。常識的に考えると、恩を仇で返すような人で、私はとても腹が立ち、この出来事がいつまでも気になって忘れられず、恨む心が長い間消えませんでした。ある日、私は家で転んでしまい、頭に卵ほどの大きなこぶができました。その時、私はその転倒によって目が覚め、すぐに師父に謝りました。
このような細かい出来事の一つ一つは、すべて師父が弟子に対して無限の慈悲で肩代わりしてくださっていることなのです。ここで弟子として師父に感謝を捧げます。どうかご安心ください。弟子は帰り道を精進して進んでいきます。
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
(2024年カナダ法輪大法修煉体験交流会での発表原稿)