文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年9月12日】昨年10月20日ごろ、同修であり、親戚でもあるAさんが邪悪によって3年の刑を言い渡され、その刑期を終えて刑務所から家に帰ってきました。数日後、Aさんはかつて資料点にあった同修たちから寄付された6万円以上の未使用のお金を私の元に届けに来ました。私は彼女を喜んで迎え入れ、「あなたが帰ってくる数日前、私たちは発正念をして、あなたが無事に帰ってこられるように祈っていたんですよ」と言いました。ところが、Aさんは冷たく「私はすでに転向したので、邪悪は私に構わないでしょう」と言いました。そして、彼女は悲しそうに泣きながら「あなたたちの同修はあんなにひどく迫害されていた…」と話しました。彼女が何を言おうとしているか私はすぐに分かりました。そして、心の中で師父が『轉法輪』で説かれた法を思い出しました。「心を修めなければ誰も成就できるはずがありません」、「毎日頭を地につけて血が出るほど拝んでも、線香を束にして燃やしても、何の役にも立ちません」。この時、私はAさんがもう自分を大法弟子とは見なしていないことに気付きました。それでも師父が最近発表されたいくつかの経文を彼女に渡すと、彼女はそれを受け取りました。私は心からの願いを込めて、Aさんに厳粛に声明を書くよう頼みましたが、彼女は拒否しました。
彼女が帰った後、私は重い気持ちになりました。かつてあれほど素晴らしかった同修が、どうして完全に邪悪によって転向させられてしまったのでしょうか? 彼女は「7.20」後の残酷な迫害の中で大法を修煉しはじめ、夫が北京に陳情した際に拘留される中、彼女は危険を冒して市や区に単独で陳情に出向きました。後にAさんは資料点の重責を引き受けました。それなのに、どうして邪悪に完全に転向させられてしまったのでしょうか? 1カ月後、私は彼女の娘(私の姪)に電話して、Aさんの状況を尋ねました。彼女は、「お母さんはもう修煉していないし、あなたたちに会いたくないのです。彼女はあなたたちが自分を邪悟だと言うのを恐れている」と言いました。その後、同修のBさんが電話をかけ、Aさんを自宅に招きました。AさんはしぶしぶBさんの家に1時間ほど滞在し、転向の理由を話し、「刑務所にいた人たちはみんな転向しました」と言い、「全世界が知っている天安門での焼身自殺の偽りの事件ですら信じてしまった」と言いました。私たち数人の同修は、Aさんの思想状態を非常に残念に思い、師父にAさんが再び歩み出せるよう助けを求めました。
2024年2月初旬、突然Aさんの娘が全身性エリテマトーデスという病にかかり、ウイルスがすでに腎臓にまで侵入しているという知らせが届きました。地元では治療ができず、数百キロ離れた重慶市まで行かなければならず、毎月の医療費は20万円以上かかります。母娘は一気に絶望の淵に追いやられました。同修たちは彼女のことを心配していました。今年の旧暦2月、Aさんの夫の妹であるCさん(私の親戚)が不当な投獄から家に戻り、数百キロ離れた場所から私の家を訪れた際、私は彼女と修煉の体験を交流しました。私は彼女に「あなたは何度も迫害されてきたのだから、帰ってきた今こそ、法を学ぶことを大事にし、法を多く学び、法を深く理解し、これまでの道をしっかりと振り返り、反省する必要があります」と言いました。また、彼女に同修たちの関連する体験談を読んでもらい、自分自身の思考や行動を照らし合わせた後、彼女はこう言いました。「周囲の同修たちがどうして安定して修煉の道を歩んでいるか、そして自分がなぜ何度も迫害されてきたのか、わかった気がします。それは主に『私』という執着心だったのです」と。監獄の中で邪悟した人々は、邪党の嘘を信じ、自分の身体に病がありと師父が自分を見捨てたと恨む人もいました。また、真善忍だけを信じ、師父を信じないなどといった様々な邪悟の言論がありました。この時、私は悟りました。迫害されたり、転向させられた大半の人々は、普段から真に修煉していなかったり、法を深く学んでいなかったり、そもそも法を理解していなかった人々だったのです。トラブルや試練に直面した時に、自分自身を見つめるのではなく、外に向かって他人や師父、大法を恨んで魔の道に落ちてしまうのです。
その後、Bさんと共に姪を見舞うという名目でAさんの家を訪れ、Aさんが大法に戻るように様子を伺いながら話しました。Aさんは「20年以上修煉してきたけど、大法の素晴らしさを感じたことがない。加えて両親が反対しているので、もう修煉しない」と言いました。私は彼女の悩みに応じて交流しました。私はこう言いました。「あなたは知っていますか? 3年前、邪悪に連れ去られて間もなく、師父があなたが最も心配していた娘の生活問題を解決してくださったのです。すぐにあなたの娘は異動となり、仕事が安定しました」と。その時、横にいた姪が「私はそのことを手紙に書いてお母さんに伝えました」と言いました。また、「あなたの娘はずっと順調に働き、健康で、あなたの望み通りに広々とした明るい家を購入し、以前の狭く暗い住環境を改善しました。あなたが牢獄で洗脳され、師父と大法を疑い、家に帰って修煉をやめてからわずか2カ月で、あなたの娘は不治の病にかかってしまいました。なぜでしょうか? あなたは20年以上修煉してきたのに、その努力がすべて無駄になってしまうのはもったいなくありませんか? 師父と大法の慈悲深いご加護がなければ、これからあなたたち母娘はどうやって生きていくのでしょう?」と言った後、私は自分が修煉してから、家族や多くの真相を理解した親戚や友人が天から授かった多くの幸運の話をしました。
Aさんはついに、自分がこれまでの修煉を身体の健康や家族の幸福、法から利益を得るための「私」という執着心からしていたことを初めて理解し始めました。そして、私たちと一緒に発正念をして邪悪を除去するようになりました。私は心から師父に感謝し、Aさんが救われたことを喜びました。しかし、Aさんが観念を完全に変え、真に修煉の道に戻るには、まだ多くの苦労と努力が必要でした。
これまで25年以上にわたる正法修煉の過程を振り返ると、さまざまな思いが込み上げてきます。私は1998年10月に法輪大法の修煉の道を歩み始めました。しかし、それから1年も経たないうちに、中共邪党による法輪功への全方位的な迫害が始まりました。邪悪な圧力に直面しても、私は師父が最も正しい存在であり、大法が最も素晴らしいものであると強く信じ、ほとんど毎日学法と煉功をしました。しかし、旧勢力の計った色情の渦の中で苦しみ、強い恐怖心に包まれて、真相を伝えるために踏み出すことができませんでした。師父の慈悲によって目が覚め、ようやく色情の渦から抜け出すことができました。2004年からは『轉法輪』を暗記し、同修の励ましや支援を受けて、人を救うために行動を起こし、家庭内で資料拠点を設立しました。私は、大法弟子として「三つのこと」を行う必要があることを理解し、問題が起こるたびに内に向けて自分を探して向上させるよう努めました。2008年、私と夫、母の同修が当時6歳の姪と一緒に「九評」を配布していた際、悪人の通報により、母と姪が邪悪によって区の警察に連行されました。姪が私と夫のことを話してしまい、国保隊長と610弁公室の者が私たちの職場にやって来て事情聴取に呼び出されました。しかし、師父の慈悲深いご加護の下、母と協力して真相を伝え、母もその夜無事に家に戻ることができました。
この出来事は私に大きな衝撃を与えました。心の中は波立ち、自分が努力して修煉し、三つのことを忠実に行っていたにもかかわらず、なぜこんな大きな問題が起こったのでしょうか? 邪悪はどうして私の空間場に侵入できたのでしょうか? 私はうちに向けて自分を探し、闘争心、非難の心、恐怖心、安逸心、顕示心理など、多くの人心があることに気づきました。しかし、それでも心の中は曖昧で、どこへ進むべきか分からない状態でした。そこで、私は師父の『精進要旨』を学びました。
その時、私はようやく悟りました。なぜ邪悪に隙を突かれ、迫害されたのか。以前の私は三つのことを行い、内に向けて自分を探すこともしていましたが、全てが自分中心だったのです。私は修煉したい、私は向上したい、私は圓満成就したい、私が好きなことだけをしたいという具合に、修煉が進んでも「真・善・忍」は私から遠く離れているように感じました。
大法は私の心の結び目を解き、その後、私は『精進要旨』に収められている40余りの経文を暗記し、随時それを修煉の指針としました。法の学びが深まるにつれ、「私」という存在が自分の向上を妨げる最大の障害であることを次第に悟りました。「私」があらゆる執着の根本であり、特に『轉法輪』を暗記する際に、師父が冒頭で私たちに教えてくださったことを一気に理解できました。すなわち、人間は宇宙の真・善・忍の特性と一致して生まれてくるが、社会的な関係の中で「私」が生まれ、層を重ねて下へと堕ちていくのです。「私」は旧宇宙の根本的な属性であり、旧宇宙が悪化して滅びに向かう主な原因でもあります。正法の時期にある大法弟子は、師父を助け、衆生を救う使命と責任を果たすために、まず「私」を修め手直し部分去り、本質から自分を変えることが必要です。
その後、私はトラブルの中で、また日常の言動の中で、根本的に自分を変えることを重視し始めました。特に、真相を伝える際や同修との協力において、また江沢民告訴の中で、そして夫である同修が煙草や酒への執着を修める過程で、心の奥底にある自己意識をえぐり出すようにして「私」を完全に手放しました。こうして、「私」の執着を根本から取り除き、徐々に出会う全ての人や出来事を理解し、受け入れ、慈悲の心で人々に接するようになりました。そして、以前の「私がやりたいことをする」という姿勢から、「大法が必要とすることをする」という姿勢に変わりました。こうして、人間から修煉者へ、さらに法を正す時期の大法弟子へと生まれ変わる修煉の道を歩み、心がどんどん広がり、修煉の道がますます平穏に進むようになりました。体も軽く健康で、思考も鋭敏になり、72歳にもかかわらず30代の若者のような感覚を持っています。師父が弟子たちに用意してくださったのは、まさに素晴らしい天への道であることを実感しました。
振り返ってみると、魔難に苦しむ同修たちは、かつての私と同じ道を辿っていることに気付きます。個人修煉の中で、ただ法から何かを得ようとするだけで、「私」という目的を抱えたまま修煉し、師父の偉大な法を理解できず、法理の広大で奥深い意味を読み取れず、人間の中で迷い続け、邪悪の迫害にさらされ、旧勢力が仕掛けた大きな試練と困難の中で苦しみ続けているのです。
もし私たちが真に修煉を続け、「私」という根本的な執着を完全に修め去り、本質から自分を変え、法の中から悟りを得ることができれば、法の力は自然とそこに存在し、「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」(『轉法輪』)の境地に達し、法を証し、より多くの衆生を救うことができるでしょう。そうすれば、私たちは自分自身を正し、人々を正し、全ての不正を正すことができます。邪悪はまだ存在するでしょうか? 大法弟子の正念正行の中で、邪悪は自然と灰と化して消え去るでしょう!