文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年9月20日】私はもうすぐ50歳で、中国の一級都市でソフトウェア開発の仕事をしており、2021年9月に大法を修煉し始めたばかりです。
法を得て救われる運命にあるすべての人を導いてくださった、師父の巧みな按排に感謝しており、大法を修煉した私は宇宙で最も幸運な存在になりました。最近の体験をみんなと共有し、師父に報告し、同修と交流することができれば、とても幸せを感じます。
1. ここでは、あなたは唯一無二の存在です
私はインターネットを通じて、北米の大法弟子が制作した番組を見て、徐々に中国共産党(以下、中共)の邪悪を理解し、目覚め、そして法を得ました。
法を得た後、ずっと1人で修煉している状態が続きました(周りに同修はいません)。学法と明慧ネットを閲覧することを通して、私は修煉において、三つのことをしっかりと行う必要があることを理解しました。その中でも真実を明らかにすることは、私にとって、打破するのに最も困難な事であり、いろいろな人心がある事に気が付きました。絶えず法を学び、法で自分を豊かにすることによってのみ、徐々にできるようになると分かり、私を指導してくれる同修が欲しいと常に思っていました。
大法を修煉する前の私は、比較的内向的で、親しい友人や同僚がほとんどいませんでした。先日、仕事の関係で異性の同僚と海外出張に行ってきました。一緒に食事をし、クライアント先への往復も一緒だったので、大法の真実を彼女に伝えたかったこともあり、その間私はとても饒舌になり(実際は師父の按排でした)、ついに同僚は三退することができました。思いがけず、彼女も率先して『轉法輪』を読み始め、本当に救われました。
この時、私はその同僚が本当に法を得て、同修になれることを願わずにはいられませんでした。今後どのように一緒に法を実証するのか、会社の他の同僚にどのように真実を伝えるのかと、心の中ではさまざまな考えが渦巻いていました。内心でここまで落ち着かないのは、正しくないことだと理解していましたが、抑えることもできませんでした。
帰国後、以前の状態に戻り、その同僚とコミュニケーションをとる機会はほとんどなくなりましたが、それでも彼女が法を読み進む具合や、読み終えたあとの気持ちなどを知りたかったのです。
ある日の昼、1人でラーメンを食べに行きました。ラーメン屋の外にカウンターがありますが、何を売っているのか気にしたことはありませんでした。食事の後、ふとカウンター横の表示板に目が止まり、近づいてみると「ここでは、あなたは唯一無二の存在です」 と書かれていました。ようやくこのスローガンがはっきりと見え、師父の啓示であることが分かりました。すると心が安らぎ、涙が止まりませんでした。
2. 棒喝
修煉に偶然はなく、私は頭がぶつかることを「棒喝」だと考えています。そうなった直後に、今何を考えていたのか、何をしていたかをふりかえって思い起こすと、すぐに頭はそれほど痛くなくなります。
中国大陸では依然として同修が迫害されるケースが多いため、正念を持って魔窟を抜け出す交流記事が多いのです。時々読んだ後、心の中で「こんなことが自分に起きたらどうしよう」と思うことがあります。考えれば考えるほど引き込まれて、いろんな展開やセリフまで、想像してしまいました。
ある日、シャワーを浴びながら、どれだけ考えていたかわかりません。下を向いて足を洗うときも、同じことを考えましたが、頭を洗い終えた後、おもいっきりドアのハンドルにぶつけたので、痛すぎてずっと頭を抱えました。すぐに心の中で、これは棒喝だとわかり、この過程で自分の正念が消えてしまったことにも気づきました。師父の慈悲なる見守りを感謝しています。
3. 汚いものを捨てる
大法を修煉し始めた当時の私は、喫煙、飲酒、パソコンや携帯ゲーム、生の玉ねぎやニンニクの摂取など、多くの悪い習慣がありました。それらの習慣を師父が取り除いてくださいました。それで明るくになり、すっかりと元気になりました。
最近、煉功するとき、ふと前に遊んでいたパソコンゲームに、登場したワンシーンが頭に浮かびました。チームメイトとの協力の仕方、自分のポジションの取り方、自分のプレーが上手いと言われること等々、そのまま暫く思うことにしました。時が過ぎてから、これは正しくない状態だと意識し、外来の干渉として排除しようとしました。考え直し、これは外部からの干渉ではなく、昔の自分自身の真実の体験でした。根本的な原因を探し始め、突然師父の法が脳に入ってきました。「例えて言えば、瓶の中に汚い物を一杯入れて、蓋をしっかり閉めてから、水に投げ入れると、底まで沈んでしまいます。中の汚い物を出せば出した分だけ瓶が浮き上がってきます。全部出せば、完全に浮き上がってきます」(『轉法輪』)
なるほど、これは私の瓶(思想)の中の汚い物であり、現代の変異した物であり、後天的な考えから自らが注いだものであります。「それはいりません。脳から出して、捨てます」と思いました。
上記は私が最近の修煉中に得た体験の一部であり、レベルが限られているため、不適切なところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いいたします。
(責任編集:林一平)