広大な師恩に感謝します
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 文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2024年9月22日】私は農村出身の年配の大法弟子です。今年で66歳になり、大法を修煉して22年になります。明慧ネットを通じて、私が大法を修煉する前後の不思議な体験を同修に口述し、整理してもらい、師父の慈悲深い済度とご加護に感謝したいと思います。

  大法を修煉する前、師父はすでに私に法を伝えてくださいました

 私は山村に生まれ、4歳で母を亡くし、9歳で父を亡くしました。叔父の息子の家で育ちましたが、義姉はとても厳しく、少しでも気に入らないことがあると私を殴ったり、罵ったりしました。ある時、義姉にひどく殴られた私は、一束の麻を持って窓から外へ這い出し、裏山の木の下で首を吊ろうとしました。縄を編みながら泣き、「お父さん、早く私を連れて行ってください。もう生きていたくない!」と叫びました。泣いているうちに意識を失いました。

 意識を失う内に、夢を見るように、西の空から一片の雲が漂ってきて、目の前には三部屋分ほどの大きな龍が現れました。大きな口を開けて、私の周りを三周しましたが、なぜか怖くありませんでした。むしろ親近感を覚え、「お父さん」と呼びかけ、苦しみを訴えました。「もう兄の家にはいられない、連れて行って」と言いましたが、龍は首を振って、連れて行けないという意味を示しました。そして、龍の身体は黒から黄色に変わり、消えていきました。

 その時、家族が私を見つけて連れ戻してくれました。その瞬間から、私は自分が龍の娘だと感じるようになりました。

 何とか結婚適齢期まで耐えましたが、虐待が怖かったので、何事も手際よく完璧にこなすようになりました。多くの縁談がありましたが、私は耐えられないので、特に実直な男性を選んで結婚しました。しかし、生活は思ったようにうまくいきませんでした。夫は実直でしたが、稼ぎが少なく、家はとても貧しく、周りから軽蔑されました。私は負けず嫌いで見栄っ張りな性格なので、このような生活には耐えられず、自分の運命を嘆きました。

 そのうち、体中が病気に冒されました。あらゆる治療法を試しましたが、民間療法や神頼みも効果がなく、病状はさらに悪化し、家族の状況もますます悪くなりました。幼い娘も奇妙な病気にかかり、私たちは途方に暮れました。「死んでしまいたい」と何度も思いましたが、井戸に飛び込んだり、川に入ったり、首を吊ろうとしたりしましたが、死ぬこともできませんでした。天にも地にも助けはありませんでした。

 そんな中、心の中で「もし本物の神仙が現れて私たちを救ってくれたら、家も良くなるのではないか」と夢のようなことを考えました。もちろん、それは現実ではありえないことだと思いましたが、ある日、半分眠っていると、本当に一人の大神仙が現れました。道士のような姿で、ほうきを持ち、私の家の炕の上に座っていました。私は彼に食べ物を勧めましたが、彼は何も答えませんでした。やがて、蚊が彼の顔に留まり、腹が赤く膨らむまで血を吸いましたが、彼は動かず、私は手で蚊を叩こうとしましたが、彼は首を振って止めました。「お腹がいっぱいになれば、去っていくでしょう。殺生をしてはいけません」と彼は言いました。

 その後、道士は姿を消し、それ以来、私は生き物を殺してはいけないと悟りました。

 ある日、夢の中で、私は庭で仕事をしていました。すると、西の空から一片の彩雲が我が家の屋根に向かってやって来ました。なぜか私はその彩雲に向かって「師父!」と叫び、跪いて拝みました。その時、自分は十代の少年であることに気付きました。片手に宝剣を持ち、片手で地面を支え、半蹲しながら師父を見上げました。私は何か悪いことをしたようで、師父の顔を正面から見ることができませんでした。しかし、師父は私に頭を上げるように示されました。私は師父を見つめ、師父が淡いピンク色の大きな蓮の花の上に立ち、肩を露出した深い黄色の袈裟を着ていて、頭上には五色に輝く光輪があることに気付きました。「ああ、なんて美しいんだ!」と心で思って、とても気持ちがよく、とても親切だと感じました。「この大きな蓮の花びらを一枚でも持てたら、私は生きていてよかったと思えるだろう」と考えました。すると、師父が「欲しいですか?」と尋ねました。私は恥ずかしそうに頷きました。すると、突然、大きな花びらが私の手の中に降りてきました。私はすぐに両手でその花びらを受け取りました。

 その花びらはゆっくりと私の手に降りてきました。しっかり見ると、それは美しいピンク色のマランの花でした。私は師父に尋ねようとしましたが、師父はすでに姿を消していました。私はそのマランの花を手に持ち、不思議に思っていると、後ろから誰かが現れて花をくれと言いました。私は走り出し、美しく広々とした場所にたどり着きました。

 数日後、また半分眠っていると、師父は再び私の家に現れ、優しく「功を教えてあげよう」と言いました。師父は家の外で私に功法を教えてくださいました。頭前抱輪(頭の前で法輪を抱える) の動作を教えてくださった時、私は両腕から黒い水が流れ落ちていくのを見ました。しばらくすると、私の腕は玉のように白く輝いていました。頭頂抱輪(頭上で法輪を抱える) の動作では、私は腕を持ち上げることができず、師父が「もっと上に上げて」と言われましたが、私は「もう動かせません」と答えました。すると、師父は私にある景色を見せてくださいました。それは、師父が高い山の頂上に立っていて、直立した大きな梯子を立て、私にその梯子を登らせようとするものでした。私はその高くまっすぐな梯子を見て、登るのをためらいました。すると、師父は二本の鎖を垂らしてくださり、それを掴んで登るように言いましたが、私はそれでも登れませんでした。最後に、師父は私を引っ張り上げてくださいました。上に登ると、そこは美しい景色が広がる大きなプラットフォームでした。

 第四式の功法を学んでいる時、「手は気機に従って下に降りる」の動作で思わず笑ってしまいましたが、師父は真剣にやるように示されました。

 さらに数日後、仕事から帰って疲れて炕に横になっていた時、朦朧とした中で師父が再び現れ、第五式の功法を教えてくださいました。手印を打つ時、師父の両手の掌には一輪の蓮の花が咲いていて、それはとても美しかったです。掌を替える時でも、その花は落ちませんでした。

 このように、師父は私に五つの功法を教えてくださいました。

 その後、夢の中ではいつも師父と一緒にいるようになりました。師父は私を連れて各地で法を伝えていました。師父が法を伝えるのは決して簡単なことではなく、邪悪なものたちは狂ったように師父を害することを企んでいましたが、師父はいつもタイミングよく隠れることができました。

 ある日、夢で師父は彩雲に乗って空を歩いていました。私は師父のそばにいましたが、師父は「ここまでだ。これからはお前次第だ。この大法に従って行けばいい」とおっしゃいました。私は泣きました。師父が「どうして泣いているのか?」と尋ねられ、私は「字が読めないからです」と答えました。師父は残念そうにため息をつき、去って行きました。私は目を覚ましました。

 ある時、また鮮明な夢を見ました。私の家に数人がやって来て、そのうちの一人が「金を奪いに行こう!」と言いました。私もその人たちと一緒に大きな山へと走って行きました。山の景色はとても美しく、山腹には赤い布に包まれた光が輝いているのが見えました。私はその赤い布を目指して必死に走り、走れなくなると這いながら進み、ついにその赤い布にたどり着きました。布を開けてみると、三冊の本が入っていました。それは『轉法輪』『轉法輪 卷二』『大圓滿法』でした。

 本を開いてみると、師父の法像が見えました。私は「師父、またお会いできました! あなたこそが私が探していた正法の大神仙で、真の師父ではありませんか? この本はまさに金そのものです!」と言い、続けて「師父、私はやっとあなたに出会えました!」と泣きながら叫びました。そして、その本をしっかりと抱きしめながら、泣き続けました。私は自分の泣き声で目を覚まし、家族もその声で目を覚ました。家族は私に「何を泣いているの?」と尋ね、私は夢の中での不思議な出来事を話しました。家族は皆、非常に驚きました。

 大法を得て夢が叶う

 1998年、私は幸運にも大法に出会いました。その時、私はとても虚弱で、ほとんど働くことができず、体中が痛み、まるで石板を背負っているようで、息も絶え絶えでした。

 ある日、息子が私に「お母さん、村で法輪功を修煉している人がいて、みんなそれがとても不思議で、病気を治し、健康をもたらし、喧嘩もせず、罵り合いもしないし、道を得て仙人になれるって言っているよ。お母さんもやってみたら? でも、喧嘩したり罵ったりしたら効かないんだって」と言いました。私は「仙人になれる」と聞いてとても興味が湧きましたが、「喧嘩や罵りをやめるのは難しいな」と思いました。それでも家族は私に試してみるように勧めました。

 私は煉功点に行き、指導員が動作を教えてくれました。そして、大法の書籍を見た時、「ああ、これだ! 以前夢の中で師父が教えてくださったのはこの法輪功だ!」と気付きました。ついに私は自分の探し求めていたものを見つけました! その時の興奮は言葉では表現できません。こうして私は修煉の道を歩み始めました。

 指導員が私に動作を教えている時、「あなたは教えやすいですね、一度で覚えました」と言いました。私は心の中で「これらの動作は、夢の中で師父がすでに教えてくださったものだ」と思いました。

 初めて集団学法に参加した時、指導員は『シンガポール法会での説法』を読んでいました。私は聞きながら、「師父が説かれていることは本当に素晴らしい。すべて私の心に響いてくる。私がやってきたことを師父はすべて知っていて、それを本に書いてくださったんだ。私は必ずしっかりと修煉していくぞ」と思いました。

 修煉を始めてわずか四日で、私には大きな変化がありました。心が軽くなり、もう鬱屈した気持ちになることもなく、体がすっかり軽くなりました。一か月も経たないうちに、すべての病気が消え去り、歩く時もまるで海綿の上を歩いているかのようで、足が地に着いていないような感覚でした。私はついに、病気がない体の軽さの素晴らしさを体験し、毎日が嬉しくて、歌いたくなるような気持ちでいっぱいでした。

 ある日、私は牛舎を掃除して糞を背負って外に出していましたが、何度運んでも全く疲れませんでした。近所の家の人々が庭の壁を塗っていて、その中の一人が「お前、何か呪文でも唱えたのか? どうしてそんなに元気なんだ? 全然疲れてないじゃないか」と尋ねました。私は「何の呪文も唱えていないよ、法輪功を修煉しているんだ」と答えました。その人は「この功法はすごい、呪文を唱えるよりも効くんだな!」と言いました。

 その頃、私は誰もいない時によく泣きながら師父に「師父、病気が消えました。本当に良くなりました。仕事をしても疲れませんし、私の生活はもう苦しくありません!」と感謝を述べました。時には涙が止まらなくなり、他の人に見られないように気を付けていました。

 魔難の中、師父は絶えず加護してくださった

 しかし、こんな良い日々もわずか一年ほどしか続きませんでした。邪悪な江沢民が、自らの隠された目的のために、前例のない法輪功への厳しい弾圧を始めました。一夜にして、真・善・忍を修煉する数千万人もの善良な人々が迫害の対象となったのです!

 ある日、私は家で料理をしていたところ、突然5、6人の人がやってきて凶悪な態度で「煉功することは禁止だ!」と言いました。私はすぐに彼らに「私は煉功して病を治し、良い人になるために修煉している。法輪大法は普通の功法ではない」と説明しました。彼らは私の話を聞き、帰ろうとしていたところ、嘘に惑わされた親戚がやってきて、まだ法輪大法の本があると彼らに告げました。彼らはそれを聞くと、家の中をひっくり返して本を探し出しました。私は取り返そうとしましたが、彼らは渡してくれませんでした。私は地面にひざまずき、経書の入った大きな包みを抱えている人に「この本を取らないでください。この本は私の命なのです!」と懇願しました。彼らは同情の目で私を見ましたが、1人は「私たちだってこんなことはしたくないんだ。でもやらなければ仕事がなくなってしまうんだ」と言いました。そして、もう1人がその本の包みを持ち去ろうとしたので、私は急いで追いかけ、町の役場まで追いかけました。

 私は町の役場で3時間も粘っていましたが、彼らは「もう帰りなさい。本はすでに県に送ってしまった」と言いました。

 私は県に行って法輪大法の本を取り戻そうとしましたが、場所がわかりませんでした。私は泣き続け、3日間も飲まず食わずで過ごしました。夫は親戚を訪ねて、本を取り戻す手助けをしてほしいと頼みました。

 夫が戻ってきて、親戚が法輪功の本を2冊返してくれると約束してくれたと言いました。すると、空から声が聞こえてきて「この2冊の本で一生修煉するのに十分だ」と言いました。私の天目には『轉法輪』と『精進要旨』の2冊の大法の本が現れました。

 しばらくして、親戚の女性がやってきて「さあ、起きて! 少し食べて、一緒に本を探しに行こう」と言いました。彼女は大法の本を持っている親戚がいることを知っていたのです。彼女は私を連れて行き、その親戚から2冊の本を見つけました。それはまさに『轉法輪』と『精進要旨』でした。

 しかし、その後1年も経たないうちに、また別の人たちがやってきて、再び家を荒らし、今度はその2冊の本も奪っていきました。私は今度こそ本を取り戻すために県まで追いかけましたが、彼らは私を拘置所に閉じ込めました。拘置所での3日間、私は飲まず食わずでした。家族は家の豚肉を売ってお金を工面し、娘婿が関係者に取り成してくれて、ようやく家に帰ることができました。

 しかし、私はもう本を持っていなかったので、学法することができなくなりました。それで、同修の家に行って、本を借りて書き写そうと決めました。しかし、私は学校に行ったことがないし、ただ煉功点で同修が本を読む時、私は同修に従って読むだけで、やっと読めることができたので、字を書くのはとても難儀でした。

 私は決心し、娘にノートを買いに行くように頼みました。店に着いた時、私はすぐにマランの花(馬蘭の花)が描かれたノートを見つけました。よく見ると、これは以前、得法する前に夢の中で師父が大きな蓮の花を踏んで、私のために降らせてくださった花びらが変化したマランの花ではないですか! どうしてこのノートに描かれているのでしょう? 私は急いでノートを買って家に持って帰りました。

 私が最初に書き写した本は『シンガポール法会での説法』でした。書き写すのは本当に大変でした。ある時、「楽」という字が書けなくて、同修に聞きに行くと、同修は少し苛立った様子でした。私は帰って泣きました。しかし、その後の夢の中で、師父が手取り足取りしてその字を教えてくださいました。それからというもの、書けない字があるといつも師父が夢の中で教えてくださるようになりました。

 私は毎日一生懸命に本を書き写しました。悪い人に見られないように、夫に外から家の扉に鍵をかけてもらい、安心して本を書き写していました。冬は家の中がとても寒く、ボールペンのインクが凍ってしまって書けなくなることもありました。その時は、ペン芯を水の入った鉄缶に入れて、火にかけて温めました。

 こうして、私は合計で5冊の大法の経書を書き写しました。今では、私の手元に大法の書がすべて揃っています。繁体字は読めませんが、それ以外の本に書かれたすべての字は読めるようになりました。

 以上が、私が得法してからこれまでの経緯です。振り返ってみれば、魔難は多かったものの、得法し修煉すること以上に幸福で喜ばしいことが何かあるでしょうか?

 命の一瞬一瞬が師父の慈悲なるご加護の下にあり、このような大いなる恩恵に対して、真心を込めて修煉に励まなければ、どうしてこの深い恩に報いることができるでしょうか?

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/29/444951.html)
 
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