北京市延慶区の楊来小さん 迫害で死亡
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 【明慧日本2024年9月23日】北京市延慶区東外小区に在住の法輪功学習者・楊来小さんは、法輪功を学んでいるとの理由で、2度にわたり労働教養処分を受けた。2021年6月、楊さんは自宅に押し入った警官に連行された。2022年11月12日、楊さんは懲役2年の判決を言い渡されたが、2023年4月15日に64歳で死亡した。

 延慶区の警察、司法関係者は、2021年6月に楊さんを連行してから、楊さんが亡くなるまで、楊さんを拘禁するため、警官と裁判官は7、8回にわたり楊さんの家に行き、嫌がらせを行った。毎回、午前中に楊さんを家から連れ出し、夕方或いは夜中に帰宅させた。ある日の夜中2時頃、陽さんの家族に公安局まで迎えに来るようにと要求した。それは、度重なる迫害のため、楊さんの健康状態がひどく悪化したからだ。家族は楊さんを守るために入院させたが、10万元以上の治療費をかけても、楊さんの命は救えなかった。

 法輪功を学び続け、真・善・忍に従って自分に要求し、善の心を養っている楊さんは、2001年10月23日、中国共産党当局に1年6カ月の労働教養処分を科された。2004年12月21日、2回目の労働教養処分2年6カ月を宣告されたが、楊さんは決して法輪功を学ぶ心が揺らぐことはなかった。楊さんの夫は妻の修煉を支持し、迫害から守るために、警官に殴られたり、拘留されたりした。そのうえ、2001年11月10日に延慶裁判所から「公務執行妨害」で6カ月の判決を言い渡された。そのため、楊さんの夫は勤め先の国有企業から解雇され、生活の手段を失った。それ以来、夫は家族と子供を養うため、各地で最も過酷な力仕事に従事した。

 2021年6月27日、延慶市公安局の私服警官は、コロナ予防部門のスタッフを装って、楊さんの家のドアをノックした。楊さんの夫がドアを開けると、すぐに部屋に押し入って家宅捜索を行った。彼ら全員は黒い服を着て、ビデオカメラを手にする者もいて、プリンター2台、パソコン2台、法輪功の関連書籍、法輪功創始者の写真などを押収した。

 楊さんは、スリッパのまま警官の車に乗せられ、県の病院で身体検査を受けた。血圧が200㎜Hg以上もあったが、無視するかのように延慶南湖公安局で尋問された。夜12時すぎ、北京昌平留置場に送られた楊さんは、もう一度身体検査を受けたが、血圧は200㎜Hgと高く、高血圧症であった。昌平留置場は、楊さんの入所を拒否した。深夜1時、楊さんは延慶区公安局に連れ戻され、「居住監視 」処分とし、警官に送られて家に戻ったが、すでに深夜2時になっていた。

 2021年12月1日午前9時すぎ、延慶区百泉派出所の警官4、5人は2台のパトカーに乗って、逮捕状を持って楊さんの家に行き、連行した。彼らは「この前の続きだ。案件は延慶裁判所にある」と言った。警官らは再び楊さんを公安局に連行し、尋問をして記録した。

 その後、楊さんは県の病院に連れて行かれ、身体検査をした。レントゲンを撮ったが、「先日、転んだ時、骨にひびが入った」との結果だった。検査後、楊さんは公安局に戻され、取り調べを終えた午後3時30分、昌平留置場に送られ、再度、身体検査を受けた。体に他の病状もあると判明し、楊さんの入所は拒否された。夜の8時前に、楊さんは昌平留置場から延慶区公安局に連れ戻され、再度、取り調べをしたが、「6カ月間の居住監視」という処分に変更し、警官は楊さんの家族を呼び出し、帰宅させた。

 しかし、警官らは楊さんを尾行し続けた。

 2022年4月15日、延慶裁判所は更なる迫害を加えるため、楊さんを留置場に連行しようとしたが、楊さんは身体検査で入所の条件を満たさず、再び居住監視下に置かれた。しかし、5月12日、延慶裁判所は楊さんの健康状態を無視し、楊さんの自宅で裁判を行った。同年7月、延慶裁判所は再々、迫害をするため楊さんを留置場に送ろうとしたが、実現できず、再び楊さんを居住監視下に置いた。

 同年11月1日夜、百泉派出所と延慶裁判所の警官が突然、法律扶助の弁護士を連れて楊さんの自宅を訪れ、形式的な「裁判」を行った後、「懲役1〜2年の判決を下す」と言った。

 11月2日昼の11時30分頃、3人の警官が楊さんの家に来て、強制的に楊さんを病院に連れて行き、身体検査を受けた。その後、楊さんを延慶公安局の取調課に連行し、調書を作成した。そして、北京昌平留置場に連行された楊さんは、何度も検査を受けたが、最終的に留置場側が入所を拒否した。

 11月12日、延慶裁判所は、楊さんに懲役2年、罰金4000元の判決を下した。百泉派出所の警官李大鵬と裁判官は楊さんに判決状を渡した。

 判決が宣告されてから楊さんが亡くなる(2023年4月15日)までの5カ月の間、延慶裁判所の裁判官は、何度も楊さんの家に来ては、楊さんを刑務所に入れようとした。

 1999年7月に中国共産党が法輪功を迫害して以来、20年余りの間、楊さんと夫は、穏やかな生活を送ったことがなく、絶えず嫌がらせ、脅迫、家宅捜索、連行、拘禁などの迫害を受けた。そのため、楊さんは肉体を奪われたのである。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/9/8/481679.html)
 
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