十数年迫害された湖南省の女性医師 迫害により死亡
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 【明慧日本2024年9月30日】湖南省常徳市の法輪功学習者である劉冬仙さんは、不当に1年9ヶ月の労働教養を受け、3回の不当な判決で計16年の実刑を科された。そのうち、2016年12月に連行されて懲役9年の実刑判決が言い渡され、湖南省長沙女子留置場で激しい迫害を受けた。彼女は最後までいわゆる「転向」を拒否し、2024年5月頃に留置所から自宅に戻されたが、数日後に72歳で迫害により亡くなった。

 劉さんは、2015年に江沢民を告発する訴状の中で次のように述べていた。「1999年7月20日の迫害が始まって以来、私が受けた迫害はあまりにも多く、すべてを思い出すことはできません」

 劉さんは1952年9月16日に生まれ、湖南省桃源県紅十字病院に住んでいた。彼女は桃源県紅十字病院の内科主任医師だった。1999年4月に法輪功の修煉を始めてから短期間で、胆のう炎、胃病、心臓病、痔疾、腰痛、メニエール病などの病気がすべて消え、健康を取り戻した。彼女は「真・善・忍」の原則に従って良い人になろうと努め、桃源県紅十字病院では評判の良い医師として認められていた。

 1999年7月、中国共産党が法輪功を迫害し始めてから、劉さんは何度も連行され、1度の労働教養、3回の実刑判決、洗脳班での2回の拘禁、1回の軟禁などの迫害を受けた。長期間監視され、電話は盗聴され、行動も監視され、外出時に尾行された。また、医師資格と処方箋の権利を剥奪され、医師の職を解かれ、漢方薬の倉庫で雑用をさせられた。給与やボーナスも停止され、月にわずか300元の生活費しか支給されなかった。

 数回の不当な拘束、労働教養所での残酷な迫害

 2000年2月3日、劉さんは他の学習者の家で煉功しているところを連行され、1ヶ月間拘禁され、2000元の罰金を強要された。同年7月19日、北京へ上京して陳情した際、再び連行され、1ヶ月間拘禁された。

 2001年1月16日、彼女は5日間、麻薬中毒患者治療所で拘禁された。2001年1月22日には再び北京に陳情に行き、市内の海淀区留置場で警官に頭を鈍器で殴られ、2人の警官に同時にスタンガンで5時間にわたり電気ショックを加えられた。警官たちは彼女の身体に椅子を押し付け、全身を殴りながら電気ショックを加えスタンガンが電池切れになるまで続けた。

酷刑演示:电棍电击

スタンガンで電気ショックを加える実演

 その後、劉さんは1年9ヶ月の不当労働教養を受け、株洲市の白馬壠労働教養所で残酷な拷問を受けた。彼女は長時間、小さな板に座らされたり、立たされたり、手錠をかけられたり、物干し竿に吊るされたりした。気絶するまで手錠を緩められることはなかった。強制的に野蛮な方法で鼻から食物を流し込まれ、窒息しそうになっても止めることはなかった。長期間の断食で胃から出血し、止血剤を使った後に血圧が急上昇し、300mmHgに達し、激しい頭痛やめまい、吐き気に苦しんでいた。通常なら血圧を下げる薬が使われるはずだが、労働教養所では毎日逆に血圧を上げる薬を投与された。

 2002年11月5日、桃源県の610弁公室と公安局は、劉さんの家族に監視協定の署名をさせた。彼女が監視中に脱走した場合、夫は2万元の罰金を支払うこと、兄は行政職を解任されるという内容だった。

 2003年1月2日、劉さんは洗脳班に1ヶ月間拘禁された。

 2004年2月、610弁公室は桃源県消防隊を動員し、窓から侵入して20人以上で彼女を連行した。当時、100人以上の見物人がいた。彼女は6ヶ月間、洗脳班で拘禁された。

 最初の不法判決で3年間、拷問に苦しむ

 2006年8月28日午後3時頃、桃源県610弁公室の周桂成、鄭雲清、国家安全局の文承広、胡光華らが劉さんの家に押し入り、彼女を桃源県拘置所に連行した。劉冬仙さんは抗議のために絶食をしたが、警官に暴力的な方法で強制的に灌食され、血を吐いた。

 2007年2月10日、劉さんは留置場で2回目の断食を行い、100日以上続いた。毎日、警官に暴力的に強制灌食をされ、彼女はやつれてしまい、体重は約65kgから約30~35kgに激減し、生命の危機に瀕した。それでも警官は彼女を釈放せず、2007年4月3日に桃源県で不法に裁判が行われ、常徳市検察院が初審を担当した。当時の主審判事は熊先明、裁判長は魏雲良、裁判員は聶敏、代理裁判員は龍志軍だった。判決は不法に3年の実刑判決を言い渡した。

酷刑演示:野蛮灌食

野蛮な強制摂食

 劉さんは江沢民を告発した訴状の中で次のように述べた。「湖南省女子留置場で、信仰を放棄させるため、あらゆる拷問を受けました。警官は最も邪悪な犯罪者を私に付きまとわせ、長時間にわたり矯正的に立たせられたり、しゃがませられたり、両手を後ろ手に縛られて5日5晩も立たされ続けました。零下5度の気温の中で、全身の服を脱がされ、窓を開けて強風に15分間さらされました。7日7晩トイレに行くことを許さず、胸部以下がすべて尿で濡れてもそのままで、床に尿が漏れると、それを舐めることを強要されました。排泄も服の中で行わなければならず、建物全体が悪臭で充満しました。飲食も排泄もすべて同じ部屋で行われました。この迫害を受けた結果、私の両手は完全に機能しなくなり、黒ずんで壊死し、生活の自立ができなくなりました。それでも夜間のペナルティが続き、両脚が水桶のように腫れ、靴を履けなくなり、皮膚が剥がれ落ちました。毎日、わずか30分から1時間しか眠らせてもらえず、睡眠不足のため頻繁に倒れてしまいました」

 湖南省女子刑務所で、当時55歳の医師・劉冬仙さんは警官によって服を脱がされ、トイレのそばに立たされ、寒い冬の間、罰としてその状態で放置された。さらに卑劣なことに、看守は劉さんの服を脱がせた後、彼女の写真を撮り、それを外で広め、「彼女は気が狂った」と噂を流した。劉さんはこの迫害で身体に障害を負い、数か月間、自分の身の回りのことができなくなった。

 彼女は2度目の判決で4年の実刑判決を受けた

 2011年4月19日午後5時過ぎ、劉さんは桃源県の歩行者天国で法輪功迫害の実態を伝えていたところ、再び逮捕された。そして6月9日に桃源県裁判所で審判され、2011年8月、劉さんは4年の実刑判決を宣告された。

 劉さんは湖南省女子留置場に送られた。当時、湖南省女子留置所の第6エリアの第1・第2中隊は、法輪功学習者を迫害するための特別な部隊であり、第1中隊には「学習班」(いわゆる洗脳班、または「攻撃隊」とも呼ばれる)が設けられていた。留置所の食堂の前の目立たない角に位置し、10平方メートル余りの部屋が6つあった。各部屋には、3人の受刑者(暴力要員)が法輪功学習者1人を担当していた。

 この「学習班」は実際には法輪功学習者に対する拷問部屋であり、様々な迫害手段が用いられた。吊り上げたり、手錠をかけたり、長時間壁に向かって立たせたり、睡眠を許さない、トイレに行かせないなどが日常的に行われていた。また、彼女たちに法輪功を中傷するビデオや書籍を強制的に見せ、偽り、暴力、猥褻な内容を宣伝し続けた。法輪功学習者に法輪大法を罵倒させ、「四書」と呼ばれる文書を書かせ、いわゆる「転化」を強要し、真・善・忍を修める良い人々を悪人に変えることが目的だった。

 洗脳班に閉じ込められた法輪功学習者は、3か月から9か月間にわたり迫害を受け、刑務所に監禁されている法輪功学習者全員が交代で洗脳を受けさせられた。

 第3回目の実刑判決は9年間、迫害により死亡

 2016年12月、劉冬仙さん、方杏枝さん、劉麗輝さん、曾明清さんの4人は、法輪功の「真・善・忍」の原則に従って自分自身をより良い人間にしようと努め、無私の心で中国共産党に欺かれている民衆に法輪功の素晴らしさを伝えたが、その結果、4人は次々に連行された。2017年11月2日には彼女たちは判決を受け、2018年3月13日、桃源県裁判所は劉冬仙さんと方杏枝さんにそれぞれ9年の実刑判決を言い渡した。彼女たちは不服としてすぐに控訴した。劉麗輝さんには7年の実刑判決と3万元の罰金が科され、曾明清さんには5年の実刑判決と2万5千元の罰金が科された。

 劉冬仙さんと曾明清さんは「保釈中」に国保大隊の文承華や符正権、県法院の熊軍および地域の責任者から脅迫を受け、「悔悟文」や「誓約書」といったものを書かされそうになった。もし従わない場合、刑務所行きや罰金が科されると脅された。しかし、劉冬仙さんと曾明清さんはこれを断固として拒否した。2018年7月初旬、地方中級法院から控訴が棄却され、原判決が維持されるという通知が届いた。劉冬仙さん、方杏枝さん、劉麗輝さん、曾明清さんは、長沙女子留置場に送り込まれ、そこで迫害を受けた。

 劉冬仙さんは、長沙女子刑務所で激しい迫害を受け、「転向」を拒否し続けたため、「高度警備監区」の刑務官に迫害され、重度の心臓病や高血圧を患うようになった。

 「高度警備監区」における、法輪功学習者に対する主な迫害手段の一つは「罰站(長時間立たせること)」だった。これは、学習者に朝6時半の起床から夜10時の就寝まで、正しい姿勢で立たせ続けるというもので、食事や水を飲む際も手を使うだけで足を動かすことは許されなかった。この「罰站」に加えて、トイレの使用や洗面が制限された。1日24時間で1回しかトイレに行けず、手を洗うことも1回のみ許され、それ以外の時間は水を使うことはできなかった。水を飲むことは許される一方で、トイレの使用には報告が必要であり、監視員が許可を出して初めて10分間だけ行くことが許された。そのため、法輪功学習者の中には、トイレに行くのを少なくするために水を飲まないようにする者もいた。長期間の立たされることにより、学習者の足の裏には血がたまり、手足が腫れ、下肢全体や腹部が浮腫んだ。

 2022年1月、留置場側は「高度警備監区」を「U字楼」の5階に移した。この階は全体が正方形の18の部屋で構成されており、1隊と2隊に分かれている。ほとんどが法輪功学習者を拘束しており、1隊は強制的に「転向」を行う部隊で8つの部屋があった。2隊はほとんどがすでに「転向」した者が収容されており、その中の1つの部屋には長期間拷問を受けたにもかかわらず「転向」せずに身体が深刻に痛めつけられた法輪功学習者、例えば劉冬仙さんなどが収容されていた。

 2024年5月頃、劉さんは刑務所から自宅に戻されたが、わずか数日後に冤罪を抱えたまま亡くなった。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/9/10/481994.html)
 
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