濰坊市の李祖平さん一家が、長年受けた迫害の実態
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 【明慧日本2024年9月30日】山東省濰坊市濰城区に在住の法輪功学習者・李祖平さんと、母親・単淑雲さんは、法輪功を学んでいるとの理由で、1999年に中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害が始まってから、警官と居民委員会の関係者らに繰り返して脅かされ、家財を押収された。

 李さん宅の防犯ドアは中共関係者に壊され、施錠できなくなった。警官と居民委員会の関係者は頻繁に押しいるため、やむをえずドアを買い替えた。

'这是被坏人踢坏的门,坏人经常破门而入。锁已经按不上了。'

壊されたドア

'坏人经常破门而入,原来的门已经锁不上了,被迫换了大门。'

施錠できなくなった防犯ドア

 李さんと夫・霰春偉さんは、法輪功を学んでいるため、中共の警官らに何度も身柄を拘束され、労働教養処分を科されて、不当判決を宣告されたことがある。霰さんは釈放された後、放浪生活を余儀なくされ、中共の警官は李さん家族にしばしば電話をかけたり、脅しに来たりしている。

 李さんと母親・単淑雲さんは、毎日ハラハラし、廊下を人が歩く音がするとすぐに息を止め、とても神経質になり、また警官が来てドアを壊すのではないかと心配していた。テレビの音は小さくし、ドアが閉まっているかどうかを頻繁に見に行くことが多い。

 2014年10月、単さんは15年間の脅迫・家財没収などの迫害の末に、この世を去った。

 2016年1月、李さんと夫は再び警官に連行され、不当判決を宣告された。釈放後に再び放浪生活を送らざるを得なかった。青州市と濰城区の警察、濰城区の居民委員会のメンバーは、李さんと高齢の父親にしばしば嫌がらせをし、脅迫した。警察は電話をかけたり、ドアをノックすることもある。

 2024年の中共の両会(中共の全国人民代表大会と中国人民政治協商会議のことを指す)の直前、青州市派出所の警官は李さんに電話をかけ、釈放証明書を持って青州派出所に出頭するよう夫に通知するよう求めた。

 2024年8月30日午前、青州市派出所の警官が李さんに電話をし、夫の電話番号を尋ねたが、李さんは知らないと答えた。市派出所の警察はその後、霰さんの故郷の姉のところに行って、居場所と連絡先を聞いたが、なんの情報も得られなかった。

 2024年8月31日、公安車両に乗った多くの警官が李さんの自宅のドアをノックした。李さんの父親は高齢で歩行困難なため、ドアを開けることができず、警官は隣家までドアをノックしに行ったが、隣家もドアを開けることを拒否したため、階下まで聞きに行った。しばらくすると、また上がってきてドアをノックし、何度も繰り返した。その後、警官らは1時間以上も階下で待っていた。公安車両が階下の住戸の前に停まっており、朝から大騒ぎして帰っていった。午後1時ごろ戻ってきて、ドアを30分間ノックし続け、結局、そのまま帰って行った。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/9/26/483316.html)
 
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