文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月4日】私は青年大法弟子です。電子製品が好きで、コンピュータ、iPad、スマートフォンが特に好きです。これは両面性があります。良い点は、こういったものを研究し、技術を学ぶのがとても速く、簡単に感じ、すぐに習得できることです。システムのインストールなども手伝い、同修を助けることができます。しかし、悪い点は、普通の人よりもこれらのものに執着してしまうことです。休憩やリラックスしている時には、韓国のエンターテイメント番組、欧米の映画、ショートムービーを見るのが好きで、普段はネットショッピングもよくします。こういったものは一見、党文化の影響を受けていないように見えますが、見始めると引き込まれてしまい、修煉の意志を大いに消耗させ、精進する気を失ってしまいます。時間はあっという間に過ぎてしまい、1、2時間はあっという間ですし、学法中も眠くなってしまいます。
私はこれを突破しようとしましたが、長い間成功しませんでした。しかし、精進したいという心は常に持っていました。ある日、頭がもやもやして、何か悪い物質に取り憑かれたような感じがしました。かつて不幸な出来事があったときも同じ感覚を覚えたことがあり、私はその感覚に警戒し、この執着を捨てることを決意しました。私は発正念を強化し、毎日、長時間発正念を行いました。通勤の際、車での移動をやめ、徒歩に切り替えました。往復で約1時間歩き、その時間を発正念に使いました。もし昼間に発正念ができなければ、夜に行いました。午後9時には定時で30分間発正念を行い、普段は昼の12時と午後6時にも30分間発正念をしました。時々力が弱いと感じる時には、師父の加持をお願いし、発正念中に突然エネルギーを非常に強く感じることがありました。
しばらく続けた後、状態はかなり良くなりましたが、まだその物質は存在していました。私は内に向けて探し始め、まだ動態網の自媒体動画を見るのが好きだということに気付きました。世俗の動画はもう見なくなりましたが、動態網の動画は同修が作ったものだと思っていたので、少し執着していました。ニュースがあるかどうかを見たりして、もう長い間見続けていました。その結果、多くの時間を浪費してしまいました。時々、昼食をとる際にすぐにコンピュータを開いて、動態網で動画を見ながら食事をしていました。同修は、ネット封鎖を突破するのが難しいと言っていましたが、私はそのように感じたことはなく、動画は非常にスムーズに見られました。その後、私は動態網のURLをブックマークから削除する決心をしました。昼食中は解体党文化を聞くように変え、聞けば聞くほど面白く感じるようになりました。普段仕事中にも聞いていますが、時には仕事に集中していてあまり心に留まらないこともあります。それでも、家に帰って気づいたのは、心に留まらなくても実際には内容が頭に入ってきており、大きな利益を得ていたことです。もちろん、師父の講法はこのように聞くべきではありません。それは師父や法に対する不敬となります。
私はショートムービーを見なくなり、スマートフォンをいじることもなくなってから、修煉体験の交流を読む時間ができたことに気づきました。私は長い間、修煉体験の交流文をきちんと読んでいませんでした。数か月分の『明慧週刊』をダウンロードし、一つずつ読み進めました。読めば読むほどに心に響き、ますます読みたくなりました。同修たちが心を修める時の苦しみや困難に直面しながらも、大法の基準で自分を測っている姿に感動しました。私も本当に少しずつ成長していると感じました。ある交流記事では、ある同修が息子の妻に、夫の修煉を告発されながらも、息子の妻に尽くし、彼女を受け入れ、新しい野菜を買ってきて冷蔵庫に入れ、古い野菜を持ち帰るという記事がありました。息子の妻はそれでも満足せず、同修を責め続けましたが、同修は法を基準にして自分を律しました。その同修の修煉の確かさには本当に感服しました。私は普段、弟嫁を見下していました。彼女が多くの問題を抱えていると感じ、いつも家で何もせず、人の欠点ばかり指摘することに腹を立てていました。電話に出なかったり、メッセージにすぐ返信しなかったりすると、彼女はすぐに私をブロックしてしまうのです。会社で分けられたものをあげても、彼女は「良くない」と文句を言います。とにかく、彼女との付き合いは少し気を抜くと、彼女の神経に触れてしまうようなものでした。しかし、今では彼女がそれほど悪くないと感じるようになり、彼女に対する見方が変わりました。常人には大法の指導がないのだから、私は気にしないことにしました。
今では、本当に全身全霊で大法を実証することに集中できるようになり、普段もあまり雑念がなく、歩いたり運転したりする時は正念を発し『轉法輪』の中の「主意識を強くもつべし」を暗誦しています。仕事で何か問題が起きても、内に向けて自分を探すことができるようになりました。以前は何かあるとすぐに腹を立てていましたが、今では本当に冷静でいられるようになり、常に内に向けて探すことができています。以前は、家で休むとしばらくすると修煉状態を調整することができましたが、どんなに自分に「仕事中は修煉者として行動するべきだ」と言い聞かせても、何か問題が起きるとすぐに忘れてしまいました。しかし、今では本当に心を落ち着けて行動することができています。
年が明けてから、仕事が忙しく、様々な事が多く、2カ月近く法輪功の資料を配っていませんでした。しかし、長時間発正念を続けていたおかげで、少しずつ改善されてきました。数日前、資料を配ろうとした時、なかなか行動に移せず、心の中では早く外に出たいという焦りがありましたが、恐怖心が強く私を阻んでいました。資料を背負って外に出て、3種類の資料を配り終えた時、心の奥底から湧き上がるような喜びを感じました。それは歓喜心ではなく、表現しがたい喜びでした。もしかしたら、私の世界の衆生が喜んでいたのかもしれません。その後、手にしていた資料は非常に順調に全て配り終え、全くプレッシャーを感じませんでした。
私は、多くの事が連鎖していると感じています。例えば、私はずっと『轉法輪』を暗記し続けていますが、年が明けてからはこの暗記に集中して取り組み、その過程で普段読んでいる時には悟れなかった理を悟りました。そして、内に向けて探すことの重要性を理解しました。長時間発正念を続け、法を暗記し、精進したいという心を持ち続けていることで、少しずつ各方面で進歩していると感じます。もちろん、まだ至らない点もあります。功を煉ることにそれほど精進していないし、衆生を救い済度するための行動も少ないです。これは私が突破しなければならない点であり、必ずしっかりやらなければならないことです。私はこれをしっかりとやり遂げるつもりです。
私と同じようにスマートフォンに夢中になっている同修がいるならば、ぜひスマートフォンを手放し、この執着を取り除いてください。今すぐ立ち上がり、実修して精進しましょう。