文/河北省の大法弟子
【明慧日本2024年10月5日】大法を学んで以来、「嫉妬心」という問題が非常に深刻であると分かりました。そのため、日常の修煉の中で特にこの執着心に注意を払い、必ず取り除こうと決心しました。師父は私が嫉妬心を修めたいという願望を持っているのを見られ、この心を取り除く環境を按排してくださいました。
十数年前、私はこの場所に来て仕事を始めました。私はタイリング技術が非常に優れているので、何十年もの間、建設現場の仕事に従事してきました。また、現場での管理業務も行うことができます。暇な時には建築図面に関する知識も学びました。完全に専門的ではありませんが、理解しており、実際の仕事で必要な時には何でも対応できます。
その時、私はある同郷の人に出会いました。彼は二棟の工場を請け負っていました。私が得意分野であることを知った彼は、私と一緒にこの仕事をすることを提案しました。私はそれに同意し、工事現場のタイリング作業、木工、鉄筋工、さらに足場などの管理をすべて私一人で行い、彼は主に作業員の募集やいろんなことを手配してもらいました。
妻の弟は地元で養鶏業を営んでいましたが、うまくいかず、生活が困難になってしまいました。義父は「お前の義弟は誰の言うことも聞かないが、お前の言うことだけは聞く。どうしようもないので、彼をお前のところで働かせて、タイリング技術を教えてくれないか」と私に言いました。こうして私は義弟を自分のそばで見習いとして働かせることにしました。彼は頑張って学んでいましたが、あまり上手くできませんでした。しかし、義弟には一つ長所があります。それは、話し上手で、物事をうまく運べる能力があることです。
年末に工事が完成した後、その同郷は賃貸料を非常に高く設定しました。彼の狙いはそこから利益を得ることでした。工事に関する支払いはすべて私に押し付け、彼自身の分はすべて清算されました。私が受け取るべき分は手に入らず(翌年の秋に受け取った)、しかし、翌年の春になっても私は連絡を取ることをせず、彼も私に声をかける勇気がありませんでした。
ある日、義弟がやってきてこう言いました。「あなたのパートナーが私に一緒に働くように頼んできました」。その時、私は心の中で「これは私を排除して、自分たちだけでやろうということではないか」と思い、少し不満を感じましたが、義弟の家庭の経済状況を考えると、義弟にやらせて私は引き下がることにしました。
修煉を始める前であれば、私は彼らの連携を促すことはなかったでしょう。今の人々は利益を追求するばかりで、儲かる仕事を他人に譲ることはないはずです。しかし、今私は修煉者であり、修煉者としてどうして常人と同じように名利を争うことができるでしょうか? 私は大法の要求に従って行動し、他人のために考えるべきで、利益への執着心を手放さなければなりません。しかし、この問題に関しては、私の嫉妬心が晒されることに気づきました。
彼らの連携はうまくいかず、困難が多くありました。技術面では、義弟は全くの素人だったので、夜になるとしばしば図面を持って私に助けを求めてきました。私は丁寧に彼に説明し、徐々に彼の技術も向上していきました。しかし、従業員に給料を支払う際、通常は経営者が先にお金を立て替えるものですが、義弟にはお金がなく、私のところに借りに来ました。その時、いつ返してくれるかわからないことは分かっていましたが、それでも彼にお金を貸しました。最初は数万元でしたが、次第に多くなり、家の貯金や、銀行カード、暗証番号まで教え、彼に自由に使わせることにしました。これも私の利益に対する執着心や嫉妬心を克服することだと思いました。師父がおっしゃった通り、「自分のものなら、無くなることはない」(『轉法輪』)ので、心はとても平静でした。
また、その後、工事現場で人手が足りないとき、義弟は私に助けを求めてきました。私は工事作業員として働き、管理者が必要なときも管理者として働きました。現場の管理ができなければ、損失を被ることになります。
こうして義弟は私の上司となり、私は彼の下で働く立場になりました。時には彼が不満を口にし、大勢の前で私に怒ることもありました。周りの同僚たちも我慢できず、「あなたの義弟はどうしてこんなにひどいですか? 態度を見せてやればいいのに!」と言ってくれました。そのたびに、心の中で何とも言えない気持ちになり、「私が技術面や経済面で助けなかったら、お前は今のようにはなれなかったのでは?」と心のバランスを崩した時もありました。私たちの親族も同様に言いました。
徐々に彼らの事業はどんどん大きくなり、利益も増えていきました。約5、6年の間、私はずっと彼らのところで働いていました。私は、嫉妬心とずっと戦っていました。最初は、彼に対する助けや貢献を思うと、心の中でしばしば不満が募りました。しかし、学法と修煉が進むにつれて、何度も反省し、自分に言い聞かせました。「自分は修煉者だ、義弟に対してどのような心持ちで接するべきなのか。求める心、不平不満、嫉妬心はすべて常人の心ではないか? 修煉者として取り除くべき心ではないか? 大法の要求に従い、真・善・忍の基準に従うなら、心を平静に保つべきだ! 今、彼が自分の上司で、自分は彼の従業員だから、何をもって心の不平不満を感じる必要があるだろうか?」
嫉妬心を取り除く過程で、師父の法から、私はより高い法理と深い内涵を理解することができ、心性が大いに向上しました。努力の結果、良くない嫉妬心はもう私を妨げることがなくなりました。また、正念を発する際にも、それを常に除去し続けました。
心性が向上するにつれて、私の心は次第に平穏になりました。義弟が私からいくらお金を借りても、返さなくても、彼が私にどのような態度を取っても、最終的には私は心が動じなくなり、むしろ慈悲の心を持って彼に接することができました。彼らがいくら儲かっても、私は嫉妬心を感じることなく、心の中は平静で、私には関係のないことで、それは彼の運命だと思うようになりました。ですから、彼らのところで働くとき、私の心の中には何の考えもなく、ただ当然のように自分のすべきことを行い、大法の要求に従って良い人、さらに良い人になるよう努めました。そして、周りの人々が私の言動を通して大法の素晴らしさを感じれば、何よりも良いことだと思いました。
師父が私に与えてくださったこの嫉妬心を修める経験は、私に深い印象を残し、大法の威徳や、弟子の向上のために師父がどれほど苦心をされているかを目の当たりにしました。師父のご恩に深く感謝いたします! 弟子は師父のご恩を忘れず、自分を修め、使命を果たし、必ず師父と共に家に帰ります!