懲役5年の不当判決 75歳の殷培芹さんが刑務所で殴打される
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 【明慧日本2024年10月7日】山東省新泰市の法輪功学習者・殷培芹さん(75歳女性)は、懲役5年の不当判決を言い渡されて、山東省女子刑務所に拘禁された。殷さんは「転向」を拒否したため、刑務所でひどい暴行を受けた。

 国内安全保衛部門(以下、国保)の警官は、判決を下されたことを知らない殷さんに「お前に『養老』の場所を見つけてやった」と言った。

 山東省女子刑務所で、殷さんは長い間、警官と受刑者たちから迫害を受けていた。耳がよく聞こえない殷さんは、「転向」を拒んだため、独房に入れられ、殴られ、罵られ、トイレに行くことも許されなかった。殷さんは読み書きができず、いわゆる 「思想報告書」を書けなかったので、警官は受刑者に書かせたものを殷さんに描き写すように命じた。

中共酷刑示意图:殴打、撞头

拷問のイメージ図:殴打、頭を壁にぶつける

 2023年4月21日の午前、殷さんが「法輪功学習者に迫害を加えている」と一言言った。すると、受刑者6人は、殷さんをトイレの隅(監視カメラが撮影できない場所)に引きずり込み、殴る蹴るの暴行を加えた。劉園園という人が膝で殷さんの太ももの内側を強く押さえたため、殷さんは太ももの内側が紫黒くなり、歩けなくなった。陳燕などの受刑者らは殷さんの手を壁に何度も激しくぶつけたため、殷さんの手が酷く腫れ上がった。警官がその午後、車いすで歩けない殷さんを病院へ連れて行ったが、結局、殷さんに反省をさせた。

 殷さん(旧名:殷培坤)は、1949年3月生まれ、山東省新泰市青雲弁事処龍山村の農民である。息子が2歳の時、殷さんは脳血栓で半身が麻痺になり、夫の会社から集めた治療資金を使って治療し、病状が改善したが、麻痺の後遺症が残り、立てない、座れない、自分の身の回りのこともできない、そして子供の世話もできなかった。しかし、1999年2月、法輪功を学び始め、殷さんはまず、法輪功の李先生の教えである、「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」に従い、トラブルに遭遇した時、内に向けて自分を探した。他人に迷惑をかけない、怒らない、そして、人に善を持って接する、物事に寛容な心で対処するよう努力した殷さんはそのうち病状がすべて消えたという。そして、元気になった殷さんは畑の農作業や家事など一人で全部できた。

 しかし、1999年7.20、中国共産党が法輪功への迫害を開始した。そのあと、殷さんは繰り返し迫害を受けた。2005年1月、新泰市国保の蘇隊長らは殷さんの家に押し入り、家宅捜索をして、殷さんを連行した。警官らは殷さんの自宅から法輪功関連書籍、テープレコーダー、テープを押収した。殷さんは、新泰市北師拘留所に半月間拘留され、300元以上を強要された。2005年3月、殷さんは山東第一女子労働教養所に送られ、2年間拘禁された。

 労働教養所に拘禁されている間、殷さんは法輪功を学び続け、警官が法輪功創始者と法輪功を中傷することを阻止した。警官は殷さんが法輪功のことを話すのを許さず、殷さんが口を開くと、殷さんの髪の毛をつかんで口と頬を強くつねった。その結果、殷さんは上の前歯4本しか残らず、髪の毛もたくさん抜かれた。その後、警官は殷さんの頭にテープを巻いて口を塞ぎ、功法の練習をしている殷さんを見ると殴り、殷さんの手や腕にテープを巻いた。立たされた殷さんは少し動くと足をテープで巻かれた。何日も立たされたことがあり、殷さんの足は酷く腫れ上がった。ある時、警官は一晩中、殷さんの両手を窓に手錠で固定した。殷さんは暖房用のパイプに手錠で固定されたこともある。

 殷さんが教養所の囚人服を着なかったため、警官の指示を受けた受刑者にシャツを引き裂かれ、上半身を裸にしたまま長時間放置された。また、警官はその様子をビデオに録画し、「法輪功を学んで恥じないあまり、精神異常になった」と、殷さんのことを中傷した。

 2006年、労働教養所で殷さんは警官や受刑者の不当な要求や命令に従わなかったため、旧正月の3日目に小さな暗い部屋に入れられた。その後も何回か小さな暗い部屋に入れられ、その年のおよそ半分の時間はそこで過ごした。殷さんは小さな暗い部屋で長時間立たされたり、小さい椅子に座らされたり、睡眠を剝奪されたりなどの拷問を受けた。ある時期、トイレに行くことも許されず、便をそのままズボンの中に漏らしたこともあった。夏には、毎日汗まみれだが、シャワーを浴びるのも許されず、警官から「臭すぎる」と言われた。殷さんは1日2回食事を与えられ、1回に小さな窩頭1つ(ウォートウ。トウモロコシやコウリャンなどの粉を水でこねて円錐形に丸め、蒸して食べるもの)と少量の漬物しか与えられず、空腹で眩暈を起こした。

 2007年9月1日、殷さんは、新泰市の国保と610弁公室の警官に自宅を家宅捜索され、持っていた法輪功関連書籍とMP3プレーヤーを押収された。その後、殷さんは再び2年間の労働教養処分を下され、山東省第一女子労働教養所に拘禁された。

 2020年の元旦、殷さんの夫は他界し、その数日後、新泰市検察院の職員が殷さんの自宅へ行き、「おまえの件を立案した」と告げ、殷さんにその書類に署名と拇印を求めた。殷さんはこれを拒否した。彼らは「訴訟権利義務通知書」を残し、いわゆる「案件」についての情報は何も残さなかった。

 同年3月31日、新泰市国保の大隊長・馮大勇は、2人の警官を連れて殷さんさんの自宅に行き、「おまえの案件が泰安市の肥城市裁判所に受理された。自宅で召喚を待て」と伝えた。

 同年8月27日の朝、国保の王玉軍と警官2人は、村の幹部に協力させ、殷さんの家の壁をよじ登って殷さんの家に入り、殷さんに新泰市公安局で身体検査を受けるよう強要した。当時、殷さんの息子は入院していたため、警官は村の婦人主任を同行させた。公安局に着くと、殷さんはある部屋に入れられ、部屋にいる全員が頭からつま先まで白い隔離服を着ていた。殷さんは採血され、B超音波検査、心電図検査、全身CT検査を受けた。

 10月22日の午前、3人の警官がパトカーに乗って殷さんの家に行き、家を一回り見てから立ち去った。

 その後、殷さんは知らない間に懲役5年の判決を言い渡された。「家のお金は全部国保の警官に奪われた」と言った殷さんは、「お前に養老する場所を見つけてやった」と警官に言われた。殷さんは山東省女子刑務所に送られた。

 この数年間の迫害の中、殷さんの家族も大きな被害を受けた。国保と610弁公室の警官による度重なる家宅捜索、連行、拘留、労働教養の迫害で、殷さんの夫と息子は恐怖のあまり精神に異常をきたし、時には支離滅裂なことをわめくようになった。殷さんが労働教養所に拘禁されている期間、息子は放浪生活をし、自分の身の回りのことができない夫は、わずか180元の年金と300元の低所得保険金を頼りに過ごしていた。

 殷さんが1回目の労働教養所から家に戻ったとき、夫と息子はまるで浮浪者のようで、髪の毛が肩まで伸びていた。家の庭に草や小さな木が生い茂り、一尺ほどの細い道しかなく、家の入り口の戸枠は落ち、家中はゴミだらけだった。ベッドが倒れて壁にへばりつき、掛け布団がネズミにかじられてネズミの巣になっていた。家の食糧はネズミに食べられ、虫にも食べられた。畑は草だらけだったという。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/3/483532.html)
 
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