文/中国の大法弟子・蓮心
【明慧日本2024年10月8日】私は2021年に法輪大法を学び始めた新しい学習者です。私は怠け者で面倒くさがり屋で、虚栄心、恐怖心を持っているため、自分の修煉体験を同修と分かち合うことができませんでした。明慧ネットで同修たちの交流文章を読んで、自分の修煉体験を書くことは、修煉を向上させるチャンスだと気づきました。今日、私は法輪大法を修煉してからの変化を書いて同修と交流したいと思います。
大法の真実を知って恩恵を受ける
私の母は1999年以前に大法を修め始めた大法弟子です。私が大法と出会ったのは、母を通してでした。母が大法を修煉した後の変化から、私は法輪大法の素晴らしさを知っており、江沢民があらゆるメディアを利用して法輪大法を誹謗中傷していることに惑わされず、法輪大法が迫害され、冤罪を被られたとわかっていました。
私が小学生の時、母は不当に一年間の懲役を言い渡されました。祖母が家で片付けをしていた時、『轉法輪』を見つけたので、私はそっと隠し、心の中で『轉法輪』に向かってこう言いました。「お母さんは、家に帰ってからも、また法を学び、功法を煉ることができます 」。その夜、私は夢をみました。黒い服を着ている集団に追いかけられ、小便をかけられました。しばらくして、師父が現れると、黒い服を着た人たちは消え去りました。それから星が遠い空に飛んでいき、だんだん遠くなり、消えていきました。
その夢を見て目が覚めると、なぜかとてもいい気持ちになっていました。
学生時代は勉強にプレッシャーを感じることもなく、ただ流れに身を任せて日々の授業をこなし、成績は常にクラスの1桁以内だったにもかかわらず、淡々としていました。高校卒業後、大学に進学し、大学卒業後に大学院に進み、大学院卒業後、給料の良い会社に就職しました。
その時はまだ正式に、大法を修めていたわけではなかったのですが、なぜ、このような順調な人生が歩めたのかわかりませんでした。それは大法が私の知恵の一部を開き、恩恵を受けることができたと、私は後で知ることができたのです。
禍転じて福と為す 正式に大法の修煉の道へ
2021年、母は何者かに通報され、留置場に15日間不当に拘束されました。私はほかの地方で仕事をしており、常人である家族は、私が母親のことを心配するだろうと思って、私に母の拘禁のことを教えてくれませんでした。私が母の不当拘禁を知ったのは、母が連行されてから1週間経った後でした。
以前から、法輪大法が良いものだと私は知っていましたし、『轉法輪』も時々読んでいましたが、様々な妨害があったため、正式に大法の修煉に入っていませんでした。
母が拘禁されていることを知ったとき、私はとても怖くて、どうしていいかわかりませんでした。母の安否を心配しながら、大法の本の中の師父の写真を見て、涙を流しながら「師父、どうか母が留置場から出られるように、母の正念を加持するようお願いします!」と言いました。
私は明慧ネットにメッセージを送り、母への邪悪な迫害の事実を伝え、大法弟子たちのように、母に対する迫害を取り除くために正念を発し始めました。
『轉法輪』を読んでいたので、法輪大法は宇宙の大法であり、人の一生は大法のためにあることを知っていました。母の拘禁のことを知った後、私は頭の中で「私は法輪大法を修煉したい。この万古の機縁を掴まなければならない! もう常人のことに引きずられ、大法を修煉する機会を失うことはできない!」と考えました。
母が留置場から解放された日、私は母を迎えに行き、家に連れて帰り、修煉を頑張るように励ましました。私も法輪大法を修煉したいと強く思いました。そして、慈悲深く偉大な師父は、私の法輪大法の修煉を邪魔する邪悪な要素を取り除いてくださいました。師父の按排の下で禍から福となり、私は正式に大法の修煉に入り、大法弟子になりました。
大法の修煉で母への怨恨を無くした
私の家は母子家庭で、母が一人で私を育ててくれました。母が大法を修煉し続けることを、中国共産党当局の嘘の宣伝に騙された親戚に反対されました。私がまだ幼いころ、母は不当に刑務所に入れられたことがありました。その一年間、私は祖母と一緒に辛い日々を過ごしました。そのため、「母が大法を修煉しているために、私は中国共産党当局の恐怖と圧力の中で過ごすことになった。母が私の気持ちを無視し、私に無関心だ」という強い恨みを持ちました。私は劣等感、神経質、悲観、怨恨など、マイナスな感情が出てきました。それから、私は自分の悲しみを表現することができず、自分の殻に閉じこもってしまいました。
歳を重ねるにつれ、私はしばしば幼いころに経験したことを抑えきれずに思い出し、涙を流していました。どう表現していいか分からず、どう解決していいか分からず、とても苦しかったのです。
恨みにとらわれた私は、自分の苦しみは母のせいだと決めつけていましたが、理性的な一面から、母が大法を修め、真・善・忍に従って行動することは、私にとって悪いことではないとも思いました。葛藤する私は、大いに苦しみました。
しかし、大法を修煉してからは「修煉者の基準に従い、恐怖心を無くし、母に対する恨みを取り除き、旧勢力の迫害と按排を否定すべきだ」と悟りました。そこで私は心を開き、真・善・忍の基準に従って母と交流し、大法を基準として心性を高めようとしました。
怨恨を取り除く過程は大変でした。私は、大法の本を読み、功法を煉り、発正念する時、強い恨みが私を著しく妨げました。そのため、なかなか落ち着きませんでした。私と母の間の些細なことを思い出すと、恨みの心、嫉妬心、迫害への恐れなどをかき立てることがよくありました。 私が法を勉強し続けると、師父は私と母の恨みの根源を取り除くのを助けてくださり、私の強い恨みは次第に解消されていきました。それができたのは、私と母が修煉の道を歩んでいるからです。
より多く法を学び 急いで衆生を救う
この3年間、私は実家から離れた地方で「独修」の状態です。法を学ぶことが少なく、煉功することも少なく、正念を発することに集中せず、自分に厳しく要求しませんでした。
仕事が終わるとケータイをいじり、恋愛小説を読み、享楽を追い求め、怠惰、大食などの悪癖になりました。これはいけないことだと分かっていたのですが、精進していない自分のことにも不安を感じていました。恐怖心、怠惰、利益心、苦を嘗めたくないなどの人心で、私は外に出て大法の真相を伝えることができませんでした。時間が緊迫している中、人々を救うために急ぐべきこともわかっていましたが、常人の中に溺れ、正念が足りず、ネガティブで気力が湧きませんでした。
この修煉体験を書いている今、私はまだ自分の虚栄心を覆い隠そうとしていることもわかっています。私は自分に問いました。「精進しないことで、同修は私を嘲笑するだろうか? 私の執着心で、師父は私を救うのを諦められるのではないか?」、「それはありません」と答えは明らかです。私の心配はすべて、虚栄心、顕示心、惰性からきています。修煉とは、あらゆる執着心を取り除くことではないのですか? それなら、自分の修煉の不足を探し出し、師父と大法を信じ、マイナスな考えと要素を取り除き、あらゆる執着心も取り除くべきです。修煉者は「三つのこと」をやり遂げ、師が法を正すことを手伝い、師父について前進しなければなりません。「正々堂々と法を正す時期の大法弟子になりたい」と私は思っています。
以上は、私の最近の修煉体験です。同修の慈悲なる指摘をお願いします。
合掌