9月、法輪功学習者18人が迫害され死亡、57人の不当判決が判明
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 【明慧日本2024年10月11日】(中国=明慧記者)明慧ネットの統計によると2024年9月、中国国内の法輪功学習者(以下、学習者)18人が迫害により死亡、または少なくとも57人の学習者が中国共産党(以下、中共)の裁判所により不当な判決を宣告されたことが判明した。平均年齢は63歳(年齢不詳を除く)。不当な判決が最も深刻な地域は、河北省と遼寧省7人、黒竜江省6人、山東省と北京市5人となっており、最長刑期は13年であった。

2024年9月、不当な判決を宣告された57人の地域別人数

2024年9月、不当な判決を宣告された57人の刑期における人数分布

 一、不当な判決を宣告された実例

 1、吉林省農安県の学習者3人に10年以上の重刑を宣告

 吉林省長春市農安県の学習者・蘇秀福さん、徐亜芬さん、尹桂英さんの3人は、2022年8月に警官に連行・拘禁されて以来、外部との連絡が取れなくなっていた。最近、3人の学習者が徳恵市裁判所で不当な判決を言い渡されたことが判明した。蘇秀福さんは懲役13年の実刑判決を宣告された。徐亜芬さんと尹桂英さんは、それぞれ懲役12年の実刑判決を宣告され、8月14日に吉林省女子刑務所に拘禁された。

 蘇秀福さんは、かつて農安県合隆鎮供電所の正職員だったが、真・善・忍の信念を堅持し続けたとして、中共の関係者による嫌がらせ、連行、拘禁などの迫害を受け、職場からも解雇された。農安県合隆鎮在住の徐亜芬さんも、真・善・忍の信念を貫いたとして、中共により度重なる連行、拘禁による迫害を受けてきた。

 2022年8月24日正午、3人の学習者は農安県合隆鎮の鑫海明珠住宅地で、長春市公安局、農安県公安局および合隆派出所の警官らにより連行された。連行された際に、2箱分の私有物が押収され、警官らは半年前から3人を尾行していたという。

 弁護士と家族は長春市司法局に行ったが、自分たち部署の管轄下の案件ではないと言われた。そして農安県国内安全保衞部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)を訪ねたが、事件担当が不在のため対応できないと言い、最後に「徳恵裁判所が直接関わっているので、そっちに行った方がいいかもしれない」と言われたため、弁護士と担当者の面会が難航した。

 最近、蘇秀福さん、徐亜芬さん、尹桂英さんが徳恵市裁判所から重刑を宣告されたことが分かった。情報筋によると、連行事件の首謀者は合隆派出所で、長春市公安局と農安県公安局が上層部として徳恵市検察庁や裁判所と結託して、この事件をいわゆる「重大事件」に仕立て上げ、その結果、3人の学習者に重刑を下したという。今のところ、判決通知はまだ家族の手元に届いていない。

 2、湖北省の程連連さんに懲役8年の不当判決

 湖北省黄岡市の学習者・程連連さん(51)は、法輪功の資料を配布したとして、2021年8月21日に紅安県公安局八里湾派出所の警官により不当に連行された。今年9月中旬、程さんは懲役8年の実刑判決を宣告され、1万元の罰金を科せられたことが明らかになった。

 程さんは、かつては湖北省東風自動車会社襄陽基地の女性警官だった。幼いから裕福な家庭に育ち、両親から甘やかされたため、わがままで人を見下す性格になり、両親にも良い態度ではなかった。警官になった後も、表向きは少し収まったものの、悪い性格は残っていて、人間関係がうまくいかなかった。

 その後、程さんは友人である王珏さんと出会った。王珏さんは法輪功の李洪志先生の講習会に参加したことがあり、帰ってから襄陽で法輪功を広め、襄陽地区のボランティア指導員になった。1998年3月、王珏さんは程さんに『法輪功』の本をプレゼントした。程さんは一気に読み、法輪功の真・善・忍の基準に照らし合わせ、自分の過去の行いを恥じ、もうこれまでのように自分勝手で横暴ではいけない、真・善・忍の基準に従って生きるべきだと感じた。これを機に、程さんは法輪功の修煉の道を歩み始めた。

 程さんの心身はすぐに大きく変わり、両親に対して孝行し、人にも優しくなり、もう人を騙したりいじめたりすることはなくなった。以前悩まされていた偏頭痛も治った。その後、程さんと王珏さんは結婚し、二人は互いに敬い合い、やがて息子が生まれ、幸せな家庭を築いた。

 中共による法輪功への迫害が始まった後、程さんは何度も連行され、家宅捜索を受け、仕事を失った。放浪していた息子が交通事故で亡くなり、夫は長期にわたる迫害の結果、精神を病み、身内にも影響を及ぼした。

 2021年8月21日の夜10時ごろ、程さんと学習者の張桂英さんは八里湾鎮の団地で法輪功の資料を配布していたところ、政府の宣伝に騙された人に通報されたため、紅安県公安局八里湾派出所の警官に連行された。

 翌日、警官は程さんと張桂英さんの家に行き、家宅捜索を行った。程さんの家から法輪功の書籍、資料、プリンター、ノートパソコン、USBメモリー、印刷用紙などを押収した。張桂英さんの家からも、法輪功の書籍、明慧冊子などを押収した。

 張桂英さんは派出所に2日間拘束された後、釈放されたが、2日後に再び連行された。数日後、警官は張桂英さんの携帯電話の通信履歴を調べて、学習者の盧紅芳さんと武素華さんを連行し、黄岡市留置場に拘禁した。

 2022年6月末、張桂英さんは健康上の問題で保釈され、武素華さんも一年以上不当に拘禁された後、2022年11月に保釈された。程さんと盧紅芳さんは、家族との面会を許されず、連絡も禁止されていた。

 2024年9月中旬、程さんは懲役8年の実刑判決と罰金1万元、盧紅芳さんは懲役4年と罰金5000元、武素華さんは懲役3年(執行猶予4年)と罰金2000元、張桂英さんは懲役2年(執行猶予3年)と罰金2000元を言い渡されたことが分かった。

 3、瀋陽市の関成林さんに懲役7年6カ月の不当判決

 瀋陽市法庫県に在住の学習者・関成林さん(70)は、携帯アプリ「快手」を通じて法輪功に関する動画を転送したとして、県公安局国保の警官により連行された。今年7月30日に不当な裁判にかけられ、8月22日には新民市の裁判所から懲役7年6カ月の不当判決を受け、2万元(約40万円)の罰金を科された。関さんは控訴した。

'关成林'

関成林さん

 関さんは1997年に法輪功を学び始めた。当初は試しで学び始めたが、実践すると以前抱えていた病気がすべて治り、心身共に大きな変化を感じた。1999年に中共が法輪功を迫害し始めた後も、関さんは信念を守り続けたため、法庫県公安局により洗脳班に連行され、いわゆる「転向学習」を強制され、3カ月にわたり拘禁された。

 2023年8月29日、関さんは法庫県公安局秀水河派出所の警官により連行・尋問され、法庫県留置場に拘禁された。これに先立ち、7月24日、瀋陽市公安局瀋河支局は、学習者・宋洪漫さんを罪に陥れようとして、陝西省咸陽市公安局に協力を求め、ティックトックや快手などのアプリにある法輪功関連の音声や動画を調べた。その中で、関さんの快手IDの登録情報、再生回数リスト、および音声・動画資料が発見された。

 1カ月後の9月28日、関さんは解放されたが、引き続き不当に居住監視下に置かれていた。

 今年3月27日、法庫県公安局は関さんの案件を遼寧省新民市検察庁に移送した。6月3日、新民市検察庁は関さんを起訴した。そして7月10日、関さんは自宅で再び連行され、新民市留置場に拘禁された。

 8月22日、関さんは新民市裁判所により懲役7年6カ月の不当判決を宣告され、2万元の罰金を科された。現在、関さんは控訴中である。

 二、学習者18人が迫害され死亡

名前 性别 年齢 省、直轄市 区県 職務 死亡時間
劉淑和 81 山東省 煙台市 牟平区 政府部門幹部 2022/旧暦12/22
朱春秀 74 湖南省 岳陽市   会計士 2024/5/10
王淑華 68 山東省 泰安市   退職者 2024/8/14
田玉春 75 吉林省 長春市     2024/7/24
湯永琪 73 湖南省 岳陽市     2024/5/14
楊来小 64 北京市   延慶区   2023/4/15
劉冬仙 72 湖南省 常德市 桃源県 医師 2024/5
孫志剛 61 北京市   延慶区   2024/2/28
王素霞 58 北京市   延慶区   2021/8/28
楊慧荣 83 河北省 廊坊市 三河市 教師 2024/9/4
陳麗華 71 黒竜江省 大慶市   退職者 2023/10/7
鄧秀英 80歳近く 河北省 邯鄲市     2024/3/10
侯発勇 69 雲南省 楚雄州   個人経営 2024/8/10
施良玉 80 湖北省 荆州市   退職者 2024/8/6
唐兆玲 64 山東省   沂水県   2024/6/27
徐さん 75歳前後 吉林省 公主嶺     2024/9月初
王清香 60 湖南省 益陽市 沅江市   2024/9/24
薛彩萍 40歳過ぎ 山東省 煙台市      

 実例1、湖南省の女性医師・劉冬仙さん 十数年間迫害された末死亡

 湖南省常徳市の学習者・劉冬仙さんは、不当に1年9カ月の労働教養を受け、3回の不当な判決で計16年の実刑を科された。そのうち、2016年12月に連行されて懲役9年の実刑判決が言い渡され、湖南省長沙女子留置場で激しい迫害を受けた。劉さんは最後までいわゆる「転向」を拒否し、2024年5月頃に留置場から自宅に戻されたが、数日後に亡くなった。享年72歳。

 劉さんは、2015年に江沢民を告発する訴状の中で次のように述べていた。「1999年7月20日の迫害が始まって以来、私が受けた迫害はあまりにも多く、すべてを思い出すことはできません」

 劉さんは湖南省桃源県赤十字病院の内科主任医師だった。1999年4月に法輪功の修煉を始めてから短期間で、胆のう炎、胃病、心臓病、痔疾、腰痛、メニエール病などの病気がすべて消え、健康を取り戻した。彼女は真・善・忍の原則に従って良い人になろうと努め、桃源県赤十字病院では評判の良い医師として認められていた。

 1999年7月、中共が法輪功を迫害し始めてから、劉さんは何度も連行され、1度の労働教養、3回の実刑判決、洗脳班での2回の拘禁、1回の軟禁などの迫害を受けた。長期間監視され、電話は盗聴され、行動も監視され、外出時に尾行された。また、医師資格と処方箋の権利を剥奪され、医師の職を解かれ、漢方薬の倉庫で雑用をさせられた。給与やボーナスも停止され、月にわずか300元の生活費しか支給されなかった。

 2001年1月16日、劉さんは麻薬中毒患者治療所で5日間拘束された。2001年1月22日には再び北京に陳情に行き、市内の海淀区留置場で警官に頭を鈍器で殴られ、2人の警官に同時にスタンガンで5時間にわたり電気ショックを加えられた。警官らは劉さんの身体に椅子を押し付け、全身を殴りながら電気ショックを加えスタンガンが電池切れになるまで続けた。

 その後、劉さんは1年9カ月の労働教養を強いられ、株洲市の白馬壠労働教養所で残酷な拷問を受けた。そこで長時間、小さな腰掛けに座らされたり、立たされたり、手錠をかけられたり、物干し竿に吊るされたりした。気絶するまで手錠を緩められることはなかった。強制的に灌食され、窒息しそうになっても止めることはなかった。長期間の断食で胃から出血し、止血剤を使った後に血圧が急上昇し、300mmHgに達し、激しい頭痛やめまい、吐き気に苦しんでいた。通常なら血圧を下げる薬が使われるはずだが、労働教養所では毎日逆に血圧を上げる薬を投与された。

 2006年8月28日午後3時頃、桃源県610弁公室および国家安全局の関係者らが劉さんの家に押し入り、彼女を桃源県留置場に連行した。劉さんは断食して抗議したが、警官に暴力的に灌食され、血を吐いた。

 2007年2月10日、劉さんは留置場で2回目の断食を行い、100日以上続いた。毎日、警官に強制灌食をされ、劉さんはやつれてしまい、体重は約65kgから約30~35kgに激減し、生命の危険に晒された。それでも警官は彼女を釈放せず、2007年4月3日に桃源県で不当な裁判が行われ、劉さんに懲役3年の実刑判決を言い渡した。

 劉さんは江沢民を告訴する訴状の中で次のように述べた。「湖南省女子刑務所で、私に法輪功をやめさせるため、彼らはあらゆる拷問を使いました。警官は最も凶悪な受刑者を私に付きまとわせ、長時間にわたり立たせられたり、しゃがませられたり、両手を後ろ手に縛られて5日間も立たされ続けました。マイナス5℃の気温の中で、全身の服を脱がされ、窓を開けて強風に15分間さらされました。7日間トイレに行くことを許さず、胸部以下がすべて尿で濡れてもそのままで、床に尿が漏れると、それを舐めることを強要されました。排泄も服の中で行わなければならず、建物全体が悪臭で充満しました。飲食も排泄もすべて同じ部屋で行われました。この迫害を受けた結果、私の両手は完全に機能しなくなり、黒ずんで壊死し、身の回りのことができなくなりました。それでも夜間のペナルティが続き、両足が大きく腫れ上がり、靴を履けなくなり、皮膚が剥がれ落ちました。毎日、わずか30分から1時間しか眠らせてもらえず、睡眠不足のため頻繁に倒れてしまいました。受刑者から『法輪功をやめるか死ぬか、この二つの選択肢しかない。法輪功をやめないなら、俺の減刑に影響してしまい、出所したらお前の二人の息子を殺すぞ』と脅迫されました」

 2011年4月19日午後5時過ぎ、劉さんは桃源県の歩行者天国で法輪功迫害の実態を伝えていたところ、再び連行された。そして6月9日に桃源県裁判所で裁判が開かれ、2011年8月、劉さんは懲役4年の実刑判決を宣告された。

 2016年12月、劉さん、方杏枝さん、劉麗輝さん、曾明清さんの4人は、中共の虚言に騙された人たちに法輪功の素晴らしさを伝えたが、その結果、4人は次々に連行された。2018年3月13日、桃源県裁判所は劉さんと方杏枝さんにそれぞれ9年の実刑判決を言い渡した。2人は不服として直ちに控訴した。劉麗輝さんには7年の実刑判決と3万元の罰金が科され、曾明清さんには5年の実刑判決と2万5千元の罰金が科された。劉さんは、長沙女子刑務所に拘禁され、厳しい迫害を受けた。

 2024年5月頃、劉さんは刑務所から自宅に戻されたが、わずか数日後に冤罪を抱えたまま亡くなった。

 実例2、吉林省長春市の田玉春さん 迫害され死亡

 吉林省長春市の学習者・田玉春さん(75)は4月18日、長春市二道区金銭堡派出所に不当に家宅捜索され、連行された。そして、長春第一留置場で拘禁された。7月24日、田さんは迫害によって死亡した。その後、朝陽区裁判所の裁判官は、「田玉春に懲役3年の判決を下そうとするところだった」と言った。

 拘禁される前、田さんには高血圧と硝子体剥離が見つかり、ほとんど目が見えず、身の回りのことができない状態だった。しかし、金錢堡派出所の荘警官は、「留置場が引き取るということは、大丈夫だということだ! ネットで公開しても無駄だし、お前たちのウェブサイトも私たちは見ることができる」と言いふらしていた。

 6月20日まで、留置場の人員は家族に、「彼に腸閉塞が見つかったが、面会はできない、病院での治療も受けてはならない」と告げた。8日後にまた、総胆管癌が見つかったので、すぐに迎えに来るようにと言ってきた。7月3日にようやく手続きが完了し、田さんが釈放されたが、すでに歩けないほど衰弱した。

 田さん自身の証言によると、最初は第5区に拘禁され、毎日板に座らされ、一週間もたたないうちに、臀部から出血し、その後、分厚いタコができた。しかも6月20日に検査を行われず、早くも1カ月前の5月には刑務所病院に送られていた。一日中ベッドの上で手錠と足かせをかけられ、服を着てはならなかった(ズボンと下着のみ)。ひいては食べ物も飲み物も与えられず、毎日注射を打たれるだけで、(何の薬かも教えられず)、周囲には3人の警察官が監視していた。

中共酷刑示意图:铐在床上

拷問のイメージ図:ベッドに縛り付けられる

 中国東北部の5月初めはまだ寒く、上半身裸の田さんは、何度も看護士や警官に服を支給してくれるように懇願したが、無視されていた。さらに、留置場の警官は、家族に訴えられないよう、病院に送られてまだ間もないと嘘をついていた。その結果、1カ月半の大切な治療期間を逃し、田さんは釈放されてから21日後に死亡した。

 田さんは、1997年春に『轉法輪』という本を読み、その奥深い法理に深く感銘を受けた。人は自分のために生きているのではなく、返本帰真するためであることや、何事につけても他人のことを優先に考え、徳を重んじ善行を為すこと、真・善・忍の基準に基づいて良い人を目指すべきであることが分かった。以前は、心臓病、腎炎を患っていたが、法輪功を学んだあと、すぐに良くなり、それからはタバコやお酒に触れることはなくなった。

 1999年7月、中共の指導者である江沢民はその権力を利用して法輪功に対する全面的な弾圧と迫害を開始した。田さんは何度も拘束され、迫害された。2002年3月11日、田さんは尾行していた警官により南街派出所に連行され、1年間労働教養を強いられ、朝陽溝労働教養所に拘禁された。労働教養所に入ってすぐ集中的に7日間拷問を受けた。毎日、朝5時に起床してから、食事の時間を除き、夜10時まで小さなプラスチックの椅子に座らされた。その上、少しでも動けば叩かれる。これが1週間続き、臀部は腐った。 

 集中的な拷問の後、田さんは第四班に入れられた。入った直後、班長と受刑者の2人に、鉄ベッドのはしごの間に頭を入れられ、手を後ろに回され、受刑者に木の棒で臀部をひどく殴られながら、「まだ法輪功をやるのか」と言われた。長期間の拘束により、田さんの体には疥癬ができ、膿が流れ、耐えがたい痒みがあった。毎日、茹でたキャベツととうもろこし(飼料用)の蒸しパンを食べていた。

 2024年4月18日、田さんは警官により連行された時、警官は家族に「5月1日前に、上から逮捕の目標人数が決められたので、記録を取りに行くだけでいい」と、連行する理由を教えてくれた。しかし、入所の条件を満たしていないにもかかわらず、田さんは葦子溝留置場に収監された。

 7月24日に田さんが亡くなった後、朝陽区裁判所の裁判官は、また懲役3年の判決を下そうとしている。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/6/483628.html)
 
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