【明慧日本2024年10月16日】(四川省=明慧記者)四川省攀枝花(はんしか)市の法輪功学習者(以下、学習者)・姚佳秀さん(57)は9月20日、瀘州市公安局江陽支局の警官により借家から不当に連行され、瀘州市留置場に拘束された。そして9月29日、四川省西昌市に移送され、秘密裏の場所に拘禁された。これまで、姚さんは西昌市公安局にネット上で指名手配され、放浪生活を余儀なくされていた。
姚さんは法輪功を学んでから人生が一変した。「1995年10月以前、私は9種類の病気を患い、生死の境をさまよい、人生の将来に不安を感じていました。同時に、私は短気でわがままで心が狭く、家族への配慮が足りませんでした。夫とよく喧嘩し、離婚の話をよく口にしていました。法輪功を修煉し始めてから、体と心は大きく変わりました。身体は健康になり、心も広く優しくなって、誰に対しても親切に接するようになりました。家族や友人、近所の人や知人は皆、私の心身が変化したことに驚いており、皆『良い人になりましたね』と褒めてくれ、私の人生は充実して楽しくなりました。私を変えたのは、李洪志先生の法輪大法です」と姚さんは語ったことがある。
中国共産党(以下、中共)による法輪功への残酷な迫害中、姚さんは何度も連行され、二度不当な判決(懲役3年と9年)を言い渡され、留置場、精神病院、刑務所で拷問を受けた。
以下は、姚さんが受けた迫害事実の一部である。
法輪功の無実を訴え、3回拘束される
1999年7月20日、中共による法輪功への残酷な迫害が始まった。1999年10月15日、姚さんは法輪功の無実を訴えるために北京に行った後、地元に連れ戻されて10日間拘束された。11月8日に再び北京に行ったが、連行され、攀枝花市に連れ戻され15日間拘束された。
同年12月23日、姚さんは夫とともに攀枝花市政府へ行き平和的陳情を行ったが、市公安局国内安全保衞部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官に連行され、攀枝花市留置場で1カ月間拘禁された。姚さんの夫は13日間拘束された。
攀枝花市留置場で受けた拷問:激しい殴打、手錠と足枷、灌食
2000年7月16日午後、姚さんは攀枝花市公安局仁和支局および五十一派出所の警官らに連行され、尋問された後、攀枝花市留置場に拘禁された。
2000年7月25日、姚さんは留置場で煉功を続けたとして、警官の胡小川らにひどく殴られた。また、学習者・羅援朝さんと侯勤英さんと一緒に、計38キロの重さの二組の足かせで繋がれ、両手にも繋がるように手錠をかけられた。その日の午後2時頃、警官は姚さんの3人に重い足かせを引きずるように留置場の庭を歩かせ、炎天下にさらすことを強要した。姚さんの右足は足かせによって3カ所擦り傷ができ、出血し、羅援朝さんの左足首も出血した。
2000年7月26日、胡小川らは、8人の男性受刑者と女性受刑者の孫平に、姚さん、羅援朝さん、侯勤英さん(3人は手錠と足錠で繋がれたまま)に対して灌食を行うよう指示した。男性受刑者は3人を地面に押さえつけ、孫平は姚さんの腹部に膝をつき、手で鼻をつまみ、大量の塩分を含む灰色の糊状のものを口に流し込んだ。孫平はドライバーで羅援朝さんの口をこじ開けた瞬間、すぐに下の前歯2本が折れた。午後、3人は別々に手錠と足かせをかけられた。姚さんは19キロの足かせをかけられ、両手とつながれたため、立ち上がることも背筋を伸ばすこともできず、しゃがんでゆっくり足かせを引きずって移動することしかできなかった。
2001年6月7日、姚さんは攀枝花市仁和区裁判所により懲役3年の実刑判決を言い渡された。7月下旬、姚さんは控訴の準備をしていたため、留置場の当直警官に10回以上平手打ちをされた。
四川省女子刑務所で殴打、背中に手錠をかけ、吊し上げ、睡眠剥奪による拷問
懲役3年の実刑判決を言い渡された姚さんは2001年8月13日、四川省簡陽市養馬河鎮にある四川省女子刑務所に拘禁された。
四川女子刑務所で、姚さんは囚人服の着用を拒否したとして、警官の指示を受けた7、8人の受刑者にひどく殴られ、両手を後ろに回され鉄の扉に手錠をかけられた。約2時間後、姚さんは耐え難い痛みと呼吸困難に陥ったため、いったん外された。しばらくして、再び後ろ手に手錠をかけられ、一晩中鉄の扉に繋がれたままだった。
2002年8月、四川省女子刑務所7区の洗脳班で、警官らは学習者に法輪功をやめさせようとし、炎天下での体罰、吊し上げ、睡眠剥奪、「蘇秦の剣」などの拷問を行った。
2003年7月15日、姚さんは3年間の冤罪を終えて、帰宅した。
絶え間ない嫌がらせとやむを得ない放浪生活
姚さんが刑務所から帰宅した後、攀枝花市公安局仁和支局、五十一派出所、および住民委員会の関係者は、度々自宅にやって来て嫌がらせを働いた。時には1日に3回も嫌がらせ受け、姚さんの両親、子供、夫を恐怖と不安に苦しめた。家族を巻き込まないために、姚さんは家を離れ、放浪生活を余儀なくされた。
攀枝花公安局国保による拷問:吊し上げ、滅多打ち
2005年11月24日午後1時ごろ、攀枝花市公安局国保の警官らは市西区の清香坪広場から、姚さん、李代珍さん、肖会再さん、遊元章さんの4人の学習者を連行した。当日の夜、4人は攀枝花市留置場に拘禁された。2006年1月5日午前9時ごろ、攀枝花市国保の警官らは、姚さんの頭に黒いカバーを被せて、姚さんを市留置場から塩辺県にある金谷ホテルの最上階に連行し、そこで自白を強要した。
警官らは、姚さんの両手を窓に手錠で固定し、つま先を地面に向けた。また、帯で姚さんの顔を殴り、罵りながら姚さんの足元に法輪功創始者の写真を置き、ズボンのウエスト部分と上着の襟元にも一枚ずつ写真を差し込み、法輪功の先生を誹謗中傷し、侮辱した。
吊し上げられ耐え難い痛みの中、警官は手錠の高さを上げ続け、姚さんはつま先を地面から離してしまった。このような極めて苦痛な状態の中、警官はあらかじめ作成した書類を取り出し、姚さんの手を引っ張ってサインをさせ、指紋を押させた。
2日後、留置場に戻された姚さんは2006年1月7日から1月28日までの22日間、断食して自白の強要に抗議し続けた。そのため、何度もベッドに縛り付けられ、強制的に灌食された。
2006年6月下旬、姚さんは攀枝花市東区裁判所から懲役9年の実刑判決を言い渡された。その後、刑務所外での執行と宣告されたため、姚さんは10日後に帰宅した。
攀枝花市精神病院での薬物による迫害
2007年8月下旬、攀枝花市仁和区610弁公室ら部門の圧力を受けた姚さんの夫は、姚さんを攀枝花市精神病院に強制入院させた。入院当日、610弁公室は病院の指導者に「許可しない限り姚佳秀を退院させてはいけない」と圧力をかけた。姚さんは数人に無理やり縛られ、中枢神経を破壊する薬物を注射されたことによって、めまい、全身の脱力感、頭が上がらないなどの症状が現れた。4カ月後、姚さんは精神病院から帰宅した。
拷問のイメージ図:中枢神経を破壊する薬物を注射される |
成都女子刑務所で受けた拷問:針刺し、殴打、窒息、手錠吊り、電気ショック
2008年7月14日、姚さんは警官により自宅から留置場まで連行され、7月17日には成都女子刑務所に拘禁された。
2008年8月、姚さんが煉功をしていたとき、警官は受刑者に、姚さんの手足を針で刺す、胸を殴る、洗面器頭から水をかけるなどの拷問をするよう指示した。姚さんが引き続き煉功をしているのを見て、竹の棒で姚さんの手を叩いて腫れ上がらせた。
2008年12月初旬、警官は受刑者らに姚さんの服を剥ぎ取り、服に囚人マーキングするよう指示した。受刑者は姚さんの首を締め付け、窒息しそうになるときに放し、繰り返した。また、姚さんの頭を地面に押さえつけ、無理やり髪を切った。
2009年6月下旬、姚さんは煉功(気功の動作)をしたとして、警官に両手を背中に手錠をかけられ、3日後には両手を胸の前に手錠をかけられた。姚さんが「法輪大法は素晴らしい」と叫んだ時、警官は受刑者に指示して、姚さんの口を汚れたタオルで覆い、「殺すぞ」と言いながら、姚さんの頭をつかんで壁にぶつけさせた。姚さんは意識を失った。
拷問のイメージ図:頭をつかんで壁にぶつける |
2011年9月のある日、姚さんが座禅をしていた時、警官はスタンガンで姚さんの腕に3回連続で電気ショックを与えた。その後、数人の受刑者は姚さんをバルコニーに引きずり出し、手錠で吊るし、約2時間太陽の下に晒した。その後、姚さんは8日間も手錠をかけられたまま吊し上げられた。
2014年2月23日、姚さんは成都女子刑務所から解放され、帰宅した。
再び連行される
姚さんは放浪生活を余儀なくされた後、西昌市公安局により指名手配された。2019年8月、姚さんの2人の息子は、西昌市と成都市で相次いで警官に連行され、母親の居場所を聞かされた。
今年9月20日、姚さんは瀘州市公安局江陽支局の警官により借家から連行され、家宅捜索を受けた。そして9月29日、四川省西昌市に移送され、秘密場所に拘禁された。