文/ドイツの大法弟子
【明慧日本2024年10月18日】私は19年前に法輪大法の修煉を始めました。当時私は27歳でした。この間、多くの困難を経験し、教訓を得て法理を理解することができました。そして、法輪大法の修煉の道を歩み続けることができました。今日は、最近乗り越えた2回の病業の試練についてお伝えしたいと思います。この2回の病業の試練は、実際には私が師父と法を信じるかどうかの試練でした。
一、診断:がんの可能性
私の身体には子宮内避妊器具があり、昨年それを病院で取り出しました。検査の過程で、医師は私の腹部に多くの腫瘍があることを発見しました。医師の経験によると、これらの腫瘍はがんに発展する可能性があるため、さらなる検査と化学療法を勧められました。初めはそれに同意し、検査の予約もしました。診療所を出た後、私は検査結果に愕然とし、まだ明確な診断が出ていないものの、自分が癌にかかったかもしれないということでどうしたらよいか分からなくなりました。
その時、私は自分の修煉に隙があることに気づき、修煉を見直し、自己の向上を図る必要があると感じました。私は内に向かって探し、自分の行動を振り返り、どこが間違っているのかを見つけようとしました。私にとって、一番辛いことは一人で家にいることでした。思想業力が非常に強かったからです。一人でいると、常に「もうすぐ死ぬのではないか」と考えてしまいました。この思想業力はあまりにも強力で、正念を持って考えることもできませんでした。そうして3日が過ぎました。
その後、私はひとりの同修に自分の状況を話しました。その同修は医師の診断を聞いて驚き、私に病院に行くよう勧めました。私はこの状況に自分で立ち向かわなければならないことに気づきました。師父の要求に厳格に従うことでしか、困難を乗り越えられないと理解しました。
3日後、私は少し落ち着き、医師に電話をかけて予約をキャンセルしました。なぜなら、師父以外に助けてくれる人はおらず、薬も役に立たないことを知っていたからです。
師父は、「修煉の事と言うなら 心の中の執着を取り除くべし 切り捨てることは本当の自己には非ず それらすべて迷い中の痴」(『洪吟二』「執着を取り除く」)と説かれています。内に向かって探し始めたとき、私は以下の執着心を見つけました。
2年前、私は研修を受け始めました。まだ大学で学んでいて収入がなかったとき、家庭の問題が始まりました。一連の非難が私を襲いました。また、学校と会社が遠く、私は勉強を優先し、大法からどんどん遠ざかっていました。家に帰ると疲れていて、ほとんど学法をせず、煉功せず、正念を発することも怠っていました。時間が経つにつれて、私は常人の状態に陥り、傲慢で辛辣な人間になってしまいました。私は陰で他人の悪口を言い、機知を使って他人を侮辱しました。私は非常に傲慢で自己中心的な人間となり、多くの人を傷つけました。自分のこの一面を見たとき、私は恥ずかしくなり、もっと良くしようと決心しました。これらを皆に話すべきだと知っていましたが、恥ずかしくて、メンツを失うのが怖かったです。人に嘲笑され、批判されることで、私の状況がさらに悪化するのではないかと感じました。
師父の手配により、学法グループの同修たちにようやくこれらのことを伝えることができました。それは学法が終わった後の修煉体験を交流する時間でした。ある同修が自分の状況について比較的表面的に話していました。そのとき私は非常に腹が立ちました。なぜなら、その同修が自分のメンツを守ろうとしているのが見えたからです。彼は当時、私にとって自分の鏡でした。そこで、私は自分を妨げている羞恥心と思想業力を突き破り、皆に自分の経験を話すことを決心しました。話している間、私は一言一言が非常に苦しかったです。背中が冷たくなり、汗をかきました。羞恥心やメンツを失うことへの恐れを克服するのは非常に難しかったです。しかし、この交流は私たちのグループにとって重要でした。なぜなら、私だけでなく、他の同修たちもメンツを気にして、自分の過ちを口に出すのをためらっていたからです。
その夜、私の話が終わった後、汚いものがすぐに私の体から離れ、体が軽くなりました。最終的に、誰も私を嘲笑せず、むしろ私の状況を心配してくれました。この羞恥心は、旧勢力が私をグループから切り離そうとする計画であり、私はこの手配を打ち破る必要があったと気づきました。
落ち着いた後、私は再び毎日、功を煉り、法を学び、正念を発しました。私は内に向かって探し続け、自分を正しく変えました。時折腹痛がありましたが、それは私にさらなる努力が必要で、根本的な執着をまだ見つけていないことを示すサインでした。
二、生と死の試練
その後、状況は一時的に改善されたように見えました。しかし、私はまだ執着を見つけられていなかったため、旧勢力はその隠れた執着を利用して私を迫害し続けました。
今年2月、期末試験を控え、ストレスがさらに大きくなりました。同時に家庭の状況も非常に緊迫してきました。夫は私と息子を捨てようとして、自分で生活を支えるよう求めるメールを送ってきました。そのときの私の状況は、2か月後に期末試験を控え、仕事がなく、来月の家賃を払うお金もありませんでした。夫が私にその手紙を書いてから3日後、家賃を支払わなければならず、さもなければ息子と私は路上に出ることになります。私は旧勢力の罠に陥っていました。学校に通っていた息子もこの状況に不安を感じていました。このような心理的プレッシャーの中で、私は一つの決断を下しました。夫と争うのではなく、師父を信じ、師父が最終的な決定権を持っていると信じました。それから、3日間連続して正念を発し、自分の空間場を清め、旧勢力の迫害を拒否しました。3日目の夕方、夫は家賃の支払いを済ませました。数週間後、夫は1週間で3本の歯が抜け、笑うことすらできなくなったため、歯医者に駆け込まなければならない事態になりました。その後、夫は自分が口を修めていなかったことを認め、私に対する態度も和らぎました。
期末試験が終わってからしばらくの間、私の病状は悪化しました。2週間連続で出血しました。ある日、私は法を学び、功を煉り、正念を発し続けていたにもかかわらず、病状が悪化していることに気付きました。エネルギーが体から抜け出していくのを感じ、以前には経験したことのない新しい状況が現れました。まるで命門のツボに管が差し込まれ、体のエネルギーを吸い取られているように感じました。私はますます弱くなりました。
私は旧勢力が私の命を奪おうとしていることに気付きました。私は緊急に同修たちの助けを必要としていることを理解しました。皆の助けがあって初めてこの困難を乗り越えられると思いました。
そしてすぐに学法グループにメールを書き、助けを求めました。私の状況は非常に深刻で、私一人では対処できませんでした。全員がすぐに反応し、電話をくれたり、私をサポートしてくれました。夜、ひとりの同修が私のところに訪れたとき、私は全身が震え、熱があり、無力で、意識もはっきりしていませんでした。私たちは一緒に法を学び、正念を発しました。その後、約束の時間に、学法グループの全員が私のために正念を発しました。2時間後、私の状態は安定し、意識も戻ってきました。その日、私は同修たちの神聖な慈悲、覚者の慈悲を感じました。
今回の試練は、最初の試練よりもはるかに深刻でした。旧勢力はさらに私を迫害しようとしていました。私はより深く内に向かって探す必要があることに気付きました。私は夫が家を出ていくことを常に恐れており、嫉妬心や彼に対する強い怨み、感情を抱えていることに気付きました。彼に対する欲望もあり、それが健康問題を引き起こした原因だと理解しました。
最近、私はひとりの同修と交流しました。彼女は慈悲を持って、私に党文化があること、また私の身におけるその表れを指摘してくれました。彼女は、私が専横的で、言葉が優しくなく、短気であると言いました。また、私は悪い考えや情も持っていました。私は情や常人の観念を手放すのをためらっているとも指摘されました。私はまた闘争心を持っていました。その性格のために心性を守ることができていなかったのです。その同修は、修煉者として、私たちはこれらを必要とせず、それらを手放すべきだと忠告しました。彼女の言葉は正しかったです。
私は、師父がこの同修を通じて私に教えてくださったことに感謝しています。それまで、私は自分を党文化の視点から見たことがありませんでした。この交流の後、私は自分の話し方に気をつけ、衝突の中でも冷静さを保ち、怨みの心を手放し、誰にも不満を持たないよう努めました。どんな状況でも他人の悪口を言わないことに決め、師父の按排に従って自然の成り行きに任せ、問題に対して前向きで楽観的に取り扱うようにしました。
党文化から離れ始めてから、私の家庭環境は改善され、私自身の状態も良くなりました。仕事を見つけた後、同僚たちもチームの雰囲気が突然和やかになったことに気付きました。私たちは冗談を言い合い、一緒に楽しい時間を過ごしています。
師父が私たちにこの貴重な大法を伝えてくださったことに、心から感謝しています。
(編集担当者:任嘉)